IT業界でも、難解な言葉、難解な文章に遭遇することは良くあります。
それを一生懸命読んでも理解できないケースが多々あります。
それに関して、たまたま、あるページを見ていて「あっ」と思ったので、軽くメモっておきます。
知っておきたかったこと --- What You'll Wish You'd Known, Paul Grahamより
でもね、確かに難しい考えがいっぱい詰まっているせいで理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。こんなふうに言うと中傷に聞こえるかもしれないけれど、これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャル・テクスト』事件だ。ある物理学者が、人文科学者の論文には、知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないものがしばしばあると考えた。そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、人文科学の学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。
実は意味など最初から無かったのではないか!? §
さて、IT業界で、理解したいと思って必死に読んでも理解できない文章というのは、過去の経験上いくつもあります。
しかし後になって分かってみると、実際にはほとんど意味がない、あるいは些細なことしか言っていないという事例が多いと感じます。
もちろん、理解できない文章に遭遇した時に、「オレに理解できないものに意味などあるはずがない」などと開き直るのは駄目な態度です。(アインシュタインの相対性理論は間違っている、という良くあるトンデモ本はこの範疇に入るでしょう)
そうではなくこれは、常識的な範囲で理解しようとする適切な努力を払っても、なお理解できないケースの話です。
もちろん、その条件に該当する場合でも、読み手つまり自分が愚かであるだけ、というケースもあります。
しかし、理解できない文章のうち、かなり多くの割合は、上記のように実際にはほとんど意味がない、あるいは些細なことしか言っていない文章であるような気がします。
そして、そのような文章は、責任あるパソコン雑誌や企業の運営するニュースサイトなどに掲載されることも珍しくないと言えます。
なぜそれは受け入れられるのか §
簡単に書けるテーマではないので、誰か真剣に書いてみませんか?
なぜそれは掲載されるのか §
大きく分けて2つの側面があると思います。
それは、読者がそれを欲し、受け入れるから、というニーズと、ビジネスの手段としてそのような文章を送り出す必要があるというシーズです。
ニーズとシーズが揃えば「文章」は掲載され、消費されます。
需要と供給がマッチして、そこには「文章」を売買するビジネスが成立します。
しかし、その「文章」に書かれた技術が、何か素晴らしい成果を生むかどうかは別の問題です。その文章が、ほとんど意味がない、あるいは些細なことしか言っていないとすれば、さほどの成果を上げないでしょう。
ちなみに、優れた編集者は、このような問題に対して有自覚的です。ニーズのある文章を掲載しながら(それが仕事だから)、文章に記された技術が本当に実用的であるか疑問を持つという冷めた視線も持ちます。
言葉を分かりやすい日本語に置き換えろ、という意味ではない §
この話は、意味不明のカタカナ言葉をやめろであるとか、分かりやすい日本語に置き換えろという話とは直接関連はありません。
たとえば、「クリック」は難解な言葉だから「マウスのボタンを押す」と書くべき、というような問題とは全く違います。このコンテンツの文脈において、「クリック」は全く難解な言葉ではありません。知るための努力を払えばすぐに意味を理解でき、抽象的でも曖昧でもありません。
気をつけろ! §
この文章を読んで、「そう、そうなんだよね! 酷い記事が多くて困るよね」と叫んだ人の中にも、難解な言葉、難解な文章でさほど意味のないことを凄いことであるかのようにかき立てる人がきっといると思います。
手間を掛けて難解な言葉、難解な文章を書いた人達が、それに意味など無いなどと認めることは、ほとんどの場合あり得ないことだからです。彼らは、全て自分の文章に関しては、「私の書いたものは、それとは違う! 深い真理が隠されているのだ!!」と主張するのが当然の成り行きです。
それゆえに、本当に価値のある難解な内容を書くために難解になった文章と、中身の無さを誤魔化すために難解さというファッションをまとった文章は、読者が自らの判断で識別しなければなりません。
とはいえ…… §
とはいえ、未知の領域の話題だと、なかなかそのような区別が付けられないのですよね (泣く。
余談 §
未知の領域の話題の場合にもそれを判断するための基準として、「形式」と「品の有無」という判断基準が使用できないか、という仮説を持っていますが、今のところ、さほど確実な話というわけではありません。