2003年09月08日
川俣晶の縁側過去形 本の虫感想編total 4721 count

家康はなぜ江戸を選んだか 岡野友彦 教育出版

Written By: 川俣 晶連絡先

 前に、『日本史の挑戦 「関東学の創造をめざして」』(森浩一 網野義彦 大巧社)という本を読んで気になったのが、江戸は本当に家康が来るまで何もない場所だったのかということです。そうではないとすれば、具体的にどういうことなのか。

 それで、江戸東京博物館で「家康はなぜ江戸を選んだか」を見つけて買ったわけですが、実はこの本の方が出版は先なのですね。(「家康はなぜ江戸を選んだか」は1999年初版。『日本史の挑戦 「関東学の創造をめざして」』は2000年)。ちらちら見直したら、「家康はなぜ江戸を選んだか」も取り上げられていました。確かに年代はこの順番です。というわけで年代的には読む順序が逆になりました。

 それはさておき。

 この本の論旨は明快です。

 江戸は中世かあるいはそれ以前から水運の重要なポイントとなる土地であって、ずっと昔から栄えていた場所だと言います。それなのに、鎌倉幕府などが江戸を拠点に選ばなかった理由の方が重要であると言います。その理由として、関東は、(本来の)利根川を境に強く対立する歴史が続いていたため、大きな勢力の根拠地には適さなかったのだと言います。しかし、太田道灌の時代の後、後北条氏の時代には関東は1つの勢力に統合され、ここを根拠地にする安定性ができたと言います。後北条氏は小田原を根拠地にしていましたが、その後で関東に入ってくる家康から見れば、江戸を根拠地として選ぶことは必然だと言います。

 なかなか目から鱗が落ちる明快さです。

 また、水運の経路として、伊勢から品川に至る経路、そして浅草から利根川を遡っていく経路があり、その中継点として、江戸は重要な役割を果たしていたことも書かれています。京都からものを運ぶ場合、伊勢から船に乗せて品川まで行くのが最も多く使われた経路だと言います。そして、浅草からは更に奥に向かう経路があるわけです。

 ちなみに、古墳時代の話になりますが、この水運の経路にあたるのが、伊興ということになるのでしょうね( http://mag.autumn.org/content.aspx?id=20030906153309 )。かなり昔から、水運の経路はあったと言うことかも知れません。まさに、海や川による交通の軽視という日本史上の課題に関係する問題と言えるでしょうか。

 そして、最後に、家康が来るまで江戸は何もない田舎であったかのような伝承が生まれた経緯にも話が進みます。家康の神格化と連動して、家康の偉さを称えるために、江戸は家康が来るまで何もない田舎であるかのように言われるようになったと言います。

 この本に書かれていることが、どこまで正しいところ突いているのか素人には分かりませんが、少なくとも、水運を軽視しない視点で見る限り、説得力があるように感じられます。

 ただ、1つ問題があるとすれば、中世の江戸の地形などについて、予備知識がないと読むのが辛いかも知れないことだと感じました。中世、浅草あたりまで海が来ていたことは、私からすれば既に常識として頭に入っていることですが、そうでないと、なぜ浅草が港町になるのかピンと来ないかも知れませんね。

Facebook

キーワード【 川俣晶の縁側過去形 本の虫感想編
【感想編】の次のコンテンツ
2003年
09月
20日
天使な小生意気 20 西森博之 小学館
3days 0 count
total 1728 count
【感想編】の前のコンテンツ
2003年
09月
07日
四季 春 森博嗣 講談社
3days 0 count
total 1926 count

このコンテンツを書いた川俣 晶へメッセージを送る

[メッセージ送信フォームを利用する]

メッセージ送信フォームを利用することで、川俣 晶に対してメッセージを送ることができます。

この機能は、100%確実に川俣 晶へメッセージを伝達するものではなく、また、確実に川俣 晶よりの返事を得られるものではないことにご注意ください。

このコンテンツへトラックバックするためのURL

http://mag.autumn.org/tb.aspx/20030908151457
サイトの表紙【感想編】の表紙【感想編】のコンテンツ全リスト 【感想編】の入手全リスト 【感想編】のRSS1.0形式の情報このサイトの全キーワードリスト 印刷用ページ

管理者: 川俣 晶連絡先

Powered by MagSite2 Version 0.34 (Alpha-Test) Copyright (c) 2004-2018 Pie Dey.Co.,Ltd.