「実は作品構造的な心理表現としての必然性があった!? 「ネギま!」でパンツが見えて服が脱げる理由!!」の続きです。
「パンチラ=心の本音のチラ見え」説を検証してみます。
対象は14巻120~121時間目です。これを選んだ理由は特にありません。目の前にそれ(14巻)があったから、という以上の理由はありません。
120時間目、お茶をこぼして和服の下の下着を見せてネギを誘惑するクラスメート達 §
委員長に関しては、この場面で見せる発言、態度(ナギ探索への協力)が隠された本音の発露と見なせます。まあ、バレバレの本音ではありますが、後の懺悔で本人はバレバレに気付いていないらしいことが示唆されていますので。
他のクラスメート達は、ネギが欲しいというよりは、かっこいい彼氏が「色仕掛けを使ってでも欲しい」という隠された本音の発露見なせるでしょう。
121時間目、屋上喫茶での茶々丸と千雨の対話 §
ここで千雨は何回も盛大にずっこけていますが、実は一切パンチラがありません。これだけ盛大に身体がひっくり返り、足を開いて地面に座り込んでいるにも関わらず、パンチラはありません。
ここは、本音を見せる状況ではなかった、ということでしょう。
121時間目、屋上喫茶から茶々丸に抱えられて飛ぶ千雨 §
千雨のスカートの中のパンツが丸見えです。
ここは、実は千雨の心理のターニングポイントです。このコマを含む屋上喫茶からの脱出より手前で、千雨はネギと別れて立ち去るつもりでした。しかし、この後はずっとネギと行動を共にします。
つまり、ネギと行動を共にしたいという「本音」が行動に表出する瞬間が、パンチラとして描かれていると解釈できます。
121時間目、観覧車の中の茶々丸 §
ネギを膝枕にして嬉しそうな茶々丸のパンツが少し見えます。
この嬉しそうな表情こそ、茶々丸が本来隠すべき本音なのでしょう。
121時間目、観覧車の中の千雨 §
茶々丸に対して、「あんたと戦うのは面白そうだ」という千雨は、足を組んでいて、正面から僅かにパンツが見えます。
その後で、すぐ冗談だと誤魔化しますが、紛れもなく本音をチラリと見せたシーンでしょう。
暫定的なまとめ §
僅か2時間分に過ぎませんが、こうして子細に検討してみると、本音をチラりと見せることと、パンチラは連動しているように見えます。
更に大きな収穫は、「見えても不思議ではないのに見えない」という描写を発見したことです。見せられる時には必ず見せる、というわけではないようです。
ということは、見せる場合にはそれなりの見せる必然性が存在するはずです。
……なんてね。
このような文章を信じてはいかんぞ!
思うところがあれば自分で作品を読み込んで考えろ!