下高井戸近辺であれば、古地図を見てもたいてい位置関係が分かります。甲州街道、玉川上水、神田川の位置関係はほとんど変わっていないからです。
しかし、『文化財シリーズ26 甲州道中「高井戸宿」 杉並区教育委員会』の冒頭の「上・下高井戸村図」を見たときに、把握できないものを見てしまいました。
上高井戸村、下高井戸村を東西に貫く江戸道(府中道)という道です。従来、江戸から西への主要な道は、新宿追分で分かれる甲州街道(甲州道中)と青梅街道の2つだと思っていましたが、その中間に別の道が存在したことになります。
大宮八幡の近くを通っているというヒントから、この道を現在の地図上で特定してみました。
大宮八幡の位置 §
井の頭通りではない §
このあたりを東西に貫く主要な道路といえば、まず思い浮かぶのは井の頭通り(東京都道413号赤坂杉並線)です。
ところが、これはあり得ません。なぜなら、昭和4年の地図を見ているとき、この道路の経路が水路として描かれているのを見たばかりだからです。
WikiPediaの井の頭通りの以下のような記述から分かるとおり、道路が成立したのは比較的新しい時代なのです。江戸時代の道路ではあり得ません。
境浄水場から和田堀給水所までの間に水道管を敷設するための施設用地を道路に転用したために、以前は水道道路と呼ばれていたが、
方南通りでもない §
もう1本の候補は方南通りですが、これもあり得ません。なぜなら、井の頭通りと接続するところが三叉路になっていて、そこで途切れているからです。東西を貫いていません。
というわけで、途方にくれました。
はたして、このミステリーは解消できるのでしょうか?
江戸道(府中道)とは完全に消滅してしまった道なのでしょうか?
昭和4年の地図で調べる §
というわけで、世田谷区郷土資料館で買ってきた昭和4年の世田谷の地図の出動です。
いや杉並を見るのに世田谷区の地図か?と思いますが、この範囲までカバーされているので便利なのです。
さて、これを見て、大宮八幡の周辺を通り、東西を貫く道路がはっきりと確認できました。ただし、現在の方南通りとはかなり違います。現在の方南通りが大宮八幡の脇を通るまっすぐの道になっているのに対して、この道は大宮八幡を密着するように大回りしています。
現在の地図上におおまかにマッピングすると、おおむね以下のような感じになります。
そして、このようにしてみると、方南通り(に相当する道路)がここで途切れているという解釈が過去においては正しくないことが分かります。それは西方の人見街道に直接つながる「東西に貫く道路」であったのです。
結論 §
方南通りと人見街道はいずれも「東京都道14号新宿国立線」という1本の道路に属します。
以下の部分は、井ノ頭通り(都道413号)との重複区間とされていて、道路が切れている訳ではないようです。
というわけで、下高井戸を貫く江戸道(府中道)の正体は現在の東京都道14号新宿国立線に相当するが、経路は一部改変されているので同等ではない……というのが、現時点での結論です。
感想 §
甲州街道と青梅街道の2街道に挟まれた地域であるため、その中間に名のある主要な道があるとは思ってもいませんでした。これは盲点でした。
ちなみに、大宮八幡に行くために甲州街道を使わないで済む(甲州道中「高井戸宿」では実際に上の道を使って行った記録が紹介されている)ということは、現在の下高井戸駅付近を大宮八幡の(かなり遠い)門前町と位置づける解釈は無理があることになります (そういうアイデアを思いついたことがある)。