続・ヤマトから考えるハーロック音楽論より
「でも、ヤマトでは君が気に入ったらこの船に乗れ、とは絶対言わない」
「好き嫌いで乗る船はヤマトには無いってことだね」
「やっと分かった。ポイントはそこだったのだ」
「えっ?」
「松本零士の世界観では、自分の意志だけで船に乗れるのだよ」
「うん」
「乗った後で自分の居場所を見つけられるかが問題になるんだ」
「そうだね」
「その際、やることさえやれば普段は何をしていてもいい。プラモ作ってても酒飲んでても将棋さしててもいい」
「そうだね」
「でもさ。ヤマトは違うんだ。艦内には規律があって、乗りたいだけでは乗れない。乗った時点で既に配属が決まっている。ボレットに乗りたいと言ってボレットに乗るように、コスモタイガーに乗りたいと言って乗ることは無い。斎藤は実際に無理に乗ったが、結果は斎藤と加藤の喧嘩になる」
「そうか」
「だからさ。アニメという現場には規律があって個人の意見は通らない。漫画は個人の意見を押し通せる」
「そこか」
「その差はでかい」
「それが世界観にも影響するわけだね」
その差は §
「その差はどこから来るんだろう」
「やはり松本先生は敗戦が前提になっている。みんなが負抜けてしまったとき、少数の心ある人間が立ち上がる。少数だから同志は歓迎される。人が殺到して乗船権を奪い合うなんてことはない」
「うん」
「でも、ヤマトの乗船権は奪い合いの対象になる」
「もともと地球脱出船だからね。乗って逃げたい奴は多いだろう」
「そうでなくてもヤマトは専門職の集合体だ。乗ってから自分の部署を決める、なんてことは通常ありえない」
「そうだね。サーシャだって、配属される時には真田から宇宙戦士として訓練済みだ」
でもね §
「だからさ。アニメという現場には規律があって個人の意見は通らない。漫画は個人の意見を押し通せる」
「そうだね」
「といったが、必ずしも真ではない」
「えっ?」
「白土武さんとか、わざと似ないように描いたとか。そんな話もあるし。意外と現場での反逆行為もあったようだ」
「わははは」
「宮崎駿も昔はアニメーターでありながらアイデア出しまくりとか」
「作品への関与はやればできるってことだね」
オマケ §
「"あなたは信じますか?"というspamメールが来た」
「それで?」
「ひとつぶの涙が 世界の海のすべてよりも重たいことがあるのを……と続けたウケたのにな」
「続かないのか」
「そうだ」
「でも、そんないちいちspamに反応するなよ」
「無理」
「どうして?」
「私はハーロックに命を捧げた女……」
「嘘付け、ハーロックに命捧げてないくせに!」
「『女』は突っ込まなくていいのか」
「命捧げるならヤマト?」
「守るべきは地球では無い、ヤマトだ!」
「それも何か違うな」
「(ヤマトは)いいフネだ。無駄にするな」
「だったら敵に突っ込むな!」
「おっ、いい突っ込みが入ったね」
「ぎゃふん」