以下、エで始まるあのアニメという用語は本放送のTV版を意味するものとします。映画やDVDは見ていないので分かりません。ただしフィルムコミックで昔の映画は少し見ています。
ヤマトが良いか悪いかという話は実際には混濁しています。
- ヤマトは1つではない
- ヤマトを肯定しても個々の作品を行為できない場合もある
こういう複雑な問題と向き合ってきちんと仕分けしていけば、そう簡単に何かを言えるわけがありません。
しかし、エで始まるあのアニメが面白くないという理由は明快です。
単純に中身が無く、スカスカだから。
しかも、ダメな作品の類型をなぞって、更にダメな作品を上積みしてくれたから。
この場合の「ダメな作品の類型」とは以下の条件を意味します。
- 生体兵器である
- 斬新さを出そうとしているが実際は悪い類型であり、斬新ではない。「斬新を装うよくあるファッション」でしかない
- 難解さ、複雑さ、情報量の多さを演出しているように見えるが、実際はありきたりのことを並べた独自用語の設定が多いだけである
- 勢いがあるのは最初だけで尻すぼみになる。続けられるだけの中身がないからである
というわけで、エで始まるあのアニメは最初に(TVの第1話の本放送のことだ)見たときから既に「悪い類型そのもの」であることが見え見えであり、あまりの中身の無さにうめいてしまったわけです。つまり、エで始まるあのアニメのファンであったことは一度もないし、裏切られたと思ったこともありません。
ところが、世間は中身をあれこれ想像して盛り上がってしまったわけですね。でも、それは実際には無かったわけです。(無いことは最初から見えていたのに)
しかも、辟易するほど見たダメな典型的類型のありきたりのエで始まるあのアニメが斬新だって?
ははは。(乾いた笑い)
なぜ「類型」はこうも似通ったのだろう? §
作品を的確に描けない場合、まず巨大ロボットは良い題材です。巨大ロボットとすればある程度フォーマットが決まり、しかも亜種派生形が多いので巨大ロボットの設定やデザインが違っていればマジンガーZの真似じゃないか、とは言われません。
しかし、それすら的確に描けない場合は更に巨大ロボットの変種としての生体兵器を持ち出すことになります。そうやって、対象をずらすと、ありきたりなアイデアでも比較されてしまうことを回避できます。
更に見かけ以上に中身が多いように見せかけるには、ありきたりのことを独自の言葉で言い直す独自設定の山が有効です。
しかし、もともと中身がないので、始まりのスケールは大きいものの、最後はスケールが小さくなります。というか、終わることさえできない可能性が大きいと言えます。実際、エで始まるあのアニメもその通り、TVシリーズで「悪名高い最後の2話」で終われなかったわけです。予算の問題もあるにせよ、大きすぎる風呂敷を畳めるだけのネタが無かったから、という側面も大きいでしょう。
(もっとも、この最後の2話を過剰に叩くオタク達もさして賢くは見えないし、むしろ自分は庵野監督を弁護する側に立ちかねないと思っているが、もちろんそれはエで始まるあのアニメという作品の評価とは別のレイヤーの問題である)
「類型」の逆は何か §
エで始まるあのアニメが嫌と言うほど繰り返された悪い類型の末裔なら、その類型の真逆に位置づけられる作品とは何でしょうか?
とすれば、ずばりヤマトです。
生体兵器どころか、巨大ロボットにすら頼らないでストレートに普通の言葉で独自用語もほとんど使わず、人間ドラマを描いているからです。
4本足の不細工なロボットが時々出てくるだけのゼロテスターですら少し物足りないのに、まして毎回2本足のロボットが出てくるガンダムです。
それと比較して、ロボットに頼ることすら必要としないヤマトの力強さよ。
(なに? アナライザーも2本足のロボットだろうって? 人が操縦するロボットと違って、実質的にスカートめくり担当キャラだからいいのだ)
つまりだね §
そういう風に考えるヤマトファンも世の中にはいるわけです。
逆に言えば、だからこそヤマトファンというわけです。
分かるかな? わかんねえだろうな。イエーイ
(オレが昔トマトだった頃、兄さんはヤマさんで、父さんはヤズマットで、我が友はヤマトだった)
余談 §
よく考えたら、3つに分かれて飛行できるアナライザーは、ワンピースのバギー船長そっくりですね。「ワタシ、カサバラナイ」
やはり、ヤマトの伝統を引き継ぐのはむしろワンピースなのかも。