「前回の続き行くぞ」
「でも話題は微妙に続いているようで続いてないね」
「だから分けたのだ」
「でも出だしはちゃんと続いてるね」
「前回を読んでくれ」
続・映画論で見るSPACE BATTLESHIP ヤマトが違う必然 §
「だから、999も1000年女王も我が青春のアルカディアも、TVを見ている客には予測できない展開で満ちていた……といえる」
「ええっ。そこまでいくのかい?」
「惜しむらくは、TVを見ている客に予測できると判断を誤って999を見に行かなかったことだ」
「それは失敗だね。テレビでは遠い先の結末まで描かれたものね」
「1000年女王でも、結局テレビではあり得ない零戦で宇宙からの侵略者と戦うというトンデモ映像が見られたし、浮上するのはなんと関東平野。このスケール感は凄かった。音楽もまるで違うし」
「我が青春のアルカディアも?」
「テレビのハーロックのイメージで見に行くと火傷する。それぐらい熱い。もっとも、その熱さが理解できずに、単に間違った思い込みで叩いた感想が多かったけどね」
「ゾルにーちゃん、トカーガへ帰れ~」
「おそらく、松本先生自身もそのへんは有自覚的にやってたと思う」
「原作とテレビと映画は全部変えないとダメってことだね」
オマケIII §
「でだ。結局、我が青春のアルカディアは敗戦のぐだぐだを憶えていないと意味が分からないってことが良く分かる」
「まさに敗戦という世相の時代を舞台にした作品ということだね」
「今もまさにそれを思うよ。時代的に」
「そうか?」
「空襲で焼け野原になった終戦後のぐだぐだ。闇市は出るわ、買い出し列車は貨車に人間が鈴なりだ。広島長崎は原爆で放射能に被爆。ああいう時代を前提にするなら、今の日本の状況なんぞ、凄くはない。確かに悲惨であり、目を覆うばかりの惨状ではあるが、それは予測不可能というほど非現実的では無い。あくまで、過去の現実の延長線上に予見可能なレベルにとどまる」
「うーむ」
「ましてヤマトだ」
「えっ?」
「ヤマトはその向こう側にルーツを持つ。ヤマトのルーツは世界第三位の大海軍国が作り出した世界最大の戦艦だ。現在でも日本は世界一という幻想を持つ現実を見ない日本人は多いが、当時の世界第三位の大海軍国という立場は本物だ」
「なぜ本物だと言えるの?」
「軍縮条約では米英に次ぐ3番目の戦力保有を認められているからだ。しかも師匠は世界ナンバーワンであったイギリスだ」
「そうか」
「だから、大和は本物だ。実在する本物の大戦艦であったわけだ」
「その割に結末はあっけなかったね」
「師匠から大切なことを学ばなかったからだ」
「大切なこと?」
「戦争のルールは第1次大戦を境に変わった。戦艦は主役から滑り落ちた。フリゲートと護衛空母が潜水艦から輸送船を守ることが戦争の主軸になった。でも日本海軍は最後まで艦隊決戦を夢見た」
「夢を見ている間に世界有数の商船隊も壊滅させられたってことだね」
「アメリカの物量に負けたと言われるが、そうじゃない。日本だって物資を集める能力はあった。ただ、輸送船を沈められて物流がズタズタにされては、能力が発揮できなくなったというだけだ」
「せっかく大戦劈頭に産油国を抑えても、石油を内地に運ぶ油送船が無かったら油も使いようが無いってことだね」
オマケ復活編 §
「という話で終わるはずであった」
「なんで続くの?」
「気付いてしまったからだ」
「何を?」
「いいかい。ヤマトは純地球製ではない」
「波動エンジンはイスカンダルの技術だってことだね」
「でも、大和は純日本製なのだ」
「金剛みたいにイギリスで作ったりはしてないわけだね」
「ならばこの矛盾をどう解くか」
「それで?」
「ヤマトを航空機として解釈した時点で見えてきた」
「どういう意味?」
「飛燕だ。ドイツからやってきたダイムラー・ベンツ DB 601エンジンの設計図を元に日本で作った戦闘機だ」
「わあ。それはヤマトと物語構造が一緒だ」
