高井戸の浴風会については、放射5号線沿いだから何度も横を通ったわけですが、最近になっていろいろ誤解していたことが分かってきました。
たとえば、浴風会の正門は放射5号線側ではなく、富士見ヶ丘駅方面ですね。
というわけで、疑問です。
浴風会の成立と内藤家はどう関わっていたのでしょう?
すぎなみ学倶楽部によると、【全敷地の約半分は第一土地建物株式会社から購入し、残りの半分は内藤貞雄氏外七名の地主から購入した】【古老はあくまでも個人的見解とした上で、まとめ役として当時の高井戸村の村長だった内藤貞雄氏が地主側の言い分をよく聞きながら、間に立って事業者との交渉を円満にまとめ交渉が成立したのではないかと推測している。】です。
では、第一土地建物株式会社とはどんな会社でなぜそこに土地を持っていたのか。なぜそれを売ったのか。外七名の地主とは具体的に誰なのか。そもそも地元側が受け入れた理由は何か。理事会資料「浴風会敷地買収結果報告の件」が見たいものです。
また、井の頭線は開業前だが、不便でも良かったのだろうか。京王線まで歩く前提なら正門の方向が京王線の方を向いていない。井の頭線の開通を見込んでの立地なのだろうか。
それから、すぎなみ学倶楽部では【浴風会十周年史】と書いているがおそらく、【浴風会十周年記念誌】が正しい。これは国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。
これの精査は今後の課題だ。
ただし、39p浴風会建物配置図の以下の部分は気になる。
ここは、今では浴風会の敷地ではないはずだが、昔は浴風会の建物が建っていたのだろうか。
取りあえず疑問の提示のみ。