下高井戸、特に現在京王線下高井戸駅が存在する甲州道中下高井戸宿東端部分については、甲州街道、玉川上水、神田川の3つが最も接近しているという地理的な特異性があります。甲州街道、玉川上水の2つだけなら、代田橋付近の橋で交差しているのでここで距離0となって最も近いのですが、神田川ははるか遠くです。
ちなみに、現在は下高井戸交差点の場所で甲州街道と玉川上水跡地は隣接していますが、これは甲州街道の拡幅工事が行われた後の状況です。それ以前は、途中に民家などがあったと記憶します。それでも、非常に近いのは間違いありません。神田川はその交差点から北の方に下っていけばすぐです。かつて神田川が蛇行して削り取ったであろう低地も神田川だとすれば、すぐ下り坂になるので隣接していると言っても過言ではありません。
感想 §
重要な道路と河川がつながる部分は、物流上の要衝となり、人や物が集まって栄える……という考えが事実だとしても、下高井戸がそれに当てはまるかどうかは分かりません。というのは、玉川上水には有名な「通船問題」というものがあり、明治の非常に短い期間以外は船を通すことが禁じられていたからです。
神田川が通船を認められていたかどうかは興味を持って調べたことがないので分かりませんが、どうも通っていそうですね。とすれば、神田川(神田上水)と甲州街道(甲州道中)の間の物流の経路として、下高井戸が(ほんの少しだけ)賑わったという可能性も出てきます。
そうすると、なぜ下高井戸宿の中央付近、本陣付近ではない東端に、下高井戸駅が作られてそこが下高井戸の中心であるかのように繁栄したのか、という疑問の答えになる可能性もあります。