一つ重要なことに気付いたのでメモっておく。
宇宙戦艦ヤマト1974の物語は、第10話において一つの節目を迎える。
ここで対シュルツ戦が終わり対デスラー戦が開始されるからである。
しかしながら、ここで古代進の行動が変化することにも気付いた。
ここまでの古代進は基本的に復讐鬼である。戦闘的で柔軟性を見せることがない。ガミラスと戦えと命令されて喜んで戦う。それだけである。しかし、このあとは殺そうとした捕虜を助けたり、バラン星の生物の特徴に気付いたり、滅ぼしたガミラスに後悔したり、発想が柔軟になって行く。
ではどこで古代進は変化したのかと言えば、第10話としか考えられない。パーティーで騒いでいるヤマト艦内に復讐鬼の居場所はなく、最終的に艦長室に行く。そして、酒を飲まされる。この酒は、古代進の意識がリセットされる象徴的な描写と考えられる。そもそも、酒を飲んだ直後に、論理的にあり得ない【地球にさよなら】をさせられるのである。
とすれば、ここで重要なことは古代進が酒を飲むことであって沖田と飲むことではなかった。ならば、SPACE BATTLESHIPヤマトで、古代が佐渡先生と徳川機関長と酒を飲んでいる描写は正しいことになる。
実際に、第10話のあと、古代進の言動が変化していく。
11話では、機雷を手で除去するという発想の転換を迫られる。
12話では、沖田が絶対的に頼れる存在ではないことを知ってしまう。
13話では、ガミラスの捕虜を殺そうとするが、自殺を止める。ガミラスの捕虜を殺そうとするのは古い古代の行動原理であり、自殺を止めるのは新しい古代の行動原理である。
14話では、海峡の有無で島と殴り合う。ここで島は敵と戦う仲間から、古代にとって一人の人間に昇格する。
そして15話から対ドメル編に進む。
まとめると、10~14話は古代進成長編とも言うべきもので、彼はガミラスを倒すだけでは問題は解決しないと学ぶ。発想の柔軟性が大切で、仲間も敵も、生きている別個の人格を持った一人の人間だと学ぶ。
その集大成が17話でバラノドンに対して波動砲を撃つ古代や、第20話で人工太陽に気付く古代と言える。
よく、古代はがさつなのか繊細なのか分からないと言われるが、繊細さはこのあたりで学習された古代の新しい要素だったのではないか。敵愾心だけでは勝てないし、問題を解決できないことを学んだのだ。
オマケ §
酒が意識のリセットの表現であれば、未成年に酒を飲ませるわけにはいかないという批判には【別の表現でも構わない】と返せる。頭の中がひっくり返るような出来事が何かあれば良いのだ。
ただ、古代進から18歳という【十代の若者性】を剥奪してしまう昨今の風潮からすれば、彼は既に未成年ではないので、酒を飲んでも良いことになる。だが、逆に酒を飲んでも頭はひっくり返らない。
そのように考えると、SPACE BATTLESHIPヤマトの飲酒シーンは営倉であることが意味を持つ。この場合、古代進は営倉入りによって過熱した頭の中を冷やしていたとも解釈できる。