「ヤマトは春の時代を迎えつつあると思う」
「2199が話題ってことだね」
「でもさ。復活編はまだ冬の時代だと認識したよ」
「DC版の初日はどうだったんだい?」
「立ち見まで出で、ぎゅうぎゅうだ」
「じゃあ、勢いは凄いじゃん」
「そうとも言えない。スクリーンは日本全国で2つだけ。東京は1日1回レイトショー上映(大阪は2回らしい)。スクリーンも広大とは言えないスケール」
「復活編はそれほど支持されていないってこと?」
「おそらくな。復活編に限れば前途は多難だ」
「他に何か言うことはあるの?」
「自分は冬の時代のヤマトファンなので、ヤマトの春について行けないかも知れないと思っていた。実際、かつてのブームの時も、ヤマトの春に脱落している」
「でも復活編は未だに季節が冬なんだね?」
「とすれば、もうちょっと復活編を見守っていてもいいかもしれない」
「なるほど」
映像マジック! §
「中身はどうだった?」
「映像マジックを見た気がする」
「どういう意味だい?」
「この映画、序盤はほとんど公開版と同じなんだ。効果音が違うぐらいで、基本的に絵もストーリーも一緒。意外と同じなんだ……と思って見ていると、『おや? 見慣れないカットが』と思った」
「新作カットだね?」
「おそらくな。そして、見ているとカットどころか新作シーンが入り、音楽が入れ替わり、最後には何もかも全く違う映画になって終わった。愕然とするしか無い」
「それが映像マジックということだね」
「結末が違うなんてものじゃない。全体の意味が書き換えられてしまったのだ」
「えー。そこまで違うの?」
「公開版の復活編は、基本的に古代とヤマトが勝つ映画なんだ。ヤマトが壊れても直せばいい。地球が残っている以上、戻れば直せる」
「うん」
「ところが、DC版はSUS大要塞には勝てるが、地球は救えない。救えないが、ブラックボールに飲み込まれた地球は銀河中心にあり、未練たらしくそれを見届けにヤマトはそのまま飛んでいくのだ」
「それってどういうこと?」
「DC版の古代はSUS大要塞には勝ったが、メッツラーに勝てなかったのだ」
「負け犬古代ってことか」
「ということは、娘による負け犬パパとしての糾弾と一直線につながってくるのだ。映画全体の意味がひっくり返る」
「えー」
「そして、続篇が不可避になる。それ無しでは物語が終わらない」
ムサシ、見参でござるだす §
「積極的な話題を封印してきたが、波動エネルギー実験艦ムサシが映画に登場! これで解禁だ!」
「どう解禁するの?」
「ムサシが表紙のハイパーウェポンを後で買うよ」
「そんな本があるんだ」
「あるある」
後ろの席 §
「後ろの席に外人がいた。Star Blazersのコミックを描いてるとか、ちらっと聞こえた。翻訳してるという日本女性が挨拶してたような気がするが、なにせ横からちらっと聞こえただけなので違うかもしれない」
「ワールドワイドだね!」
舞台挨拶 §
「舞台挨拶は小林誠氏と羽原信義氏。ほとんど語らない小林誠氏と饒舌な羽原信義氏」
「2人だけ?」
「いや、司会の女性を入れて3人」
「ぎゃふん」
「アッというまに終わりそうになったが、引き延ばしていろいろ語ってくれた。司会が終わらせそうになって慌てて引き延ばすのは事前の打ち合わせなのかもしれないが、意外性があって楽しめた」
都知事はどこに消えた §
「復活編と言えば、どーんといきなり都知事の名前が出たが、DC版では出ない」
「都知事は消えた?」
「エンディングのスタッフロールに名前が出ていたよ。でも扱いが小さくなっていた」
「そうか」
音楽マジック §
「いちばん驚いたのは、なんといってもアマール介入を開始したところで差し替わった音楽。音楽が違うだけでこれだけ盛り上がるとは思ってもいなかった。ここ最高」
「音楽だけでか」
「そうだ。公開版では静かで地味なシーンなのだが、全く印象が変わる」
「どんな風に?」
「遠くからミサイルを撃っているだけのヤマトは、凄く地味に見えたが、それが凄く力強く見えるのだ」
「へえ」
潜宙艦戦 §
「潜宙艦戦は、たぶん、かなり手が入ってる気がする。印象がかなり違う」
「そうか」
「あそこは安っぽい印象が残ったので、劇的な改善で好感度大アップだ」
日本の家は高すぎる! §
「終わった後で、最寄り駅は新宿三丁目だけど、そこから一駅だけ都営新宿線とか丸ノ内線に乗るのはもったいないので、新宿駅まで歩いた」
「それに意味があるの?」
「ある。ちなみに地下道が通れなかったので、地上を歩いた」
「それに意味があるの?」
「ある。地上を歩きながらふと見上げるとタマホームの文字が……」
「SPACE BATTLESHIP ヤマトの時に、ヤマトを応援していますって宣伝をやっていたタマホームだね」
「帰りもヤマトな気分に浸れた良い1日であった」
ポストDC版 §
「ポストDC版の世界は考えると面白いぞ」
「どうして?」
「DC版では、いがみ合っていたクルーも、最後にはこのメンバーでまた航海したいと言うぐらいに良い一体となったチームに育ってくる。しかし、最後に島次郎と美雪が追加で乗り込み、銀河中心方向に単独で飛んでいく。地球の残存艦隊はアマールを目指すが行動が違う」
「かつてのヤマトの航海班長の弟にして真田さんの弟子と、艦長の娘という火種を艦内に抱えて、古代は悩みが増えるわけだね?」
「しかし、もう地球には戻れない。BHに飲み込まれたからだ」
「戻って降ろすこともできないわけだね」
「更に言えば、実は地球はまだ無くなっていないのだ」
「そうか。メッツラーは地球の資源が欲しいのだから、地球を破壊しないかもしれないね」
「とすれば、実は地球に残留した動物と人とロボットはそのあとも生き続けて、敵と戦ってる可能性がある」
「死を覚悟した真田が、激闘の指揮を執ってたりすると燃える展開だね」
「そうだ。かならず古代は来てくれると信じて、残留した人たちを鼓舞して戦うのだ」
「そのための伏線して、あえて地球に残留した人たちが何人も出てくる意味があるのだね?」
「そうかもしれない。しかし、それは地球が助かっては意味を持たない描写だ」
総合評価 §
「それで総合的にはどう感じたの?」
「2009年の公開版が100点の映画なら、これは120点の映画」
「どのへんがいいの?」
「分かり易さが格段に上がっている。弱点も補強されている。無意味に森雪も服が脱げないし」
「弱点は無いの?」
「強いて言えば、真田さんの6連同時発射プログラムが丸ごと存在しない。第3艦橋も壊れないし、真帆も倒れない」
「BH突入が丸ごと無いのじゃしょうがないね」
「その代わりに得られたものは絶大だ。本来の復活編はこっちの方がより近いのだろう。だから全体に整合性が格段に良くなっている」
「まとめるとどう?」
「負け犬古代で始まり、負け犬古代で終わった。筋の通ったいい映画になった」
「それって古代ファンには難しい映画?」
「完結編の辞表を出す古代が好きという人には向くのだろう。たぶん」