単なる思いつきのメモなので、無意味監獄に書いておきます。
ちなみに内容が正しいという保証は全くありません。賢明なる読者諸君は、正しくないと思って読むべきでしょう。
最近、気になること §
最近、特に気になっていることがあります。
それは、ブログの書き込みなどで、以下のような構造の文書をしばしば見かけることです。
- まず、ある事柄の問題点を指摘します。まあ、それは確かに問題でしょう、という内容が書かれています。
- 次に、正しくはこうだろう、と述べています。しかし、その記述も、前半で指摘された問題点と同程度の問題を含んでいたりします。
このような構造の文書の問題は、前半がもっともらしいことによって、後半も同程度に確かであろうという印象を読者に与えることです。つまり、誤った情報を正しいと錯覚させ、普及するためのレトリックと見ることができます。
このような文書がインターネット上に増えることは、けして好ましいことではないと思いますが、それはこの文章の本題ではありません。
これはIT業界ではよく使われる戦略である §
このような構造の議論の進め方について考えていたとき、実はIT業界ではよく使われる戦略ではないかと気づきました。
仮に、「スケープゴート戦略」と呼ぶことにしましょう。
これは、以下のような戦略です。
目標 §
何らかの難のある技術や標準や製品を普及させる
(この技術や標準や製品を、「普及対象」と称することとします。)
手順 §
- 「普及対象」と比較しうる難のある技術や標準や製品を見つけ出す。(これを「スケープゴート対象」と呼ぶことにします)
- 「スケープゴート対象」がいかに酷いものであるかをアピールするストーリーを創作する。「スケープゴート対象」は実在する必要があるが、ストーリーは事実を反映している必要はない
- 「普及対象」が、いかに「スケープゴート対象」の問題を解消するかをアピールするストールーを創作する。これも事実を反映している必要はない
- 「スケープゴート対象」が「普及対象」を排除しようとする不当な圧力のストーリーを創作する。つまり、「スケープゴート対象」を悪とする勧善懲悪ドラマである。これも事実を反映している必要はない
- 暇と自己顕示欲を持てあましているが、勧善懲悪よりも難しいことは良く分からない若年層に対して、このストーリーをアピールする
- 彼らは、一銭の報酬を払うことなく、「正義の戦士」として「スケープゴート対象」を叩き、「普及対象」の素晴らしさを世間に対してアピールする
- インターネットや雑誌媒体、コミュニティなどにおける発言者(≒発言する暇のある者達)の多数派が「正義の戦士」となることにより、「普及対象」はあたかもデファクトスタンダードになったかのような空気が生じる
- 「普及対象」がデファクトスタンダードであるという誤認から普及が進むと、本当のデファクトスタンダードになる
- デファクトスタンダードになっても、もともと問題があるため、利用者は「普及対象」を呪いながら使うことになる。しかし、採用してしまったものは、容易に後戻りできない
実例・DOS/V §
1990年頃から始まったいわゆるDOS/Vブームも、典型的なスケープゴート戦略によって生み出されたと見ることができるように感じます。
DOS/Vにおけるスケープゴート戦略は、主にPC-9801シリーズを「スケープゴート対象」とすることで遂行されているように見えます。
この場合、DOS/Vにはテキスト画面表示が致命的なまでに遅いという問題がありましたが、「PC-9801シリーズは高価で閉鎖的である」という問題に立ち向かう正義を主張することで、問題を隠蔽しながらヒーローとなることに成功しています。
ただし、DOS/Vに関しては、技術の進歩や、サードパーティーからの高速テキストドライバの提供、早期のWindowsへの移行などにより問題点が消失されてしまったため、明確なスケープゴート戦略の結末には達していません。
念のために付け加えると、個人的には日本のパソコンのハードウェアがIBM互換機にシフトする必然性はあったと考えます。しかし、IBMのDOS/Vは、最終的には実用的なソフトにはなりましたが、最初から実用十分なOSであったとは考えていません。
実例・OS/2 §
IBMが、マイクロソフトとの共同開発を解消した後のOS/2は、主にWindows 3.1を「スケープゴート対象」としたスケープゴート戦略を遂行したように感じられます。
たとえば、Windows 3.1はOS/2よりも多くのメモリを必要とし、Windowsアプリケーションの安定性も低いとしています。
OS/2は、世の中の大多数のパソコンマニアが次世代の本命はこれ、とまで言い切るほどの盛り上がりを見せていました。
しかし、IBM自身がOS/2を普及させることに対する意欲を途中で失ったように見えるために、スケープゴート戦略は完遂されないまま立ち消えになったように見えます。
実例・Linuxにおけるスケープゴート戦略 §
Linuxにおけるスケープゴート戦略は、主にWindowsを「スケープゴート対象」とすることで遂行されているように見えます。
