0924/3 (2)
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トーノさん、3Dへの書き込みディティールアップ、実はアニメでは昔からある手法なのです。動かすときに、アニメではそのシーン、カットの要求にあわせて設定から線を省いてゆきます。動いているカットの1つを画面制止してみると判ると思います。
で、それだけではメカの存在感が鈍くなるので、止め、書き込みのカットを挿入します。
3Dへの書き込みディティールアップはこの「止め、書き込み」に相当します。3Dに乗っけて書いているのは下書き時間の簡略化であって、完成した「止め、書き込み」の完成型は、手書き描線、手書き陰線、ハイライト、つまり「セル」です。質感はそのままでは見た目もセル。そこで3Dに合わせる作業が撮影処理でおこなわれています。
「名指しで解説したいただき、大感謝」
「そういうときは、感謝の極みっていうんだよ」
「いや、それじゃデスラーっぽくなって失礼だよ」
「ひ~。それで、この指摘は正当なものとして受け入れていいの?」
「うむ。昔からある3Dの活用という意味ではおそらく正しいだろう。というか、何となく知っていたことを思いだした」
「どんなこと?」
「実はアニメへの3DCGの活用は1980年代ぐらいから既にあったみたいだ。どこかでそんなことを読んだような読まないような曖昧な記憶がある。思いだしてきた」
「えっ? 嘘!」
「メカの作画で、CGを使った線画を紙に生成し、それを普通のアニメと同じ手順でセル画にしていく方法がどうもあったようだ。詳しいことは知らないが。もちろん、CGの線がそのままというわけではなく、人の手も入っていたと思われる」
「なぜそんなことが行われるわけ?」
「だって、複雑な形状を動かすのは手で描くと大変だし狂いやすいから」
「ひ~」
「もっとも詳しいことは良く知らない。画面で見ているだけなら、そうやって作られた映像とそうではない映像の区別はほとんど付かない」
オマケ §
0924 (4)より
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OPが、とか、子供にも愛される、とか、意味不な言葉が飛び交っているが、旧来のファンと違う方向に手を伸ばして実質打ち切りになったビッグタイトル「age」を見てなを、訳の分からないことを言う輩が居るならば、個人的に本作に全く未練はない。
「何のことを言っているのか分からないが、既にヤマトの夏が終わったのは事実ではないかと思う」
「あり得ないぐらい完璧な夏は終わったわけだね」
「この先何があっても驚かないよ」
「なぜそう言いきれるの?」
「昔来た道だからさ」
「えー」
「昔のヤマトだって、ヤマト2ぐらいから低年齢層の新しいファン層を開拓しているのだ。その結果として旧来のファンから見ると面白くないヤマトの量産という事態も起きた」
「そんな単純にくくれるの?」
「くくれない、実際はいろいろ紆余曲折して作品にもいろいろ込められたものがあって、そう簡単には割り切れない。しかし、違う層にターゲッティングしたのはおそらく事実」
「他に言うことは?」
「違う層にターゲッティングする方法論はあるのだが、子供という層は薄くなった」
「少子高齢化だね」
「だから、2世代作品が増えている」
「子供も見たいけど、お父さんお母さんにもアピールする作品だね」
「そうだ。だから、ライダー1号はスクリーンの常連になれる。ライダー1号とテレビで放送しているライダーが共演すれば、子供も大人も見に来る。その方法論でギャバンがゴーバスターズに出てきた」
「ならばAGEは?」
「大人を置き去りにして子供側に向かおうとしてずっこけたように見えるなあ。ダンボール戦機の成功を正面から受け止めずガンダムブランドに頼りすぎた感じがある」
「ダンボール戦機ってそんなに成功してるの?」
「そうだ。たとえば、荻窪のキヤでもっとも驚いたこと。ダンボール戦機の模型のコンテストをやってるんだよ。子供向けに。タミヤの戦車はミニのコンテストなのに、ダンボール戦機はもっと大きなコンテスト」
「そこに話がつながるのか!」
「ダンボール戦機は手のひらサイズのロボットのアニメだが、それでスケールが小さいわけでは無い。大統領暗殺阻止とか、そういう結構スケールの大きい話をやっている」
「手のひらサイズのロボットで人を殺せるの?」
「小さいからこそ忍び込んで狙撃する、といった演出が可能であり、それはガンダムのような大きいロボットではできなかった方法論だ」