「先に言い忘れた話をするぞ」
「うん」
「元旦のTOHOシネマズ府中だが、もう1つ驚いたことがあった」
「なに?」
「ヤマトグッズの割合は多くないが、割と目立つ場所に移動していた」
「なるほど」
「しかも、前に見たときはSPACE BATTLESHIP ヤマト上映中なのにグッズはアニメのヤマトであったが、元旦に見たときはちゃんとSPACE BATTLESHIP ヤマトのグッズになっていた」
「その差はでかいね」
「そうだ。木村拓哉の顔を見に来た客に、アニメの絵はアピールしないからだ」
「周辺ビジネスもやっとエンジンが掛かってきた感じだね」
「売れないなら仕方がないが、売る物がないのは明らかに問題だからな」
本題に行こう §
「じゃ、そろそろ本題に入ってよ」
「うむ。Amazonに行くとたまに『宇宙戦艦ヤマト伝説』という本を推薦される。ヤマト関連のアイテムをいくつか買ってるからだろう」
「うん」
「その時、なんとなく『そういう本もあるのか。古いし、まあとりあえずいいや』と思ってあまり真剣に見ないで流していた」
「そうか」
「ところが、本棚を整理中に出てきた」
「ええっ!?」
「持ってたんだよ、昔から。安斉レオ編の『宇宙戦艦ヤマト伝説』を」
「なんと」
「古いから忘れてしまったらしい」
「へぇ」
「骨の髄までヤマトファンだということを忘れていた」
「そうなの?」
「高額商品をほいほい買えるほど贅沢ではないから、あらゆるヤマトグッズが揃っているわけではないが、たかが1800円の本1冊なら目に入れば買って当然だったわけだ」
「なるほど」
「パラパラ見た感想は2つある」
「どんな感想?」
「1メートルヤマトという話が出てくる」
「ええっ!?」
「そういうサイズのヤマトを作ったらしい」
「15メートルヤマトの原型みたいな存在だね」
「そうだ。1のあとに5を挿入するだけでもう15メートルヤマトだ」
「なんか違う」
「ネタからネタに受け継がれる大ヤマトの息吹は永遠に終わることはない」
「ははは。もう1つは?」
「ひおあきら版の解釈が甘い気がする」
「というと?」
「好意的なのだが、原作無視の暴走という捉え方だ」
「そうか」
「現在のおいらは、フィルムにならなかった元設定にむしろ忠実という評価だから、独自暴走とは違う」
「なるほど」
「あと、ひおあきら版が良いのは最初だけで途中からただの映画の忠実なコミカライズという評価なんだが、実際は映画にないシーンがいくつも見つかり、映像になる段階でカットされたシーンのあたりを付ける良い材料としてこちらからは意識されているがそういう評価はあまり無い」
「なるほど。最初のボタンの掛け違いが大きいのかな」
「よくは分からないけどな」
「で、全般的にどうなのかな」
「総論から言えば、松本先生がいちばん元気だった時代の本だろう。復活編などという話が冗談としても語り得ないが、松本先生の新ヤマトはすぐ目の前だ。新ヤマトがあっけなくこけるとか、西崎さんが裁判で勝つとか、復活編ができるとか、実写版ができるとか、そんなことは夢想としてすら語れない時代の本だ」
「なるほど。時系列的に見るとまほろばより後、新ヤマトより前か」
「だから、かなり前提が違っている気がする。松本先生の関与が浅い作品ほど扱いが軽いし、少し揶揄したようなニュアンスさえある。西崎対松本の争いも西崎に勝ち目無しという論調でみんな一致している」
「うーむ。凄い話だね」
「だから話がどうしても変な感じで滑っている感じかな。みんな熱意があるんだけど、それが空回りしている感じかな」
「空回りか」
「その空転を止めるために砂を線路に蒔いたのは結局、西崎さんであり、山崎貴監督であったわけだ」
「松本先生は蒔けなかったわけだね」
