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2008年07月17日
トーノZEROアニメ感想崖の上のポニョtotal 5234 count

ポニョ公開に伴って宮崎駿について語りたくなった奴は、語る前に念のため読んでおけ! 宮崎駿という「おやじ」の本質とは何か?

Written By: トーノZERO連絡先

 ポニョ公開に伴って宮崎駿について語りたくなる誘惑に駆られる人が多く出るだろう……ということで、一言だけ「よくある誤解」について書いておきます。もっとも、そういう人たちが、この文章を読む可能性は低いものですけどね!

よくある誤解 §

 宮崎おやじに関してよくある典型的な誤解は、彼が単一の主張を持ち、かつ、その主張が常に一貫しているというものです。そして、それはたいていの場合「自然と共に生きることの大切さ」という主張として認識されます。

 それを示す典型的な一例を以下に示します。

宮崎アニメ批判ですより

巷には絶賛の声が溢れてますが、私には疑問です。

私にはどうしても彼の映画を見て居ると「自薦(ママ、自然と書きたかったのか?)=善、人工=悪」といふうにしか見られないのです。

 つまり、宮崎おやじは「単一の主張を持ち」その主張が複数の映画にまたがって「一貫している」という前提を取っていることが読み取れます。

 このような主張の根拠の1つを以下に示します。

天空の城ラピュタでヒロインのシータが「名言」にこんのがあります。(ママ、こんなの、か?)

>土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、 土から離れては生きられないのよ

ようするに「自然と共に生きよう」という事らしいですが、

「自然と共に生きる」という事は「時には自然に殺されよう」という事でもあります。

なぜなら自然は時には自然災害で人間を殺しにくるからです。

 これが根拠として機能するためには、この台詞が宮崎駿の主張そのものだと解釈する必要があります。

 ところが、この解釈を採用すると、大地から離れて空を住み家とした空賊ドーラ一家は「悪」に分類されねばなりません。

 しかし、ドーラ一家は明らかに主人公パズーとシータの冒険の味方であり、ラストシーンで無事と再会を喜び合う関係となります。これを「悪」とは言い切れません。

 つまり、上記の解釈ではラピュタという作品全体を上手く解釈できないのです。

 言い換えれば、ラピュタという映画では以下の2つの相容れない別個の主張が見られます。

  • 人は大地から離れては生きていけない、という1つの正論
  • 空を飛ぶことに憧れ、飛行機械を作り出して冒険に乗り出すことには魅力がある

 では、なぜ相容れない別個の主張が1つの作品中に共存できるのでしょうか?

それは誰の主張か、という問題 §

 人は大地から離れては生きていけない、という主張はシータの台詞です。これはシータの信念なのでしょう。

 一方、飛行機械による冒険への憧れは、パズーやドーラ一家が持つものです。

 別人であれば、別の主張を持っていても不思議ではありません。

 極めて当たり前のことですが、その「当たり前」が見えなくなり、特定登場人物の台詞が監督の意思とイコール扱いされる例は珍しくないと言えます。

タタラ場は悪なのか? §

 このような矛盾構造は「もののけ姫」ではより明瞭に浮上します。

 「もののけ姫」という映画は、自然破壊を行う人間と、自然を司る神々の戦いを描きます。このような構造であるために、人間が悪であり、自然が善であると解釈する人はよく見かけます。しかし、映画を見ると分かるとおり、自然破壊を行っているタタラ場は、社会的弱者が救済される場所であり、けして「悪」を担う場とは描かれていません。タタラ場にもいい奴、悪い奴がいるし、同じような意味で自然を司る神々の中にもいい奴、悪い奴がいます。

 つまり、宮崎映画とは、本質的に「単純な単一の主張」に還元できるような内容を持ってはおらず、互いに相容れない複数の主張が含まれていると見るべきものです。

 ですから、宮崎おやじは「単一の主張を持っている」という前提そのものが誤りです。

転換される主張 §

 主張は単一ではないどころか、映画間で一定もしていません。

 たとえば、「となりのトトロ」では自然の中に済む不思議な生き物は、全て善良な存在です。しかし、「もののけ姫」になると力で相手をねじ伏せるような粗暴なタイプの者達が出てきます。

 また、初期には自然破壊は悪である、というメッセージ性のある作品も見られたものの、たとえば宮崎駿プロデュースによる「耳をすませば」では自然破壊によって成立した街そのものである多摩丘陵を肯定的に舞台とします。

 「千と千尋の神隠し」では、油屋は古い伝統的な建築などではなく、新しい俗っぽい建築物に過ぎません。そして千尋は最終的に、自然の中の一軒家であるゼニーバの家にたどり着きますが、そこは最善の安住の地として提示された場所ではありません。主人公千尋はそこから油屋へ、そして家族のところへ戻っていきます。

 つまり、宮崎おやじの主張は、単一ではないばかりか、複数の映画にまたがって「一貫していない」のです。

結論 §

 つまり、宮崎作品は一貫して「XXという主張をしている」という語りは、たいていの場合、成立しません。成立しているように思えるとしたら、それは錯覚です。

 また、たった1つだけの主張を含んでいると考えるのも、同様に誤りです。目立つ印象的な台詞を抜き出して、それを監督の主張であると見なすのも無理があります。登場人物は監督自身ではなく、その作品世界を生きる独立した人格です。彼/彼女の台詞には、監督の考えが投影されることがあるとはいえ、彼/彼女は監督自身ではないのです。

補足・映画に見えない宮崎駿を知るには? §

 映画に出てこない宮崎駿を知りたいが、どうすればいい?と思った人がいるとしたら、「ブラッカムの爆撃機」あたりを読んでみてはどうでしょう?

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