2012年11月09日
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感想・アオバ自転車店へようこそ「瞳こらせば The Movie」

Written By: 川俣 晶連絡先

「ジブリの耳をすませばという映画は、過去に以下の検証を行っている」

「それで?」

「その結果、以下の2つの傾向が見えてきた」

  • 目立つ部分では創作が多い (図書館は存在しない。地球屋も存在しない。両開きの5000系は存在しない、雫の地元にあのような駅は存在しない)
  • ところが、些細な細部は驚くほど実際の聖蹟桜ヶ丘周辺に忠実 (団地や送電線の位置など)

「そうか。雫の部屋の窓から見える送電線で団地の場所を推定したのだよね」

「しかし、まだ甘かった」

「というと?」

「二人乗りした天沢聖司の自転車だ」

「は?」

「アオバ自転車店へようこそ 2巻の「瞳こらせば The Movie」を読んで知ったのだ、具体的なモデルとして固有の車種があるらしい。しかも、変速機のギアの有無まで意味を持つらしい」

「えー。タイトルが違うじゃないか」

「そこは突っ込むな」

「それは確かに凄いね」

「それだけじゃない」

「まだあるのかよ」

「アンダルシアの夏まで言及されている」

「は?」

「作画監督はこんな映画まで監督していると書いてあるのだ。とても詳しい」

「アンダルシアの夏って何?」

「『茄子 アンダルシアの夏』。ヨーロッパの自転車レースの映画。チーム優勝のための犠牲になるはずだった主人公が、事故でチームメイトがみんなこけて、優勝を目指してゴールに突っ込む映画だ」

「詳しいね」

「ロードショー時に劇場で見たからな」

「えー。君が自転車の映画を見るとは」

「驚くようなことかな」

「面白かった?」

「ああ。本当に番狂わせで思いがけない展開になって面白かったぞ」

天沢聖司の解釈論 §

「実は、天沢聖司の解釈も変わってきている」

「というと?」

「多摩丘陵はやたら坂が多くてきついのだ。ギア切り替えもできない自転車で走るのはかなりきついと思われる。まして豚猫ムーンを後に乗せて走っているケースさえある」

「見てきたように語るね」

「見てきたんだよ。聖蹟桜ヶ丘は見ただけだが、多摩丘陵の他の場所では歩いたことがある。歩いても坂がきつかった。それを歩いて体験してきた。地図で近いからといって、この経路を選んだことを後悔した」

「ひ~」

「ということはだね。そこを自転車で走る少年はかなり根性があると思っていい。むしろ、苦労をあえて背負い込むタイプかもしれない」

「根性があるからなんだというのだ?」

「だからさ。クレモナに行って修業をしてみたい、などと言い出すのは浮ついた夢を見るための方便では無く、あえて苦労を背負い込む根性かもしれない」

「それは好ましい若者ということ?」

「同世代の共感を得られにくいとも言える」

「ぎゃふん」

雫の解釈論 §

「とすれば、『人と違う道は大変だぞ』と言われながらもその道を進もうとする雫も解釈可能だ」

「聖司とバランスを取るには、そこまでの困難を背負う必要があるわけだね」

「でも背負えなかった」

「そこはキャラの欠陥?」

「いや、若いのだから背負えなくて当たり前。そこは作品の誠実さだろう」

アオバ自転車店論 §

「それにしても、こんなに濃い耳すまコミックを、まさかこんなところ見ることになろうとは」

「ノーマークだったわけだね」

「コミケに出てくるマニアよりも下手をすれば濃いよ」

「嬉しい悲鳴?」

「最近読むのをやめたコミックもけっこうあるが、アオバ自転車店シリーズは読んでいて良かった」