最近、スカイ・クロラとユルギス・カイリスの関係を少し考えてみたわけですが。
話はそこで止まらないことに気づきました。
Model Graphix (モデルグラフィックス)で連載中の宮崎駿新作「風立ちぬ」も、この話題の延長線上にあるのではないか、と気づいたわけです。
「ナ・バ・テア」の冒頭で §
「ナ・バ・テア」の冒頭部分を読み直して気づいたのですが。
最初にクサナギが請われて説明する空戦機動はクルビットターンそのものです。そのような意味で、イノセン・テイセスのマニュアル・マヌーヴァにクルビットターンが含まれるのは正しいと言えます。
また、せっせとTom Clancy's H.A.W.XをOFFモードで飛んで、役立ちそうな失速系の空戦機動はこれしかない、と結論づけたこととも一致します。
これは、スカイ・クロラ世界とTom Clancy's H.A.W.X、もちろんイノセン・テイセスも含めて、ポストフランカー世代のユルギス・カイリス的な世界観の中にあることの1つの証拠なのでしょう。
しかし、話はそこで終わりません。
実は 「ナ・バ・テア」ではその後で、最新の軽い戦闘機をティーチャが断り、ナンバーツーのクサナギにまわされたことが明らかになります。更に、ティーチャは重い機体の方が良いと明言します。軽い機体とは逃げるためのものであり、襲う側は思い方が良いというわけです。
つまり、コブラ以後の失速を前提とした機動の否定です。
ここで、あえてコブラを可能としていないメインストリームのACE COMBATシリーズの立ち位置も関係してきます。その方が良いのだと断言する思想もあり得るわけです。
さあ、ワクワクしてきましたね。
確かにそれはそうなのだ §
実際、失速系の機動が良いものかといえば、かなり疑問があります。大空のサムライ、坂井三郎氏が言うとおり、空戦の極意が据え物切りであり、つまり先に見つけて先に撃ち先に落とすことが最も良いやり方だとすると、当然クルビットターンのような技は良いやり方には入らないし、ましてコブラなど空戦でやっても良いことはあまり思いつきません。
とすれば、ここでテクニックを駆使できる軽戦闘機と、パワーで押し切る重戦闘機はどちらが優れているのかという議論にも発展しうるわけです。
しかし、そういう議論はとっくの昔にやられています。
そこで「風立ちぬ」 §
零戦や隼の開発前夜の状況とは、要するによく回る軽量の戦闘機を求めるベテラン戦闘機パイロットと、より洗練された戦闘機を作りたい者達の間で熾烈なやり取りが行われた時代と言えます。
宮崎駿の「風立ちぬ」が描いているのはまさにそれです。
そのような観点から言えば、たとえば零戦もある種の妥協の産物です。
堀越技師が最も理想的に夢見た機体はといえば、おそらく九試単戦の試作1号機ということになるでしょう。
つまり、散香を最も理想的な戦闘機として捉えないとしたら(それはスカイ・クロラという作品自身が内部で自ら指摘していることでもある)、果たして何が可能なのか。そして、それはいかにして不可能化されていくのか、を描くのが「風立ちぬ」かもしれません。とすれば、これはスカイ・クロラのその先を描いていることになります。
ちなみに、押井守と宮崎駿は互いに相手を意識する関係ですから、当然宮崎駿がスカイ・クロラを意識することはあり得ると思って良いでしょう。
感想 §
イノセン・テイセスで、押井守と森博嗣とProject ACESがつながったときは驚きましたが、そこに宮崎駿まで絡んでくるとは。というか、これで「風立ちぬ」のポジションがやっと明確に把握できてきましたよ。なぜ今、堀越技師であり、九試単戦なのか。