山手線に乗っていて、西日暮里あたりの車窓を見ているときにはたと気付きました。
そうか! 線路脇に続くこの高い崖こそが、武蔵野台地の終着点ではないか!
更に、舎人から伊興へ歩いてやっと実感としての東京地形の巨視的構造が把握できた感じがあります。
東京地形の巨視的構造 §
- 東京の地形は、おおむね西と東に分けられる
- 西は台地だが、東は低地であり、全く性格が異なっている
- 台地は水が乏しいのが低地は水が豊富に使える
- 従って西は野菜、東は米中心の農業が行われる
- 交通面では、西は街道中心、東は水運中心となり、東の方が効率が高い
- 従って、東の方がより「利益を生む」性格を持つ
- 利益の最大化を実現するには、住宅や学校などの非生産的な施設は、利益を生みにくい西に建設されるのが自然な流れである
- 従って、市街地は西方に延びていくのが必然である
これにより、以下の2つがストレートに解釈可能になります。
なぜ江戸東京の中心は西に向かって移動していると言われるのか §
当初、江戸城つまり皇居は江戸市街地の中心ではなく、東端に存在していたとされます。しかし、徐々に市街地は西に拡大し、皇居は東京の空虚な中心とまで呼ばれるようになります。これは、利益を生みにくい台地上に市街地が伸びていったとすればストレートに解釈できます。
なぜ山の手の範囲はどこまでも西に広がるのか §
「山の手」という呼称が示す位置も西進している、という話があります。以下のように番号を付けて分類する人までいます。(このあたりで出た話題)
- 第1山の手 本郷界隈
- 第2山の手 麻布・青山あたり
- 第3山の手 世田谷・杉並・目黒
- 第4山の手 三多摩・横浜・川崎市内陸部などを中心に開発された新興住宅地ゾーン
無節操にどこまで「山の手」が広がるのだろう、と思いましたが、「山の手」イコール「武蔵野台地」と考えれば何らおかしいことはありません。要するに江戸東京東部の低地より高い部分は、全て「山の手」と呼んでおかしくないのでしょう。
感想 §
本を読む等で知っていたはずの話ではありますが、やっと実感として分かるようになってきました。