「残念ながらそうだ。蒔こうにも蒔けなかったという可能性もある。そもそも、1999年7月2日発行のこの本だが、1998年3月7日に公開された銀河鉄道999エターナルファンタジーの翌年にある。既に999の未来はこの時点で絶たれていたのだろう。しかし、ヤマトさえ取り戻せば逆転は可能という夢がまだ見られた時期なのだろう。新ヤマトも控えているし」
「でも、取り戻せなかった訳だね」
「当時の関係者には意外だったかもしれない」
「でも、今から振り返ると当然としか思えないね」
「松本先生参加以前の企画書が原作として認定されちゃうとねえ」
「じゃあ、結局どうなんだろう?」
「少なくともこれだけは言える。999のファンはヤマトが999の横を飛んでいる映像は別に見たくなかった。ハーロックのファンはヤマトがアルカディアの横を飛んでいる映像は別に見たくなかった。まほろばや新ヤマトをヤマトのファンが見たかったわけではなかった」
「そうか。ニーズとシーズのミスマッチか」
「松本先生は自作品の世界を1つに統合したかったようだが、ファンサイドも同じではなかったのだろう。たぶん」
「ならばヤマト1本に絞って映画を作った西崎監督や山崎監督は正しかった、ということかな」
「結果としてはそういうことになる。まあ、あくまで結果論だけどな」
オマケ §
「ああ、やっと分かってきたぞ」
「何が?」
「松本先生、やり過ぎ、言い過ぎという感じがある。特にこの時代は顕著だ。最近は少し毒が抜けてきた気がするが」
「それで?」
「この時期は追い詰められていたんだよ」
「そうか。まほろばもあまり話題にならず、出す松本アニメはことごとくヒットしない。作品のスケールは大きくなっているのに、ファンが付いてこない。エターナルファンタジーはこけると」
「そうだ。だから、ヤマトで一発逆転を狙わないと未来がないぐらいの状態に陥っていたのではないか。だからこそ、ことさら強硬な態度を取ったのではないだろうか」
「なるほど」
「その強硬さゆえに裁判で悪い印象を与えて負けたという可能性もある」
「うーむ」
「でもさ。それは単なる思い込みの問題であって、松本先生には人気も人望もやはりあって、期待される松本像に止まる限り、何の問題もなかったんだ」
「ええっ!?」
「だからさ。999は鉄郎がパスをもらって惑星メーテルに行って終われば良かったんだ。その美しい思い出だけで良かったんだ。何も、本来関係ないメタノイドとの戦いに招集されなくても良かったんだ」
「じゃあ、999の続編を作りたい場合はどうすればいいの?」
「列車ナンバー001、ビッグワン発進!」
「C62じゃなくてビッグボーイを飛ばせば良かったわけだね」
「おいら、ビッグワン嫌いじゃないぜ。むしろ999より好きだ。大陸の雄大なマレーを見てしまうと、もうC62がしょぼくてしょぼくて」
「ははは」
「じゃ。ビッグワンガムでも買いに行こうぜ」
「なんか違う」
オマケ2 §
「はたと気付いてしまった」
「なに?」
「だからさ。今求められている映画だよ。ポストSPACE BATTLESHIP ヤマト」
「何?」
「999の実写リメイク」
「えーっ!?」
「精巧に作り込まれたC62とスハ44の編成が宇宙を飛び、黒服の謎の美女が色っぽく一緒に乗ってくれるのだ」
「それで?」
「蒸気機関車のような複雑な形状をスクリーンの中で動かすなら、今もう一度やる価値はあるとおもうぞ。もちろんアニメに合わせるために質感を犠牲にしないでな」
「なるほど」
「しかし、意外とハーロックは実写に馴染まないかもしれない」
「どうして?」
「アルカディア号は、記号的だからだ」
「戦艦と帆船と航空機の記号が合体したデザインってことだね」
「だから精密に再現すると逆に見栄えがダウンする可能性もある」
