岩井俊二監督「宇宙戦艦ヤマト」実写版企画を即降板させられた驚きの理由とは!より
客席からは驚きの声が上がったが、「ガミラスがなぜドイツ兵なのかを追求し、話のど真ん中に皇室を出したりしてしまったもので、僕はまたたく間に降板となりました」と、仰天のエピソードを明かして観客を爆笑させていた。
「なんだこれは」
「樋口ヤマトがあり得たことは分かっていたが、岩井ヤマトもあり得たとはね」
「樋口ヤマトはともかく、岩井ヤマトなんてイマイチ連想できないよ」
「それを言うなら、そもそも三丁目の夕日でヒットした山崎監督のヤマトも想像できない世界だ」
「まあ確かに」
「でもさ。1つ確かなことがある」
「それはなんだい?」
「ヤマトを語るときに皇室が出てくるなんてことは、普通ありえない」
「だから?」
「それは2つの背景を想定できる」
「それにどんな意味があるの?」
「以下の認識の傍証になる」
「そうか。だからやる人によって、ヤマトはまるで違う表情を見せるわけだね」
「そうだ。実際普通のアニメっぽいアニメ路線で進んできているかと思えばコスモファルコンが出てくる2199と、過剰に渋すぎてゾクゾクするDC版はまるで印象が違うし、もちろん山崎ヤマトもそれれらとまるで違う」
「ヤマトの形は基本的に同じなのにね」
「結局、ヤマトは舞台であり、人が主役。めぞん一刻のタイトルに一刻と入っていても一刻館は、主人公じゃないのだ」
「ヤマトもそうだってことだね」
オマケ §
「この対極にあるのがこういう話だな」
「対極?」
「2006年と古いがたまたま最近見たページだ」
鶴巻和哉が語る『トップをねらえ2!』秘話 第1回 旧『トップ!』はオタク否定の作品だった?より
純粋に「努力と根性」とか、そういったところに感動したわけじゃなかった。熱血も、ある種のフェイクのように思えたんです。
「トップをねらえの努力と根性はフェイクなの?」
「トップをねらえは基本的に努力と根性を賞賛するアニメでは無く、笑いのネタとして使用したアニメだ。そんなの当たり前だ。お姉様が鉄下駄を履いているのは、要するにギャグってことだ」
「えー」
「だからさ、実写の監督はヤマトに皇室を見てしまうんだ。描かれていないにも関わらず、ヤマトの艦首先端の切り欠きは、菊の御紋の空虚なる存在を示しているんだ。それは、見る人には見える。でもアニメの監督は、トップをねらえを見ても本来どこがギャグなのかも明確に見定められない。ように思えたんです、と言葉を濁してしまう」
「それってどういうこと?」
「温度差が激しいってことだ。ぶつけられた情熱量に差があるってことだろう」
「これがアニメ没落の遠因ってことかな?」
「これだけが原因で没落したとは言わないけどね」
「じゃあ、アニメはどうすればいいわけ?」
「だからさ。復活編でヤマトとシナノが出てきた時点で、存在しないはずのムサシが見えてきたら情熱量が多いってことだろう」
「でも、DC版では存在してしまったよ」
「情熱量が具現化させてしまったイメージなんだろう」
オマケ2 §
http://twitter.com/#!/Ryu_Hikawa/statuses/163566110933925888より
そういえば「天井都市」を「天井落とし」と誤植した同人誌もあったなあ。「てんじょーおとし」という聞き間違いだと気づくのに時間かかった(笑)。実際に天井部分からミサイルが落ちてくるので、なおのこと聞き間違いしやすい。リアルタイムには公式出版物なんて出てないしね。
「天井落としの全ビルをミサイルとしてヤマトの頭上に見舞うのだ!」
「落としているから何となく筋が通っているような通っていないような……」
「ちなみに、リアルタイムには公式出版物なんて出てない……というのはどうか分からない。出版物が無かったわけでは無い。まあどこまで公式といえるのか分からないが」
「へえ、どんな?」
「石津嵐版のハードカバー2分冊の小説とか、真田佐助って書いてあるヤマトカードとか」
「ぜんぜんアニメの参考にならねえ!」
「実際にはロマンアルバムまで、ろくな本は無かったと思うべきなのかな」
「なぜロマンアルバムが別格なの?」
「設定資料のコピーが掲載されていたので、これは頼れる」
オマケIII §
「今月のゲッサンのアオイホノオはガンダムネタと見せかけて、途中からこれ以上ないぐらいヤマトネタだぞ」
「それに意味があるの?」
「ある。なぜなら、アオイホノオという作品はトップをねらえを作った人たちに隣接していると同時に、今回は『リアルタイムには公式出版物なんて出てない』時代の話が詳しく説明されているからだ」
「まさか。意図してこのオマケの話題が並んでいるのか?」
「まさか。たまたま偶然だ」
「ぎゃふん」
オマケ復活編DC版 §
「DC版だが、新宿では7回しか上映しない。だから理想は7回見ることだと思っていた。もちろん、それは無理なので、できるだけ回数が多いことが良いことだと思っていた」
「それで?」
「初日、最終日、中間のいずかの日で最低3回は見たいと思った」
「欲張りだな」
「しかし、初日の混雑を見て思った。ひょっとして、これは間違っているのではないか。もっと遠慮すべきでは無いか。遠慮して他の人が見られる余地を作るべきではないか。余地があっても立ち見から開放するために席を空けるべきではないか」
「なるほど」
「なので、現在の計画は2回だ。1回は既に見た。あと1回だけ」
「なぜ1回で満足しないんだい?」
「1回目は、実は前に座高の高い人、後ろには座席を蹴る人がいて、見る環境としては最悪だったんだ。字幕はかなり見えにくかった」
「だから、もう1回は見たいんだね」
「というわけで、ガボーチンさんのメッセージの意味も今は分かる」
名前: ガボーチン
本文:
復活篇DC版も2199も上映予定がない辺境住人のヒガミをすこし・・・。首都圏、及
び関西圏限定という構図はかつてのヤマトや999フィーバーとどうしても重なって見え
る次第です。こちらに入ってくる情報は月遅れの雑誌の記事のような感覚・・。当時はT
V放送も一ヶ月はおろか、一年遅れもザラの辺境でしたのでそう気にもならなかったので
すが・・。私がDC版を見る時には、久しぶりに復興途上の地球に帰ってきた護衛艦艦長
の気持ちがわかるかも・・・。
「分かるっていうのは?」
「実際に、遠方から来てる人もいたが、当然来られなかった人もいるはずだ。皮膚感覚の実感として、初日の劇場で痛感したよ。来られた人も多くの犠牲を払っている」
「なるほど。頑張って無理をすれば自転車で新宿に到達できる君とは距離感が違うんだね」
「そうだ。デスラーからみればイスカンダルは目の前にあるが、地球からは14万8千光年先なのだ」