コンビニ版のひおあきら版が2010年1月23日に発売になっていて、もちろんその日に買いましたが。これが凄い。カットされたはずのシーンが満載です。一方で、死んだスターシャの語りがくどくありません。最後のデスラーと古代の会話も、どこかの惑星上として描かれています。宇宙なのに平然と会話しているわけではありません。
つまり、新たなる旅立ちの初期案に極めて忠実であり、アニメで感じた不満感を全部解消してくれるぐらい凄いものでした。最後の会話の舞台は特に設定されていなかったので、ひおあきらオリジナルの背景なのかも?
でも昔は §
ひおあきら版=好き勝手という印象が強く、おそらく当時これは読んでいません。それなのに、今になって「これこそが忠実である」という認識を持って読めるとは。これは頭を丸めてお詫びしなきゃいかんですな。(GNOでは禿艦長いうな~w)
しかしあれですなあ §
真田出撃は、やはり古代守が「守られるだけ」のダメ男じゃないという重要なシーンであるし、ゴルバの惑星破壊に至っては台詞の整合性が完全に壊れてしまう悪いカットだと思いますが、そういう不満が全て一掃されるいい作品ですなあ。いやほんとに。
しかし、こうして読むと真田出撃も重要です。というのは、守がスターシャに黙って行動するというのは、スターシャが守に黙ってイスカンダルを爆破する重要な伏線だからです。真田の行動に目が行っているとそこまで気付きにくいのですが、こうして読むとそれが分かります。
ついでに、娘が古代に黙って(嘘をついて)、デザリアムに残るのも同じ構造ですねえ。つまり、妻も夫も娘も似たもの同士ということで。
敵は暗黒星雲帝国 §
あれれ。星団ではないですよ。星雲ですよ。これも初期案がかいま見える?
味方殺し §
それにしても、味方を犠牲にして殺しまくるデスラーの執念は凄いものがあります。しかし、味方もよくデスラーの指示に従っていると思います。普通に考えれば、いくら双子星とはいえ、別の星のために死んでいるわけですから。しかし、「やむを得ない」という側面もあります。ガミラスの暗黒星雲勢力の撃滅までは意識的な行動であり、部下の賛同を得られやすいものです。イスカンダルを追うところまでは、まだ付いていけます。それによって死ぬわけではないですから。しかし、その後の暗黒星雲による攻撃は受動的なもので、生き延びるには戦うしかありません。そういう意味で、デスラーの「スターシャを救え」という意図にどこまでガミラス人兵士が忠実であったかは分かりません。故郷を滅ぼしたヤマトへの復讐という分かりやすい共通目標を失った後、結束のためにガミラスを見に行く必要があったわけで、そういう意味で戦意の低い兵士が多かったとしても不思議ではないような気がしますが、彼らはあっさり殺され、戦意のあるデスラー自身が直率する旗艦と実戦経験がほしくてうずうずする若者を乗せたヤマトだけが残ったわけです。
イスカンダルのワープ位置 §
イスカンダルの位置は、地球からワープ数回ですぐ到達できる場所ということが明示されています。アニメでは明示されていないので、1年掛けて往復したイスカンダルにあっさり一瞬で到達できるようにも見えますが、そうではないわけですね。
イスカンダルに防衛手段はあるのか無いのか? §
ガミラスからの独立をスターシャ1人でも維持してきたイスカンダルですが、新たなる旅立ちではあっさりとマザータウンの海にデスラー艦隊が降下しています。
やはり、放射能除去装置がガミラスからの侵略を抑止する切り札であり(ガミラス人はそれを使われると呼吸できない大気になるのだ)、それをヤマトにあげて無くなってしまったから?
さあ次は! §
2010年2月6日の永遠にだ!
……と言いたいところですが、その前に2日にヤマトファクトファイルという気になるものが操艦もとい創刊されます。