「そこがそれなりに元ネタとしての現物がある999とヤマトとの違いだね」
オマケ終着駅 §
「しかも、999をリメイクすると結末がひっくり返るかも知れない」
「ええ?」
「ヤマトだってイスカンダルだと思ったらテレザートだったんだぜ」
「ははは」
「だから惑星メーテルかと思ったら惑星大アンドロメダか惑星ラーメタルだったという凄いオチが付きそうだ」
「仮面の父さんが待ってたり、零戦で戦ったりするのか?」
「宣伝コピーは、メーテルは1000年女王か?」
「ははは」
「ちなみにWikiPediaにこう書いてある」
- 2010年に東宝が実写化に向けた脚本開発を行っている。メーテルには当初、稲森いずみがブッキングされたが現在は変更されている。
「本当に準備中らしい」
「さらば、ではないんだね?」
「さらばリメイクは実質的にもうやってしまったからね」
オマケのクレア §
「しかし、999の実写リメイク、割と今なら上手く行くかもよ」
「なぜ?」
「身体のない車掌さんや、ガラスのクレア、今ならVFXで上手く処理できる」
「そうか、仮面ライダーコアが可能なら、それらも可能ってことだ」
「生身の身体は必要無い。モーションキャプチャしてCGモデルを動かせばいい」
「それじゃ、生身の身体がいいという999の思想に反するね」
「いいんだ。それは悪い例だから」
SPACE TRAIN 999 §
「中身を予想しちゃうよ」
「どうなるの?」
「鉄郎は地球でジャンクあさりをしている」
「ええっ?」
「そこに通信カプセルが落ちてくる」
「イスカンダルの座標と波動エンジンの設計図が入ってるの?」
「いや、メッセージだけ」
「私はイスカンダルのスターシャって?」
「いやいや。私はメーテル。鉄郎、銀河鉄道999に乗りなさいって」
「いやそれはまずい。だって、最初鉄郎はメーテル知らないから」
「そうか。それじゃ、通信カプセルじゃなくて脱出カプセルが落ちてくる」
「それで?」
「脱出カプセルで謎の異星の美女が死んでるんだ。メーテル死亡」
「いや、それじゃ話が終わっちゃうから。ダメだから」
オマケ原作 §
「実はあとから気付いた」
「何?」
「表紙の正確な文言を書くとこうなる」
「原作●松本零士?」
「そう堂々と表紙に書いてある」
「今から思うと通らない表記だね」
「当時は通ったんだ。時代が違う」
「違うか」
「多くの人は見落とすが、その時代なりの言論というものがある。現代の基準で過去を語ってはダメだよ」
「そうか」
「しかし、徐々に見えてきたこともある」
「なに?」
「大ウルップ星間国家連合なんだよ。この時代の松本陣営というのは」
「どういう意味?」
「圧倒的に盤石の帝国に見えても、離反者を招き、崩壊する寸前だった」
「それは結果論だろう?」
「いやいや。そうじゃない。敵対者を揶揄する強硬すぎる態度というのは、実は崩壊の予兆なんだ。そういう論調がそこかしこに見える本なのだ」
「地球に根拠の無いイチャモンを付けて待ち伏せの奇襲で民間人まで殲滅するような強硬な姿勢と通じるということか」
「しかし、こういう話はある意味で今だからできるということも言える」
「というと?」
「実は、2大陣営の他にそれらとは切り離された第3のヤマトが出てきた。それが山崎ヤマトだ。それによって、対立が中和されて相対化された」
「なるほど」
「山崎ヤマトは松本ヤマトを否定していないのだ。たとえば、猫のみーくんは、松本零士の魂の飼い猫ともいうべき特別な存在だが、それは否定されないで猫がヤマトに乗る。かといって、松本零士がみーくんに注ぐ特別な感情までは取り込んでいない。そこはもうヤマトではないからだ。そのあたりのドライな割り切りによって、山崎ヤマトは独立した第3勢力たり得ている」
