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The art of Ponyo on the cliff by the sea
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紀伊國屋書店

2008年07月16日
トーノZEROアニメ感想崖の上のポニョtotal 4822 count

ポニョは男に都合の良い映画か? 女をモノ扱いするか? セカイ系か?

Written By: トーノ・ゼロ連絡先

 以下はネタバレを含みます。ネタバレを望まない場合は、すぐに読むのを中止してください。

 また、以下は十分な検証を経ていない内容を多く含むため、正しいという保証はできません。むしろ、間違っていると思って読むのが知的な態度でしょう。

 なお、この文章におけるセカイ系に関する記述は、WikiPediaのセカイ系の記述を引用しています。

す。

ポニョに対する3つの指摘 §

 ポニョの感想を探している時に読んだ感想に、興味深い2つの指摘がありました。更に、私自身が気付いた疑問も1つあります。以上3点の要旨を私なりに要約して以下に示します。

  • 大した理由もなくヒロインが男性主人公を好きになってしまうのは、ハーレム型のオタク向けアニメの基本パターンである。これは男に都合の良い身勝手なパターンであり、女性蔑視である。そして、ポニョも大した理由もなく主人公を好きになってしまう
  • 魚のポニョも好き、という理由が、序盤の主人公の行動に見られるような「珍しい生き物を所有するのが好き」という意味なら、対等の恋愛感情ではなく、コレクションするモノに対する「好き」でしかない。この映画は、女をモノ扱いしてコレクションする心理を肯定していることになる
  • 主人公がポニョを好きであるという感情が世界を救う。これは、「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと」というセカイ系の定義(の1つ)に当てはまる。とすればこの映画はセカイ系作品である。そして、セカイ系とは社会との関係性も確立できていない精神的に未熟な男性を、世界を救うヒーローとして肯定してしまう劣悪なジャンルであるとすれば、ポニョもまた劣悪な映画ということになる

 これらの指摘が全て正しいとすれば、ポニョは精神が幼児レベルのダメ男性を肯定し、女性を蔑視するダメ映画ということになります。

 では、この3つの指摘を順次検証していきましょう。

ハーレム型のオタク向けアニメとは何か §

 ここでは便宜上、以下のような定義であるとしましょう。

  • これといって特徴のない主人公の男性が、さしたる理由もなく、大多数の女性登場人物から好意を寄せられる

 ポニョにおいては、「大多数の女性登場人物」という部分を「ポニョ」という固有名に置き換えれば成立するように見えます。

  • これといって特徴のない主人公の男性が、さしたる理由もなく、ポニョから好意を寄せられる

 ここで、「ポニョ」を「ヒロイン」という一般性のある言葉に置き換えてみましょう。

  • これといって特徴のない主人公の男性が、さしたる理由もなく、ヒロインから好意を寄せられる

 実は、このようなパターンは一般的な映画のジャンルでは珍しくありません。地味で平凡な「僕」が、突然きらびやかな女性と運命的な出会いを果たし、恋愛関係になっていくのは「よくあるパターン」であって、オタク向け作品に限定される特質ではないのです。

 なぜ、これといって特徴のない主人公の男性が、さしたる理由もなく、ヒロインから好意を寄せられることが可能なのでしょうか? それは、そもそも「恋」に理由はないからです。好きになるのに理屈は無いのです。

 しかし、「大多数の女性登場人物から好意を寄せられる」というパターンはまずありません。恋のライバルが出現することで複数女性から好意を持たれることはあっても、「大多数の女性登場人物」が「これといって特徴のない主人公の男性」に好意を寄せることはまずありません。「恋」に理由はない以上、特定の1人にだけ集中することもあり得ないのです。

 とすれば、ハーレム型のオタク向けアニメを特徴づける決定的な条件は「これといって特徴のない主人公の男性が、さしたる理由もなく、好意を寄せられる」という部分にはなく、「大多数の女性登場人物から好意を寄せられる」ということになります。

 ポニョにおいて主人公に好意を寄せる女の子はポニョだけなので、「ハーレム型のオタク向けアニメ」の特徴には合致しません。

 つまり、この指摘は妥当ではありません。

2008/07/23追記 宗介は、幼稚園の女の子やデイケアセンターのおばあさん達にも好かれていて、「主人公に好意を寄せる女の子はポニョだけ」という記述は適切ではないという指摘を頂きました。この指摘に沿って考えるなら、、「大多数の女性登場人物から好意を寄せられる」という特徴を満たすようにも思えます。しかし、おばあさん達の宗介に対する好意は、恋愛に類するものというよりは、孫のような子供に対する好意と考えられます。すると、熱心に宗介に絡むのは幼稚園の女の子1~2人となりますが、これは通常の恋愛ドラマでの「恋のライバル」の範疇の収まる人数となります。

補足・本当に理由はないのか? §

 無謀な家出という行為によって死にかけた自分を助けてくれた、というのは、好きになるための十分な理由になるかも知れません。

なぜ宗介はポニョが好きなのか §

 主人公が魚のポニョが好きなである理由が、「珍しい生き物への所有欲」ではないとする根拠はありません。つまり、主人公がポニョに対するコレクション欲を持っていないとは言い切れません。この点で、「女をモノ扱いしてコレクションする心理を肯定している」という指摘を全否定することはできません。

 しかし、主人公の5歳という年齢設定を考えれば、他人を所有できるという錯覚が未だに残っていても不思議ではありません。そして、そのような錯覚は成長するに従って解消されていくものです。事実として、この映画の中で、ポニョは「思い通りにならない」存在として主人公に負担を掛けていきます。主人公の船は、火を入れればいつでも走りますが、ポニョはいつでも魔法を使ってくれはしないのです。つまり、船は「コレクションされるモノ」ですが、ポニョはそうではないのです。

