トーノZERO, THE BELKANアニメ感想家(笑)のアニメ感想を参ります。
 今日の舞-乙HiMEの感想。
サブタイトル §
第20話「ニーナと呼ばないで」
あらすじ §
 アリカとマシロは怪物に食われます。
 体内で、もうこのままでも良いなどと思っていた二人も、消化液が出てくると必死になり、マテリアライズして脱出します。
 アスワドの村はカルデアのオトメに襲撃されていて、アリカは助けに入ります。
 オトメが去った後、アリカとマシロは人を助けたり、火を消したり、人助けをします。
 ニナは、もう子供っぽくニーナと呼ぶなとウォンに要求します。
 ガルデローベでは、ウォンがオトメを募集します。トモエ達はそれに応募します。そして、トモエはシズルを牢から出し、ベッドの上でシズルと愛し合います。
 ナギとニナの前でハルモニウムは自ら開きます。
感想 §
 性行為になぞらえる行動となるマシロによるアリカへの口づけ。「よいではないか」というマシロの言葉が笑えます。
 一方、洒落にならず性行為そのものを暗示させるトモエとシズルの関係。腐臭を放つ愛欲の世界が、ドロドロとそこにありそう。しかし、そこを明示的に描かないところが品があってよろしい。
 一方、ニナとウォンの関係もおかしくなる一方。子供っぽくニーナと呼ぶなというニナの要求は、「大人になった私を見て!」というニュアンスであるのに、ウォンの方は独り立ちした娘を親身に見てはいけないという方向に受け取っているように感じられます。
 マシロは、リーダーのあるべき姿というものを、ミドリを見ることで学んでいるようなところがありますね。
更に感想 §
 「結局こんなものじゃ、わらわたちなぞ」というマシロとアリカの割り切りは、まさに若者が精神的に成長する過程で通過する大切な通過点と言えます。
 つまり、万能感の喪失、社会的去勢です。
 この去勢を否認すること、つまり万能の存在という自己認識を改めることができないことが社会的ひきこもりという社会的病理であるとすれば、若者が注目するアニメにおいて語るべきことは、万能の子供を描くことではなく、むしろ万能感を喪失する若者を描くことではないか。(そして、それこそが若者達にとっての救いとなるのだ!)
 そう考えるならば、まさにこの作品は理想的な内容を語っていると言えるかもしれません。
 ……とはいえ、半年早ければ激しくズキッと感じるものがあったかもしれません。2006年2月に語るのはちょっと遅い気もしますが、私は気が早いので、今こそが正しく語るべき時だという可能性もあり得ますね。
今回の一言 §
 ウォンが見ているカプセルの中身の正体をウォンは知りません。
 しかし、もしかしてあれはウォンの惚れた女?
 ならば、なんと皮肉なシーンであるか。上手い構成、上手い演出です。