「なるほど」
「そして、各陣営がそれぞれ具体的な後継作品をリリースした。新宇宙戦艦ヤマトと復活編とSPACE BATTLESHIP ヤマトだ (山崎陣営は初物だけど)」
「作品の比較として各陣営を比較できるようになった、ということだね」
「結局、最も先行したはずの松本陣営の新ヤマトがいちばん支持されなかった」
「映像まで行けなかったのは裁判のせいだよね」
「いやいや。そもそもコミックの時点で支持されていたとは言い難い」
「復活編の支持も不十分だよね」
「とはいえ、まだしも支持はあるように思える」
「どこが違うんだろう」
「客の居場所があるか否かだ」
「えっ?」
「ヤマトは古代に客が感情移入できることで成立する話だ」
「うん」
「でも、新ヤマトは主役が古代の子孫だ。偉大なる人物の子孫に感情移入できないかもしれない。普通の客とは立場が違いすぎる」
「じゃあ復活編は?」
「ダメパパとして娘に糾弾される中年男は客も感情移入可能だ。しかも、失敗を繰り返す天馬兄弟や上条や小林は、もしかしたら僕もその仲間に入れるかもしれないという余地を残す」
「SPACE BATTLESHIP ヤマトだとどうなるの?」
「兄さんを見殺しにしたと糾弾しているのに、その場にいなかったと逆に糾弾されてしまうダメ野郎は、感情移入できる余地がある」
「正義を振りかざしたつもりが落とし穴ってのはよくあることだね」
「その穴から入って実は感情移入できる余地があるのだよ」
「そうか」
「それに、名もない乗組員なら僕もなれるかもしれないという余地もある」
「なまってねっすよ、というパイロットなら僕でもなれそうな錯覚を感じられるよね」
「錯覚でも入っていける余地があれば映画としては勝ちさ。それに、志願者をつのる描写があるのもいい」
「なぜ?」
「客が自分も志願できるという錯覚を得られるからだ」
「そうか」
「分かったぞ。そうか。だから、自分もヤマトに乗りたいという子供が宣伝に出てくるのか」
オマケよ永遠に §
「アニメブームの時、おいらは永遠なんて無いという信念を持っていた」
「どういうこと?」
「ブームは一過性であり、終わりは訪れるというものだ」
「そうか」
「しかし、その対極に、永遠を信じる者達がいるようだ」
「それは無時間的な人たちということかい?」
「そうともいう」
「ってことは、君は無時間的な人たちつまりオタクじゃないと言いたいわけ?」
「そうじゃない」
「じゃあ趣旨は何?」
「松本先生は、おそらく永遠を求めたんだ」
「ええっ?」
「ヤマト乗組員が昔の名前を継承して何世代も続くという話は、要するに一種の永遠願望だ」
「でも、永遠の命を持つ機械の身体は999で否定されたんだろう?」
「機械の身体を使わず、人間を継承に使われる部品扱いしたんだ」
「機械じゃないけど部品扱いなんだ」
「そうだ。だから、ある意味で999ファンが松本先生を支持しなくなったのも当然だ。999で否定された永遠に松本先生が取り憑かれたからだ」
「そうか、復活編は時間の流れがあって、全く新しいニューフェイスが揃うという意味で、999的な健全性がある訳か」
「皮肉なことにな」
「SPACE BATTLESHIP ヤマトにしても、乗組員の名前は同じでも構成は大幅に変わったね。2010年なりのリアリティが求められているわけで、やはり時間の概念があるのだね」
「そうだ。歴史ものを得意とする山崎監督に永遠なんて概念は無い」
「今はもう無いものを描くからね」
「だから、器としての機械はとても長い時間維持される可能性はある」
「ブルーノアが復活編の時代から2520の時代まで続くとかね」
「でも、乗ってる人間はがらりと変わる」
「それが限りある命という意味だね」