最近になって思うのだけれど、やはり模型は作ってナンボだな。
ただし、根性を入れすぎると逆に作れなくなってしまうから、そのあたりの妥協点をいかにして納得するのかという問題。
少しごそごそやったら6個も見組み立てのフィギュアのガレキが出てきたので、本気で組み立てることを考え始めました。
割り切り方 §
- 模型雑誌を買わない (凄い作例に意味は無い。作る意欲が削がれるだけ)
- 新しい良いキットがあっても知ったことではない (模型店に何があっても、目の前にあるキットこそが自分の現実だ。作りもしないキットを買い込むと、単体では安いように見えても累積すると意外と高く付く)
- 見えないところはどうでもええやないか (スカート付きフィギュアのパンツがモールドされていても、組んだら見えない)
- 素材の持ち味を活かす (場合によっては「塗らない」ということも視野に入れる)
- 色はぜんぜん違ってもいいじゃないか (設定に対する忠実度は度外視する)
- 乾燥が遅いアクリル系以外の塗装手段を模索する (ガンダムマーカーで塗れる部分もあるはずだ)
- フィギュアなら根性を入れるのは目だけでいいだろう
出てきたフィギュア §
- ときめも系3個 (自宅にもう1個ある。藤崎詩織だけ水着)
- 明菜ちゃん (スーパーズガン)
- サクラ大戦系 (水着さくら、水着アイリス、透明素材の限定版)
真面目に定価で買ったのはサクラ大戦系だけ。残りは、あくまでフィギュア作りの練習用として「なんでもいいからガレキのフィギュアを買っておこう」という趣旨で安く買ったものでしかありません。元キャラに思い入れがない(それどころかときめも系はよく知らない)ので、大胆にやれます。
素材の持ち味を活かす §
「素材の持ち味を活かす」というのは、肌色をあえて塗らないという方法論を思いついたからです。肌色に近い色で整形されているので、それでもいいかなという思いがあると同時に、違う色でもええやないかという気持ちもあります。それが言わば「設定至上主義」ではない「別の表現」ということですね。極端な話、肌が真っ黒で白い服を着ていてもそれはそれでええやないか、ということです。それでかえって身体のラインが栄えるならね。だから、透明素材の肌をあえて残すというのもありです。それはそれで一種の表現でしょう。
問題は §
いや本当に作れるのかが問題ですね。っていうか、時間と根性の問題?
余談・パンツを無視するのか? §
結局、オタクの本心がエロであることが良く分かるのが、見えないのに作り込まれたパンツのモールド。しかし、これは決然と無視していきましょう。見えないものは無視。わざわざ下から覗く奴らはどうするかって? どうもしません。でも、見える水着は無視できません。ここは印象的な見せ場なので、やはり表現を考えます。
余談・フィギュアって? §
人物模型をフィギュアと呼んでますが、今や世間では何でもかんでも模型をフィギュアと言いたがり、違和感がバリバリですね。戦車のフィギュアと言われても、もう理解不能の世界です。戦車模型はフィギュアじゃなくて戦車模型でしょう? それとも、戦車に乗ってる戦車兵の人形のことを言ってるのかな? まあ他人は他人ということでいいや。