PCホビイズム教祖 川俣 晶
2007年6月7日
● 概要
パソコンをホビー(趣味)とすることは、とても面白く、人間として社会を生きる上で得るものも多い。パソコンをホビーにするとはどういうことか、概要を説明した上でそれを勧める。
● 対象読者
パソコンをホビーにすることに興味のある人。
パソコン使用歴や知識量は問わない。
未経験者やビギナーは特に対象とする。
● それは素晴らしいホビーである
もしかしたら、あなたは人生に行き詰まっていないだろうか?
もしや、周囲との対人関係がぎくしゃくしていないだろうか?
もしや、自分の価値を周囲が認めてくれないことに悩んでいないだろうか?
もしや、他人と触れ合うことが恐く、ひきこもってしまっていないだろうか?
パソコンをホビーとすることは、そういった問題を解決する糸口を獲得する手段になるかもしれません。つまり、より充実した人生を生き、他人から認められ尊重される人間になれるかもしれません。そのような切っ掛けを作り出すことができるホビーなのです。
だが、それ以上に語るべき重要な話があります。
パソコンはホビーにして「とてつもなく面白い」のです。
パソコンという機器が誕生した頃、パソコンは今と違って驚くほど非力であり、ほとんど何の役にも立ちませんでした。それにも関わらずパソコンは売れました。なぜかといえば、それをホビーとすることが「とてもなく面白かった」からに他なりません。
「面白い」という以上に、パソコンをホビーとする重要な理由があるでしょうか?
● そもそもパソコンをホビーにするとは?
しかし、このような主張には同意しない人も多いでしょう。
たとえば、家に引きこもって上手く社会にとけ込めない者達の中で、パソコンを趣味としている人の割合が比較的多い……と考えている人も多いと思います。
また、引きこもっている人達は、パソコンでネットゲームをやり、パソコンで匿名掲示板をやり、マスターベーションをしているだけ……といった主張をする人もいますが、もしそうだとすればパソコンへの依存度は高いはずです。
とすれば、パソコンをホビーとして使うことが引きこもり等の問題を解決するとは考えられないと思うかもしれません。
ですが、そのような考え方は誤っているとここでは断言しましょう。
なぜかといえば、このような事例でパソコンは「手段として使われているだけ」でしかなく、パソコンそのものをホビーとしているとは言えないからです。
● 手段としてのパソコン、目的としてのパソコン
パソコンは、世の中の様々な場面で便利な道具として使われるようになりました。
その結果として、パソコンがあること、パソコンを使う人がいることは、どこにでも見られる当たり前の光景となりました。
しかし、彼らはパソコンを使うことを目的とはしていません。あくまでパソコンは手段なのです。
より具体的に考えてみましょう。
たとえば、ワープロソフトで文書を作成中に、どうしても書き込みたい文字が入力できなかったとしましょう。
その時、手っ取り早くお絵かきソフトで文字を描いて文書を貼り付けてしまえば、とりあえず意図した文字の入った文書はできます。
それでよしとするのが「手段としてのパソコン」です。
一方、なぜ意図した文字が入力できないのか、その理由をとことん調べ、入力する方法があるならそれを使って入力し、無いならその文字が入力できない理由を明らかにする……というのは「手段としてのパソコン」ではありません。このケースでは、そもそも文字が入力できないという可能性があり得、その場合文書は永遠に完成しません。つまり、手段としては欠陥品です。しかし、パソコンを使うことが目的であれば、文書ができないことは大きな意味を持ちません。文書作成はパソコンを使う口実に過ぎず、それが出来なくともパソコンと文字の関係という興味深い世界の知識を深めることができて面白ければ、目的は達成されたと言えるからです。
そう。面白ければ、結果など出なくても良いのです。それがパソコンをホビーにするということの真の意味です。
そう考えれば、ネットゲームや匿名掲示板をやることが、なぜパソコンのホビーに含まれないのかが分かるでしょう。この場合、パソコンはネットゲームや匿名掲示板のための手段でしか無く、本当にパソコンを使っているとは言えないからです。
● パソコンは100%忠実であり、そして期待を裏切る
しかし、手段としてのパソコンと目的としてのパソコンは区別する意味があるのでしょうか?
