きむらたかし@三田用水さんより詳細に教えていただきました。ありがとうございます。
- M42 測T10 修測2・1万分の1・世田谷 役場は、現若林小のすぐ北、堀ノ内道・滝坂道の交差点の南西にある
- S17 大東京明細地名図 役場は堀ノ内道・滝坂道の交差点の南東にあり、瀧坂道をバスが通っている
つまり、現位置に移転する前にも場所が変わっています。ただし、「世田谷区」はまだありません。以下のリストもきむらたかし@三田用水さん作です。
- 明治22年 5月 1日 (広域)世田谷村成立
- 大正はじめ 村役場建築
- 大正 3年 4月 1日 世田谷町成立 村役場がそのまま町役場に
- 昭和 3年 町役場建築
- 昭和 7年 世田谷区成立 町役場を増築して区役所に
ですから、区役所の研究を通り越して、それ以前の町村の役場の位置にまで話が及びました。
一応、そういう話を想定していなかった訳ではありませんが、詳細な場所の変化まで分かるとは目から鱗です。
そもそも §
そもそもなぜこういうことに興味を持ったのかというと、実は世田谷線が当初計画よりも若林付近をピークに北よりである理由になるかと思ったからです。
つまり、以下の条件を満たす位置に若林駅があると思うと、筋が通るのかもしれない、というアイデアです。
- 川をなるべく渡らない条件でできるだけ上記の位置に接近させる
だから、若林付近で烏山川に接近しますが渡らないで元の経路に戻っていきます。
もう1の話題・玉川区独立運動 §
区史を見ているときに目に入った話題が玉川区独立運動です。
世田谷村→町→区と役場→役所が同じ位置にあるとすれば、周囲を併合しながら大きくなっていたことになります。併合された側は面白くないわけで、やはり独立運動もあり得たのでしょう。そういう運動に水を差したのが東京都による22区にまとめる構想(後から1つ増えて23区)ということのようです。これは東京都だけでなくバックに国やGHQの存在もあり得るかも知れませんが、やはり分け方が大ざっぱすぎた気もします。とりあえず、区役所に行くのに必要な手間のことをあまり考えていない分け方でしょう。