 では、モノではないとしたら、主人公から見たポニョの位置づけとは何でしょう? まだ5歳の子供なので、身近な何かから類推して把握していると考えるのが自然でしょう。その場合、お手本になるのは、デイケアセンターに勤務する母親と、彼女が面倒を見ている老人達です。責任を持って面倒を見なければならない不自由な存在に対して、愛情を持ち、親身になって向き合っていく態度がそこにあります。それをお手本に、主人公はポニョに接したようにも見えます。

 そのように解釈すれば、この映画が「女をモノ扱いしている」という指摘は誤りとなります。

補足・老人達が登場する理由 §

 老人達が登場する意味が分からないという感想も見られますが、このように考えれば老人達は登場しなければならなかったことが分かります。母親が老人達に接する態度を見ることで、主人公はポニョと向き合う態度を決定することができたわけです。

主人公は本当に世界を救ったのか? §

 この映画では、天文学的な地球の危機が発生します。その原因はポニョの魔力にあり、その魔力を消滅させるために、ポニョは人間になる必要がありました。そして、そのためには、主人公がポニョを好きである必要があります。

 従って、主人公が持つ「好き」という感情が世界を救ったことになります。

 これだけ見ると、セカイ系の定義に当てはまるかのように見えます。

 しかし、以下の指摘を踏まえると、かなりセカイ系とは異質であることが見て取れます。

  • 陰惨な戦闘を宿命化された少女(戦闘美少女)と、それを傍観する以外方法がない無力な少年というキャラクター配置もセカイ系に共通する構図とされている

 この映画において、ポニョは戦闘美少女でもないし、戦闘を宿命化されてもいません。しかし最大の相違は、主人公が「傍観する以外方法がない無力な少年」ではない点でしょう。この映画のクライマックスにおいて、主人公は誰の助けも借りることができない状況下で、魔法も使えない上に眠りかけたポニョという重荷も抱えて、母親のところまで自力で行かねばなりません。これは「傍観しかできない無力な少年」という特徴の対極にあります。

 更に、主人公が果たそうとしたことは何かを考えると、実は主人公が救おうとしたのはポニョであり、母親であり、さらには自分自身であったことが分かります。彼は、世界を救うために行動したわけではありません。

 では、世界を救うために行動したのは誰でしょう?

 ポニョの父親、母親、そして、ポニョの母親と1対1で話をして、おそらくは様々な問題について話を付けた主人公の母親です。

 ポニョの母親は危機の回避策を構想し、関係者である主人公の母親と1対1で話して話を付け、ポニョの父親は円滑に策が機能するように主人公を迎えに出、主人公の母親は人間になったあとのポニョについての責任を背負ったはずです。

 とすれば、意識的に世界を救ったのは実質的にこの3人であるとも言えます。

 そのように考えると、「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)」の関係性が、世界の危機とは直結していないことになります。

 つまり、この作品はセカイ系の構造には当てはまらないのです。

補足・セカイ系は本当にセカイ系か? §

 セカイ系と言われる作品群が本当にセカイ系であるかは、大いに疑わしいと考えています。おそらく意識的にセカイ系として執筆されている「涼宮ハルヒの憂鬱」のような作品は、「具体的な中間項を挟」まない典型的なセカイ系の構造を持ちますが、逆にセカイ系の典型的な作品とされる「最終兵器彼女」は単に「中間項を間接表現で描いているから具体的な表現として出てこないだけ」であり、「具体的な中間項を挟むことなく」の条件には当てはまらないような感があります (1巻しか読んでいないので、漠然とした印象に過ぎませんが)。

 そのように考えると、実は「中間項」が「無い」と考えるか、作品上重要ではないので「具体的に描いていない」と考えるかで、作品の持ち味や位置づけが著しく変わる可能性があります。

 ポニョの場合、「中間項」があまり描かれない理由は、5歳の主人公の主観視点ではそのようなものがあまり具体的に意識されないからだと考えられます。

 たとえば、彼は災害救助に自衛隊が来てくれる可能性については、おそらく意識していません。それゆえに、たとえば護衛艦が救助に来るまで待つという発想はありません。しかし、実際に被災現場にやってきた護衛艦を見てその存在を知ることはできます。だから、最後のシーンで護衛艦が描かれます。これは、「中間項」の一種としての自衛隊が「無い」という物語ではなく、「直接的に描かれていない」物語だと解釈できます。

まとめ §

 最初に述べた3つの指摘は、いずれも表面的かつ部分的な類似性を指摘したもので、いずれの指摘も妥当ではないと結論づけられます。

 従って、ポニョは精神が幼児レベルのダメ男性を肯定しているわけではないし、女性を蔑視するダメ映画でもないことになります。

 むしろ、男の子が誰も助けてくれない状況でも1人で頑張ることの価値や、他人にすがるよりも、他人を支える立場を取る主人公の母親への称賛を描いた映画だと言えます。

補足・強い女性? §

 主人公の母親は単に強いだけではなく、夫に甘えたいという欲求もあるわけです。いかに強く振る舞っても、彼女自身も傷つく心を持つ1人の人間です。だから、この映画は、その心の弱さを肯定した上で、それでも強く他人を支えて生きよう、と言っているのでしょう。しかし、誰もがそう生きろ、という押しつけではありません。事実として、誰でも他人を支えられる余力を持つわけではありません。そうではなくこの映画で言いたいのは、「今時のヒーローとは、他人を支えられる人なのだ」ということなのでしょう。たぶん。

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