2004年06月23日
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時代アニメ論: 終わりに

Written By: トーノ・ゼロ連絡先

 これまでいくつかの時代アニメを見て、以下の特徴について見てきました。

  • 歴史的なリアリティをストイックに追求する部分がある
  • 現実の歴史からの痛烈に離反する部分がある

 どうして、相互に無関係な作品群から、同じ特徴を抽出できるのでしょうか。

 どうして、徹底的に歴史に忠実であること「だけ」を目指すアニメであるとか、リアリティを無視していい加減に作る「だけ」のアニメが出てこないのでしょうか。

 つらつらと考えて見たところ、もしかしたら、時代アニメは新しいことを描くための手段だからではないか、というアイデアが浮かびました。

 たとえば、宇宙冒険アニメよりも、実は時代アニメの方が、より新しい何かを描いているのではないか。そんなことを思うことができるのです。

 そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが。

 新しい何かを描くということが、どういうことかを考えると、それが自然な流れであることが分かります。

 まず、新しいことだけを描いた作品は、成立し得ないことを確認しましょう。なぜ成立しないのかと言えば、作品と見る側の人間との間に、共有可能な接点が全て無くなってしまうからです。接点がなければ、見る側の人間は永遠に作品に入っていけません。

 つまり、作品は、入り口となる接点を用意しつつ、新しい何かを入れる必要があります。

 たとえば、誰も知らない宇宙で冒険するアニメを作るとすれば、舞台の新しさを補うために、古典的なドラマ作りを行う必要があるかもしれません。つまり、ドラマを新しくすることは難しいのです。

 しかし、もし舞台を誰でも分かる時代劇の世界に設定するとどうでしょうか。ドラマはいくらでも新しい領域に入って行くことができます。

 そして、なぜあえて時代劇の世界をアニメでやる必要があるのか、という問いかけについての答えも、そこに見いだせるかもしれません。

 つまり、アニメにおいてドラマに並はずれた大胆さを注ぎ込むためには、誰もが知っている時代を舞台にする必要があると言うことです。

 しかし、もしそうだとしても、過去ではなく現在を舞台にするという選択もあり得ます。なぜ現在では駄目なのか。それは、目の前にある現実を舞台に設定した場合、大胆に舞台をアレンジしにくいから、という事情が考えられます。目の前にない、昔の話であるとすれば、誰も実際にそれを見ていないわけですから、より大胆にアレンジしても苦情が出にくいでしょう。

 つまり、アニメにおいてドラマに並はずれた大胆さを注ぎ込むためには、時代アニメにする必要があると言うことです。

 そして、ドラマの大胆さに舞台が負けないためには、舞台にもそれ相応のこだわりを持って、描き込む必要があるのでしょう。

 そう考えると、以下の条件が必須であることが分かります。

  • 歴史的なリアリティをストイックに追求する部分がある
  • 現実の歴史からの痛烈に離反する部分がある

補足 §

 とまあ、こんな話を延々と書きましたが。これが正しいという保証は何もありません。むしろ正しくないと思った方が的確でしょう。

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