東京都水道歴史館に歩く途中で、文京区教育委員会の「油坂」に関する説明文がありましした。そこには、神田川の荷あげ場に通じる坂道という話が書いてありました。
それを見て、やはり神田川は物流に盛んに使われていたのかと思いました。
そうすると、甲州街道(甲州道中)と神田川(神田上水)が最も接近する現下高井戸駅付近が、物流の中継地として繁栄する可能性もあるな、と思いました。
……しかし、今のところ、現下高井戸駅付近に神田川の荷あげ場があったという話は見たことがありません。
桜上水はどうだ? §
一方で、桜上水駅のあたりには北沢川の支流の1つの水源地があったようです。この支流の跡はキッチンコートの入口の向かいあたりから残っています。とすれば、水がふんだんに使えるという理由で、このあたりに本陣を置いたという可能性も考えられます。現下高井戸駅付近にも神田川や玉川上水があったわけですが、神田川は低地を流れるため水を汲む手間が掛かりすぎ、玉川上水は管理が厳しく分水を経由しなければ水を使うことが許されていませんでした。目の前を玉川上水が流れていても、その水を使えなかったわけです。
それらを考え合わせると、玉川上水とは無関係であり、かつ標高の高い甲州街道と同じ高さで得られる水源は価値があった……という可能性も考えられます。
……考えられるだけで、それが事実かどうかは分かりませんけどね!
単なる思ったことのメモとして書いておきます。