もちろん、あります。
なぜかといえば、パソコンが意図通りに動かない場合の対処方法が全く違うからです。
パソコンとは、故障、誤動作、ソフトのバグなどが無ければ、100%利用者の操作に対して忠実に反応します。
しかし、故障、誤動作、ソフトのバグなどが存在しないにも関わらず、意図した通りにパソコンが振る舞わないことが珍しくありません。
このときの対応が、手段としてのパソコンと目的としてのパソコンでは決定的に異なります。
つまり、別のやり方を試してそれで意図通りに動けば良いと思うのが「手段としてのパソコン」。そうではなく、なぜ意図通りに振る舞ってくれないのか、理由を考えるのが「目的としてのパソコン」です。
しかし、なぜいちいち理由を考えるのでしょうか?
もちろん、それは面白いからです。
こういった状況には、必ず明確な理由があります。
そして、その理由は明らかにすることができます。
それを行う行為は、あたかも推理小説の名探偵が犯人を追い詰めるような面白さがあります。もし、犯人を追い詰めることができれば、とても爽快な気分を味わえます。
それだけではありません。そうやって得た知識は、より深く、より的確にパソコンを把握するために役立ちます。
それはより大きな謎を解決する助けになるでしょう。
ここで、もしも「意図通りに振る舞わない」と思った理由が、自分の思い違いだったとしましょう。間違った知識を持っていたことが明らかになって恥ずかしいと思うかもしれません。しかし、安心してください。あなたがパソコンを使っていて遭遇した問題は、あなたしか知りません。パソコンというホビーは、他人に対して恥ずかしい自分を晒してしまう可能性がずっと少ないのです。それが多くの人の前で行うホビーとの違いです。
● 言葉よりも価値があるもの
パソコンをホビーとする者、PCホビイストと呼びましょう。
このような行為を繰り返すと、ホビイストが持つ的確な知識と豊富な経験は大きく膨らんでいきます。それは、単にパソコンを手段として使っているだけの者達を圧倒的に凌駕します。
その結果として、PCホビイストは現実に存在するパソコンに関わる問題を解決する能力を増大させます。
「僕は賢い」「僕は正しいことを知っている」といった主張は、それだけでは周囲から見て「うざい」だけです。主張だけでは問題は解決されないからです。しかし、実際に起こった問題を解決する能力を発揮できるとすれば、それは有益な人材です。そのような人物は特別な存在として、特に尊重されることはあり得るでしょう。それは周囲から認められる存在になるということです。
しかし、それだけではありません。
上記のようなホビーを行っているPCホビイストは、自分が事実だと思っていた知識に修正が迫られるという事態に遭遇することが珍しくありません。その結果として、たった1つの正しさに固執するということが無くなります。より正しそうなことが分かれば、自分の知識を差し替えることも容易にできるでしょう。
それは、一般社会において、自分の周囲の状況をより素早く柔軟に把握する能力を向上させることも意味します。周囲の者達がどのような考え方を持ち、どのような価値観を尊重し、どのような行動パターンを持っているか素早く把握して適応できれば、周囲から浮いてしまうという事態も減るでしょう。
これもまたパソコンをホビーとすることから派生的に得られる効能の1つです。
しかし、そのような効能のためにパソコンをホビーとするのは本質的に間違っています。ホビーとは実利を求めて行うものではありません。面白いからパソコンをホビーとする……というだけで充分なのです。
● PCホビイズムが行うこと
とはいえ、そうは言ってもパソコンを使って何をしたら良いのか分からない……という人も多いでしょう。
パソコンをホビーとする者達を支援するPCホビイズムという一種の宗教的活動は、そのような人々に対して、様々な面白いことを紹介する活動を行うことを計画しています。既に世の中には、とても多くの「パソコンを使う面白いこと」が行われています。それを紹介するわけです。
それらの中に、きっとあなたが面白いと思う何かがあるでしょう。それを見つけたら、実際にやってみると良いでしょう。それは他の誰かがやったことと同じかもしれないし、何も有益な結果を出さないかもしれません。しかし、それは何ら問題ではありません。それを行ったあながた「面白い!」と思ったならば、それはPCホビイストとしての勝利となるのです。
さあ、あなたもパソコンをホビーにしてみませんか!?