「それだけじゃない」
「まだ何かあるの?」
「ヤマトの場合、エンジンの他に波動砲もイスカンダルの技術だ」
「確かにそうだね」
「飛燕では装備していないが、ダイムラー・ベンツ DB 601を搭載した本家のドイツの代表的な機種であるメッサーシュミット Bf109は、エンジンの軸の内側から機関砲を撃つ仕組みがある」
「えっ?」
「だからさ。エンジンと正面中心に向いた武装は表裏一体だったんだ」
「それって、ヤマトの波動砲と波動エンジンと一緒じゃん」
「ヤマトの場合、波動エンジンは後ろ向きに取り付ける必要があり、正面には主兵装だけ残ったと見るべきなんだろうな」
「瓢箪から駒が出たね」
「ついでに、どうでもいい話にも関連するぞ」
「何?」
「青春のアルカディアといったら回想シーンの主役メカはBf109だ」
「あっ」
オマケの深層 §
「そこから考えると、明らかに松本先生は重戦指向であることが見て取れる」
「えっ?」
「『くるくる』と一撃離脱戦法の違いで後者を取ったということだ」
「どういうこと?」
「日本ではくるくるが主流であったが、世界的にはどんどん重戦指向が強くなってくる。機動性よりパワー重視だ」
「そうなの?」
「だから、零戦や隼はかなりくるくるに譲歩した作りになっている」
「そうなのか」
「それでも、九七戦や九六艦戦に慣れたくるくるには評価が低かったぐらいだ」
「うーむ」
「しかし、ヨーロッパに行くと戦闘機はもうパワー重視だ」
「Bf109もその流れの中にあるってことね」
「それだけはないぞ。零戦も52型になると明らかにその流れの中に来る。翼端を短くして機動性よりスピード重視だ」
「えっ?」
「あと双発の重戦もそうだ。機動性よりパワーだ」
「なんと」
「だからさ。松本先生は双発の大型戦闘機が好きじゃ無いかと思ったけど、それよりももっと大きな枠組みで重戦指向なんだよ。単発戦闘機も重戦指向なんだ。くるくるはあまり重視しない」
「えっ」
「ちょっと手元に無いのでチェックできないが、戦場漫画シリーズに確か鍾馗の話もあったような気もするが、鍾馗も重戦指向だ。おそらく調べると軽戦より重戦の話の方が多いはずだぞ。根拠は無いがそう予測する」
「ちょっと検索すると紫電の話もあるみたいだね」
「あれも重戦指向だろう。あと、衝撃降下90度も、明確に重戦指向だろう」
「なぜ?」
「音速越えに執念を燃やすというのは、旋回性能よりパワーとスピードってことだからだ」
「なるほど」
「そうか。だから、ハードメタルの嘘800部隊のエピソードでは、コンパクトな軽戦指向のF8Fと、日本の重戦指向の双発戦闘機が最後に戦ってしまうのか」
「だから宇宙零戦もわざわざ52型なんだね。最初からいきなり52型なんだね」
「そうだ。そして、1000年女王も双発大型戦闘機のP-38と一緒に飛び立つのは零戦52型なんだ」
「21型は松本先生の趣味じゃ無いってことだね」
「そうすると、更に凄い可能性まで浮上するぞ」
「関東平野より凄いものが浮上するの?」
「小林先生がコスモゼロ21をデザインしたことは、謙遜ではあるが、かえって重戦指向の松本先生を不快にさせた可能性もある」
「うーん、難しいな」
「コスモゼロ32だったらOKだったかもしれない」
「なぜ?」
「やぼったくてでかい翼を切り詰めてスピード指向になっているからだ」
「悩ましいな」
宮崎オマケ §
「で、このくるくる問題は、宮崎駿の風立ちぬにも絡むので、まさにまさにそういう話題だ」
「くるくるにこだわって世界が見えていないことに対する苛立ちみたいなものが、結果として松本先生と宮崎駿で共有されているとすると、妙な成り行きだね」
「世界はつながっている。しかも、ヤマトも輪の中だ」
最後のオマケ §
「ここまで発言をまとめおわって、ホッとしたところでMP3のランダム再生JukeBoxから流れたのがTaking Off」
「はまりすぎだ」
「誰も行かない未来へ♪」