謎のアニメ感想家(笑)、翼の騎士トーノZEROのアニメ感想行ってみよう!
今日の巌窟王の感想。
サブタイトル §
第1幕 旅の終わりに僕らは出会う
あらすじ §
貴族の息子であるアルベールとフランツは月のお祭りに来ていました。
そこで、モンテ・クリスト伯爵と名乗る謎の人物と知り合います。
彼らは公開処刑を一緒に見ることになります。
そこには、明らかな凶悪犯と、冤罪らしき男がいました。
モンテ・クリスト伯爵は、赦免状を1通だけ持っていると言います。そして、アルベールに3枚のカードを引き、そこに書かれた名前も男を助けるというゲームを持ちかけます。
冤罪の男を助けたいアルベールはそれを受けます。しかし、引いたカードに書かれていたのは凶悪犯でした。
結局、凶悪犯だけ処刑を免れます。
アルベールとフランツは喧嘩別れします。
そして、アルベールは女の子とベッドに入りますが、ベッドで抱き合っていると女の子の持っている銃がアルベールに向けられていました。
感想 §
世界は……。そうだ、自由を求め描くべき世界が目の前に広々と横たわっている。終わらぬ夢がお前達の導き手ならば、超えてゆけ、おのが粗製濫造の時代を超えて。
と訳の分からない言葉を書いてみましたが。
この10月のアニメ新番組の状況を見ると、まさにアニメ業界自らが引き起こした粗製濫造の時代に、業界自らが引き込まれかねない状況に陥っていると感じます。一応、地上波VHFで放送されるアニメ新番組に関しては一通り目を通していますが、明らかに十分に練り込まれていないものが含まれていると感じました。たぶん、これだけ新番組が増えてしまったら、人手不足なのでしょう。
しかし、このような驚くほど多くのタイトルが放送される時期にこそ、普段なら通らない企画が通る、という事態はあり得ます。
この巌窟王を見てそれを思いました。
それはさておき。
たとえば、ここまで新番組を見てきて不満があるのは、歴史あるいは歴史性を持った作品が増えているものの、それらが修羅の刻やサムライチャンプルーほどには歴史の深い面白さに踏み込んでいないことです。もしかしたら、修羅の刻やサムライチャンプルーの成功……、と言えるのかどうかしりませんが、その影響から通った企画かもしれませんが、他作品の敷いた路線の上に成り立つ企画などが、突き抜ける価値を持てるわけがありません。(もちろん、別の価値をすり替えて入れてしまえば良いわけですが)
そこで驚くべきは、この巌窟王です。つまりモンテ・クリスト伯です。原作はアレクサンドル・デュマです。あの歴史的な名作です。それを原作にしつつ、舞台は宇宙、未来の話でしょうか。古い社会システムや風俗のセンスを濃厚に描きつつも、その舞台は月であるといい、宇宙船で飛び去るモンテ・クリスト伯爵を描きさえします。それによって、過去の歴史ドラマをやればよいのだ、という安直な結論に飛びつきません。舞台を宇宙に変えてしまっているのです。この大胆さが素晴らしいですね。
更に、ここが最も重要なところですが、デュマの作品という高尚かつアカデミックになりうる原作を持ち出しつつも、話の内容は非常に分かりやすい復讐劇(?)であることがとても好感できます。巌窟王に関する予備知識が皆無の人が見ても、これは面白いと思います。しかも、甘いおぼっちゃまのアルベールの視点でドラマが進行する点も面白いですね。本来、巌窟王は、モンテ・クリスト伯爵の視点で話が進行するものだったと記憶します。しかし、そうではなく、外部の人間から彼を見る視点であることが、実にモンテ・クリスト伯爵という人物を魅力的に描くと共に、視聴者の入りやすさに寄与していると思います。こういう、原作の咀嚼も見事な点が、とても好感でした。
それに、この独特のビジュアル。平面の模様を画面に貼り付けていますが、あくまで貼り付けは平面的に行われています。けして、3Dオブジェクトにテクスチャを貼ったような表現ではありません。その結果、明らかに立体としてはおかしい映像が延々と続きます。ですが、その明らかにおかしい映像に、見飽きない独特の味が生じていると思います。単にリアルな映像をコンピュータで造る、という行為の先にあるものを見せてくれる感じですね。このような大胆な映像表現が本当に成功するのか、とてドキドキします。
今回の名台詞 §
アルベール「ゲームなんでしょ、伯爵」
本来ゲームになどなるはずがない人の生き死にを運によって決めるゲーム。それに手を出してしまうアルベールの追いつめられた台詞ですね。