ラリーはスタンプだった。
より正確に言えば、子供達に人気のアニメ『レーザーマン』の登場人物の1人、イケメンのラリーの絵を刻み込んだスタンプだった。
ラリーが生まれた理由は簡単だった。
鉄道会社が、利用客の減る夏休み時期に子供を集めて乗客を増やそうという話である。だから、子供や若い女性が大好きなアニメのスタンプを作って各駅に置き、台紙に全てのスタンプを押すと景品が貰えるというキャンペーンを始めたのだ。
そうやって作られたスタンプの1つがラリーである。
そして、ラリーは普段利用客も多くはない山の中の駅に置かれた。ファンの多いラリーのスタンプなら、わざわざ山奥まで来るファンも多いだろう……と考えられての配置だった。
そして、その目論見は当たった。
子供だけでなく、ラリーファンの若い女性達まで山の中の駅に押し寄せたのだ。
だがラリー本人には、それはどうでも良いことだった。ラリーはスタンプなので自分では移動することができない。ただ、スタンプを押したい客が来たら、押されてしまうだけである。自分の居場所はラリーにとって意味を持たなかった。
ラリーの注意は、自分が押し付けられる台紙達に向けられた。
台紙達は、ラリーを前にすると口々に叫んでいた。
「キャー、ラリーよ」
「イケメンだわ」
「ぶちゅ~っとキスして~」
「思いっきり密着して、ぶちゅ~っとよ!」
もちろん、キスというのはスタンプを押す行為を意味する。ラリーの身体の重要な部分が全て台紙と密着してしまうのである。まさに、相手と最大限親密になる行為と言えた。
そして、身体に付着したインクという大切なものを、全て奪われる行為でもある。
台紙達が喜べば喜ぶほど、ラリーはその行為に気持ち悪さに吐き気を覚えた。
そして、ある日ラリーは知ってしまった。
ラリーに対してキャーキャー言う台紙達は、アニメ『レーザーマン』のヒロインであるリッサちゃんのスタンプを押されるときには、全員男になって、「リッサちゃん、キスして~っ!」と叫んでいることを。
ラリーの吐き気はますます増えた。女であればまだしも、相手によって男にもなるだと!?
だが、ラリーにはスタンプを押されることを拒否することはできなかった。
そして考えるのはリッサちゃんのことだった。リッサちゃんはラリーと同じ境遇にある。ああ、そうだ。リッサちゃんとなら同じ苦しみを分かち合い、本当に愛し合えるかもしれない。
その思いは長続きしなかった。
ある子供が、間違って台紙の表紙側にラリーをスタンプしてしまったのだ。
台紙の表紙には、ラリーはもちろん、リッサちゃんとアニメ『レーザーマン』の主人公、キムスンの3人が描かれていた。そして、キムスンはリッサちゃんを抱きかかえながら銃を構え、ラリーはその後ろでへらへらと笑っているだけだった。
それに気付いたラリーは思い知らされた。
リッサちゃんはラリーのものにはならない。リッサちゃんの心は、キムスンのものなのだ。
女にもてるイケメンのラリーは、実は本当に愛すべき女のいない、孤独な男でもあったのだ。
だが、ラリーは諦めなかった。
それはアニメの中の設定に過ぎない。
スタンプのラリーには、他に愛すべき女性がいるはずなのだ!
ラリーは新しい出会いを待った。
しかし、時は既に夏の終わり。
スタンプのキャンペーンは終わり、ラリーは駅から撤去されてしまった。
だが、悪質な泥棒が終了のドサクサに紛れてラリーのスタンプを持ち出し、オークションで売り払ってしまった。
ラリーは、コレクターの保管ケースの中で過ごすことになった。当初、ラリーは環境が変わったことで、新しい出会いがあるのではないかと期待していた。だが、それはあり得ないことがすぐに分かった。コレクターは、数回白紙にラリーをスタンプしてみると満足し、それ以後、一切ラリーを使うということがなかったからだ。
それから何年も経った。
ある日、コレクターを訪問してきた客があった。
客は古びた台紙を取り出した。
「子供のとき、鉄道会社のキャンペーンでスタンプを押して集めていたんです」と彼は言った。
「これは珍しい。こういうものは、捨ててしまう子供が多いからね」とコレクターは答えた。
「でも、1つだけ押されていないのが心残りで……」
「ほほう。ラリーのスタンプが無いのか」
「ええ。若い女性にラリーファンが多くて。いつ駅に言ってもスタンプが若い女性に占領されていて押せなかったのです」
「確かに、酷かったという噂もあるね」
「それで、あなたがあのラリーのスタンプを持っていると聞いたので、ぜひ押させて欲しいと思って来たのです」
「よし、いいだろう。特別に押させてあげよう。ただし、貴重品だから大切に扱ってくれよ」
「はい!」
そして、ラリーは古びた台紙と向き合った。
台紙は恥ずかしげに言った。
「まあ、どうしましょう。あのラリーとキスができるというのに、こんなにしわくちゃのお婆さんになってしまったわ」
次の瞬間、ラリーは自分が間違っていたことに気付いた。
スタンプとは台紙の隙間を埋めるために作られた道具なのだ。
スタンプにとって、人生の目標とは、愛する女性を得ることではない。
そうではなく、台紙の穴を埋めることなのだ。
「気にすることはありませんよ、お嬢さん」とラリーは言った。
あたかも、アニメの登場人物のイケメン・ラリーのように。
「あなたはとても美しい。そして、私が押されれば、その美しさは完全になる」
「そ、そうかしら?」
「そうです。さあ、萎縮していると綺麗に押せないかもしれない。堂々と顔を僕に向けて」
そして、ラリーは台紙とキスをかわした。
(遠野秋彦・作 ©2007 TOHNO, Akihiko)
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