時間がないのだけれど、一言だけ、妄言を書いておきたくなりました。
いや妄言ですよ。妄言。
妄な言です。
けして、提言であるとか、異論であるとか、恨み言ではありません。
そんな気になったのは、以下のページを見てしまったからです。
この記事では、ごく曖昧かつ大ざっぱに要約してしまうと、ソースコードを見ることができるのが当たり前だった汎用機世代は、ソースコードが見られないソフトなど信用できないが、オープンソースなら信用できると書かれています。
ソースコードが見られることが、当然の好ましいあるべき姿であるかのように書かれています。
そもそも汎用機世代って何なのよ §
非常に大ざっぱかつ曖昧かつ不適切な言い方をすれば、汎用機世代というのは、ソフトがハードのオマケであった時代の生き残りです。
つまり、ソフトウェアには価値があるとか値段があるという発想が希薄です。
どれほど手間と時間と創意工夫と知恵を注ぎ込んで作ったソフトウェアであろうと、しょせんはハードのオマケです。それを積極的に保護しようと言う発想もありません。
このような態度は、コンピュータに占めるソフトウェアの比重が高くなるにつれて徐々に後退しいったと思います。実際、「ソフトはハードのオマケ」というという企業は、自らはハードを作らず、ハードを売らず、ソフトウェア専業で勝負する企業に敗北してきた、というのが1980年代以降のコンピュータ業界の流れだろうと思います。
つまり、極論すれば、ソフト軽視の汎用機世代はソフト重視のパソコン世代に負けた、という見方をしても良いと思います。
そもそもオープンソース(を担ぐ商売人達)って何なのよ §
一方のオープンソースですが。
ここでは、オープンソースで金儲けをしようとする人達に限って見てみます。非常に大ざっぱかつ曖昧かつ不適切な要約をしてしまうと、マイクロソフトへの負け組が多いと思って良いと思います。彼らの戦略は、もはやソフトで商売をしてもマイクロソフトに勝てないので、ソフトウェアより価値を剥奪して、無料化、完全公開化を推し進めています。それが、相対的にマイクロソフトを弱体化させ、彼らにビジネスのチャンスを作るからです。
つまりは歪んだ敗者連合なのか? §
両者の共通点は明らかです。
- 過去に敗者であることを経験している
- ソフトウェアの価値を認めない
ゆえに、両者の相性が良いのは当然と言えます。
現場で直せるというのは、技術ノウハウ漏れ放題ということ §
では、この新旧世代のタッグが、上手く機能するかというと、そうでもないと思います。
というのは、ソースコードが自由に見られる長所は、確かにトラブルの調査などには有利ですが、裏を返せば技術ノウハウ漏れ放題ということになります。
こんな状況では、どれほど手間と時間を掛けて新しいノウハウを開発しようと、できたソフトからそれを盗み出した奴の方がそれを安く(あるいは無料で!)、それを提供できてしまいます。
つまり、ずるい奴ほど儲けられるという結論になります。
このような状況では、ソフトウェアに対して新しい価値を創造するために手間と時間をお金を真面目に注ぎ込む者はいなくなります。
そうなれば、最も損をするのはコンピュータの利用者です。
もう1回強調しておきますが、最も損をするのはコンピュータの利用者です。
無保証性についてのくどい補足 §
本サイトの文章は一部例外を除き無保証ではあることを宣言していますが、当然この文章も最初に妄言であると断っている通り、何ら保証があるものではありません。むしろ、間違っていると疑って掛かるのが健全な態度です。
そして、当然のことながら、上記記事も同様に疑って掛かるのが健全な態度です。
判断は、読者が下さねばなりません。