「いやー。参ったね」
「何がだい?」
「ネギま!ってのはさ。凄く面白くなくなっていたんだよ。34巻の段階では」
「どうして?」
「理由は簡単で、謎によって牽引される話は伏線を回収して謎についての説明が付くと、イメージが狭くなってどんどんつまらなくなるのは当たり前だからさ」
「当たり前なのか」
「そこで気を抜くと容易に落とし穴に落ちられる」
「そんなものなのか?」
「そんなものだよ」
「他に例はあるかい?」
「たとえばさ。ヤマト復活編という映画なら、敵の正体が分かってしまった終盤はそのままではだれる」
「実際にだれたのかい?」
「敵が第1艦橋に入り込んでくるとか、主人公の娘の乗った飛行機が墜落するとか、波動砲の六連発射が危険すぎて封印されていたとか、違うネタで緊張感を維持したわけだ」
「なるほど」
「でもさ。ネギまは間違ったんだ。仲間の犠牲とパンチラで維持しようとしたが、それでテンションは維持できない。安易に走りすぎた」
「ダメ出しってことか」
「と思ったら35巻になって、急に面白くなったので驚きだ」
「えっ?」
「無意味なパンチラは全く無いし、仲間を犠牲にしてお涙を頂戴するというよりは、必死に生き延びるドラマになっていて見応えがある」
「そうか」
「あとね。物語を細かく分断したのはいいね」
「どういうこと?」
「登場人物はとても多いのだが、適度に分散されて1つ1つの物語の登場人物は限定されている。おかげで、いるだけキャラがほとんどいない」
良かったところ §
「いちばんいいのは、フェイトに殴られて笑う本屋だね。しかもそこにネギ登場。フェイト大喜び。しかもネギはグレートパル様号の上に立っていて、スケール感満点だ。最高だね」
「そんなに?」
「他のカットでもグレートパル様号の描き方は凄くいい」
「そうか」
「しかもさ。本来は連続していないはずの麻帆良に不時着するのだ。ここは意外性があっていいね」
「あれ。それって既にあった描写じゃないの?」
「麻帆良に不時着するグレートパル様号は、既にポヨの幻の中で描かれていて、伏線として機能していたわけだ」
「今度は幻じゃないよね。日常と繋がるわけだね」
「そうだ。ご都合主義の異世界冒険なんてそれだけでは面白くない。それよりも、現実の半歩横にある不思議の方が面白い」
「そうか。日常とつながった方がいいのか」
「それによって、本来取り残されていたはずの人々も主役に舞い戻ったのはいいね」
「たとえば?」
「エヴァンジェリンとザジの会話もなかなかいいぞ」
茶々丸の問題 §
「胴体下部を破壊された茶々丸は安易な即物的な描写だと思った」
「そこはダメ出し?」
「でもさ。後の方の葉加瀬との会話がけっこう深くて納得した。これはこれでありだ」
委員長の問題 §
「ただの人間でありながらエヴァと対等に会話してしまう委員長もいいね」
「成長著しい若さってことだろうね」
「あえてネギに付いていかない分別を見せたことで、成長したのかも知れない」
「ついていった連中とは違う成長ってことだね」
「そうだ」
「他には?」
「七夏イアハートがまた出てきたのも良かったな」
「飛行機に乗っているだけのただの生徒だよね」
「ただの生徒が飛行機に乗れてモンスターを目撃できるのも凄いと思うぞ」
「そのあたりは夢があるね」
「たかが学生がオスプレイ飛ばしてるのもな」