今日は、たまたま偶然に存在を知った千秋文庫に行ってきました。
ここは、旧秋田藩主佐竹家に伝わった文化資料を収蔵・展示している施設だそうです。それも、「佐竹家34代当主佐竹義春侯の家令職を勤めた小林昌治氏が、義春侯より譲渡された資料を後世に伝えるために、昭和56年9月に設立した」という非常に私的な施設ということになります。
江戸東京博物館や、東京23区が区ごとに持つ歴史資料館のような存在と比較して、このような私的な性格は非常に特異で興味深い感じがあります。
それはさておき、私的な存在といえば思い出されるのが「三の丸尚蔵館」です。ここは、皇室の資産やそれ他のものを展示する施設であり、実際に何回か足を運んで、その雰囲気の中に天皇家らしさを濃厚に感じることができました。
この千秋文庫も、同じように「旧秋田藩主佐竹家」の私的な雰囲気を極めて濃厚に感じられたという意味で、似たような存在と言えるかも知れません。
しかし!
その雰囲気の中身が全く正反対であるという点に、最も見るべきところがあると感じました。
千秋文庫 §
というわけで、九段下の駅からテクテク歩いて行ってみました。
1階の他に2階の展示室もあるのですが、よく見落とされているようです。わざわざ2階への上がり方を説明されたので、そのまま2階へ。
2階が常設展示のようです。
そのあと、1階に降りて、「古戦場絵図・武具図展」を見ました。
他に客としては若い男性2人組だけがいました。
特異なるもの、それは…… §
まず、本物の鎧やレプリカの鎧をどどーんと飾ったりしないのが特異的だと感じました。そのかわり、鎧の展開された型紙であるとかデザイン画であるとか、そういうものが並んでいます。鎧というのは、前と後ろが片側でつながっていて、開くと1枚になるわけですね。なかなか新鮮な驚きです。
また、川中島や大阪夏の陣、冬の陣の戦いの配置図的な地図も多数ありました。城の絵や地図もありました。
戦いの配置図がどのような目的のものかは良く把握できてませんが、実用本位の質素な感じのものでした。飾りがたくさん入った観光用の地図、という感じではないですね。
その他、人物画もあっさりしたものが多く、「これが華美を嫌う武士の家の資産か」という強い印象が残りました。
その点で、芸術的に過激に凄いものを多く見せる「三の丸尚蔵館」とは全く正反対だという印象を持ちました。
日本史における権力者の系譜として、天皇・貴族系と武士系に分けられるとすれば、前者が「三の丸尚蔵館」的なムードであり、後者が「千秋文庫」的なムードであると言えるのかも知れません。
オマケ: 九段下の灯台 §
帰りに九段下の駅に歩いている途中で目に付いたのが、この灯台。
これを見たのは初めてではないはずですが、非常に印象的です。
皇居の北側にこのような灯台があり、それが船からよく見えていたということは、いかに東京が水運の街であったかの1つの証拠でしょうね。
ちなみに、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室・企画展示 貨物ターミナル汐留に行った時の資料には、旧新橋駅(汐留駅)は、水運と直結した駅であったことが書かれていました。鉄道と水運が直結することは、駅のロケーション選定の条件として重要であったわけですね。このあと、日本の鉄道の中心は海に面しているわけではない東京駅に移動しますが、これは貨物と旅客が分離されるのと連動した移動になっている感じですね。東京駅は旅客駅であって、貨物は依然として海に面した汐留駅で扱われていた訳です。