偶然、小平市史に下高井戸村の文字が含まれることを知りました。
その1 §
上水見廻役が設置されたのは元文四年のことで、下高井戸村(しもたかいどむら)(現杉並区)名主源太左衛門(げんたざえもん)と、小川村名主弥次郎(やじろう)が任命されている(『東京市史稿 上水編 一』、四二三頁)
その2 §
寛保三年(一七四三)には相役の下高井戸村源太左衛門が辞職してしまったため、以後は、弥次郎一人で上水見廻役を勤めている(『東京市史稿 上水編 一』、四八七頁)。
感想 §
下高井戸村は玉川上水が貫通しているので、そこの人が上水見廻役になるのは分かります。では、小川村はどこでしょうね。
東大和市の地名(2江戸街道まで)より
承応2年(1653)に玉川上水、そして、承応4年(1655)に野火止用水が開削されました。
その分岐点が玉川上水駅の近くに設けられました。その翌年です。
分岐点から東にかけて、岸村(現武蔵村山市)の小川氏が新しい村の開発の許可(小川村)を得ました。
……ということのようです。
かなり離れています。
そこから推定すると、本来は下高井戸村名主源太左衛門が下流域を、小川村名主弥次郎が上流域を見回る前提ではなかったのかと推定します。しかし、源太左衛門がやめて、弥次郎が玉川上水全域を見回ったのではないかと推定します。もちろん、本人が一人で歩き回ったわけではなく、雇った者が見回ったのだと思いますが。40キロもの長さの上水を見まわるのは凄く大変そうですね。