「もしセクサロイドのキャラがそのままヤマトに乗っていたらどうなるか考えてみた」
- アナライザーが九州弁
- ごっつあんです、と喋る
- 古代は森雪と間違えてユキ7号に「雪」と命令しても平気。どっちにしても同じに聞こえる。サーシャのようにヘソを曲げない
- ユキが放射能除去装置で死んでも平気。ほんの実費で真田さんがユキの身体を作ってくれる
- 仮にイローゼがユキに化けて潜入しても平気。はき慣れた靴下は足にピッタリだから
- シマとユキができてしまい、古代がふられる
- カミヨ計画で全人類が地球脱出できる宇宙船を作るが、ほとんどが粗悪品で使えない。ヤマトの帰還に賭けるしか無い
「アナライザーがごっつあんですと喋る、ということは、シマとユキはやっちゃうということか?」
「古代とテレサ(TV)のタッグで『ちょっと待った』を入れるタイミングだ」
「じゃあ、もし映画だったら?」
「裸のテレサを見て『ごっつあんです』という」
「男がそろって夜のオカズにしてるのかよ」
「これが宇宙の愛だ」
オマケ §
「しかし、裸テレサはロリ体系過ぎないか?」
「そこは時流に乗っていたんだろう。世はまさにロリコンブーム。宮崎駿が勘違いされてロリコンのヒーローになっていた時代だ」
「じゃあロリでいいんだ」
「サーシャ2代目もロリ体系だし、そのへんは意識的にセカンドヒロインのロリ化はやっていたように思う。成功したかは別として」
「別なのか!」
「だからさ。完結編ではロリなヒロインのポジションはディンギルの少年に取って代わられ、復活編になると美雪のロリな体型は強調されなくなる」
オマケ2 §
「だからさ。完結編ではロリなヒロインのポジションはディンギルの少年に取って代わられる」
「男だってヒロイン。男の娘ブームの先取りだね?」
「なんか違う。ってか可愛い男の子なんてパターンは男の娘ブームより前からいくらでもある。ぜんぜん新しくない」
オマケIII §
「ああ、分かったぞ」
「何が?」
「ディンギルの親子と、沖田古代の疑似親子は相似関係なんだ」
「どういうこと?」
「父子は共存できないのだ」
「えー」
「だから、基本的には父と子は対立する。物語の基本形は父殺しだ」
「なんですとー」
「だから、さよなら999では鉄郎がオヤジを殺しちゃうし、映画ゲド戦記ではいきなり父を殺しちゃう。物語の基本に忠実なんだ」
「でも、完結編じゃ父殺しは行われないよ」
「パターンを外そうとするなら、父子対決の結末を変更する必要がある。そこで子殺しは間違った選択だ。ルガールはその間違った選択を取ったという意味で物語構造的に敗者になる」
「沖田と古代は?」
「沖田は死を選ぶ。物語構造的に父と子は共存できないから、沖田の役目は古代に立場を譲ることにある。だから、息子から殺される前に自分で死ぬ」
「それで沖田は物語構造的に勝者になれたの?」
「そうだ。息子に殺されるはずの父が自ら退場することは、父が勝利する唯一の条件かもしれない」
「えー」
「でも。それは禍根を残した」
「なんで?」
「本当は古代が勝たねば意味が無い。主人公なんだから」
「確かに」
「だから、古代は成仏できず、復活編で醜態をさらす」
「醜態かよ」
「ダメパパとして糾弾されるなんて、まさに醜態」
「それで?」
「いやまて。糾弾も穏健な父殺しの一種かな」
「おいおい」
「復活編の若い乗組員達はいわば古代の子供達だが、彼らと古代の関係がどうなっていくのかは見物だな」
「復活編2は本当にあると信じる?」
「信じてないけど、妄想するのは自由だ」
「ぎゃふん」