たとえば、Windowsはすぐに落ちる、Windowsはセキュリティホールが多いといった、数値的な根拠の乏しい情報、あるいは既に古くなってしまったにも関わらず、最悪時の状況が現在も続いているかのような言説によって、勧善懲悪ストーリーを成立させています。
しかし、OSのシェアは主にPCにプレインストールされるOSの種類によって決まるため、普及速度は早くはありません。それでも、Linuxの普及は進行中であり、スケープゴート戦略は進行中であると見ることができます。
ただし、念のために付け加えると、最近ではWindows側がLinuxあるいはオープンソースをスケープゴート対象としたスケープゴート戦略を実行しようとしているかのような雰囲気も見られます。
実例・Javaにおけるスケープゴート戦略 §
Javaにおけるスケープゴート戦略は、主にC/C++を「スケープゴート対象」とすることで遂行されているように見えます。
たとえば、確保したメモリの解放忘れによるメモリリークの問題を取り上げ、メモリ管理が自動化されたJavaではそれが発生しないとしています。
しかし、実際には世の中の多数派のプログラム言語はメモリ管理が自動化されています。たとえば当時のVisual Basicなら、参照カウント方式でメモリは管理されており、参照が無くなればメモリは解放されます。Javaが成し遂げたことは、メモリ管理の自動化ではなく、改善されたガベージコレクションの採用に過ぎないと見ることができます。
Javaにおけるスケープゴート戦略は完了しつつあり、仕事で仕方なくJavaを使っている人たちからは、Javaの問題点についての呪いの言葉を聞くことがしばしばあります。
一方で、「スケープゴート対象」とされたC/C++は依然として元気であり、2003年にJISになったC99や、現在制定中のC++/CLIなど、新しい話題が続いています。
実例・アジャイルにおけるスケープゴート戦略 §
アジャイル系の多くの開発方法論におけるスケープゴート戦略は、主にウォーターフォールを「スケープゴート対象」とすることで遂行されているように見えます。
ウォーターフォールは、実際には1段階の手戻りを認めているにもかかわらず、一切手戻りを認めない非現実的な方法であるというストーリーを創作し、それと戦う正義を掲げています。
個人的には、開発方法論にはあまり深く立ち入っていないため、詳細については述べることができません。しかし、ウォーターフォールが典型的な「スケープゴート対象」として扱われているという印象だけはあります。
スケープゴート戦略ではない例 §
1980年代におけるPC-9801シリーズの普及(PC-9801VM2まで)は、純粋のハードウェアのありのままの魅力で普及を続けていたと考えられます。IBM-PC互換機を欲しいと思わないだけの性能面でのアドバンテージがありました。ただし、コンパックの日本参入時などには、コンパックの低価格PCをスケープゴートとしたスケープゴート戦略(FDD1基のPCは日本では使えないと非難する等)を実行したと解釈できるかもしれません。
C#は、特にスケープゴート戦略によって隠蔽する必要のある問題点がなく、スケープゴートを持っていないように見えます。その代償として、勧善懲悪ストーリーで盛り上がることもなく、注目されずに埋没して表舞台からは消えつつある印象があります。
Visual Basicは、マイクロソフト側としては縮小して終息させたい意向があったように思われます。しかし、多数のユーザーの反発により、主力開発言語として維持しなければならない立場に追い込まれているように感じられます。つまり、Visual Basicが言語として問題点を抱えているとしても、それを隠蔽せずともユーザーは使い続けており、スケープゴートは必要とされません。
スケープゴート戦略の問題点 §
スケープゴート戦略の問題点は、戦略の一角を担う「正義の戦士」達が、最終的にツケを払わないという点にあります。ツケを払うのは、最後に「呪いの言葉」をはきつつそれを使うことになる現場の担当者です。
つまり、「正義の戦士」達は、正義のための戦いを遂行したという満足感を得るだけで、何のペナルティを払う必要もありません。そして、再び別のスケープゴート戦略の「正義の戦士」として戦場に戻ることができます。その結果として、スケープゴート戦略の仕掛け人は、無償で動員できる「正義の戦士」を常に多数持ち続けることができます。
まとめ §
どうして、このようなことを考えるのかと言えば、私の立場が最終的にツケを払う「現場の担当者」に近いからです。
つまり、明らかに上手く行かない技術や製品を、私のところに持ち込んでくるんじゃない!という怒りの気持ちの背景を分析した「1つの解釈」として、「スケープゴート戦略」というアイデアがあり得るわけです。
もちろん、これは「1つの解釈」に過ぎず、これが正しいという保証もなければ、私自身も絶対に正しいなどとはカケラほども思っていません。
賢明なる読者諸君は、けして信じないように。