「物語には「行きの物語」と「帰りの物語」があるのだと思う」
「「行きの物語」ってなに?」
「ゴールに待つものは不明確だが、初志貫徹してゴールする物語」
「では、「帰りの物語」とは?」
「ゴールの現実を見たあとの物語。つまり、そこにある問題を解決する物語」
「「行きの物語」の例は?」
「ほとんどのフィクション、特にアニメのほとんどは行きの物語」
「では「帰りの物語」の例は?」
「パトレイバー2、WXIII、さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士達などだな」
「それだけ?」
「「帰りの物語」になろうとしてなりそこなっているのは、さよなら銀河鉄道999アンドロメダ終着駅、Zガンダムなどだな」
「では「行きの物語」と「帰りの物語」の決定的な差はなに?」
「「行きの物語」は子供でも作れるが、「帰りの物語」はゴールを実際に見てきた経験を有する大人にしか作れない」
「なんでなりそこなった作品があるわけ?」
「大人にしか作れないからだ。子供が強引に作ろうとしても作れない」
「なるほど。ハードルが高いわけだね」
「裏を返せば「帰りの物語」は子供に理解できない可能性がある」
「大人の話なんだ……」
「そうさ」
「それで話の核心は何なんだい?」
「自分が書いている小説で言えば、ラト姫物語が「行きの物語」でセラ姫物語が「帰りの物語」。リバーシブルが「行きの物語」でリ・バース・リバーシブルが「帰りの物語」。イーネマスは、2人の主人公のそれぞれが「行きの物語」と「帰りの物語」を担当する。2つセットでシリーズにすると、凄く収まりが良い」
「それが本題?」
「でもない。別に「帰りの物語」が単体で存在してもいい。そういう事例も多い。全ての物語に終止符を打つ最終英雄ドリアン・イルザンはまさにそう。そして、ICEは、そういう意味で単体で存在する「帰りの物語」だと気付いた」
「未知のゴールに心ときめかせて突き進む話ではない……のだね」
「そうだ。未知のゴールなんてない。ただ、目の前にある問題を解決するだけだ。解決できそうに無い問題を解決するからドラマになる」
「それで?」
「うん。だからさ。「帰りの物語」には子供には分かりにくいというハンデがある」
「ビジネスになりにくいのか」
「それに、『僕は世界の全てを理解している』と根拠の無い確信を抱いた子供達に叩かれやすい」
「実際には全てを理解していないから、単に自分に分からないことと作品の欠陥を区別できないわけだね」
「そうだ。そもそも全てを理解することは誰にもできない」
「子供だから理解できないってわけではないのだね」
ヤマトの問題 §
「宇宙戦艦ヤマト1974は、「帰りの物語」を指向しつつ、途中で松本零士によって「行きの物語」に組み替えられたと思われる。1974年当時、松本零士も若かったからね」
「それで?」
「だからさらば宇宙戦艦ヤマトは「帰りの物語」に回帰する。それが本来の企画だ。そして、十分に経験を積んだ舛田利雄が手がけることで、間違いなく「帰りの物語」として安定する」
「なるほど」
「しかし、松本零士は気に入らないからちゃぶ台を返して、宇宙戦艦ヤマト2はまた「行きの物語」の物語になる。しかし、強引な組み替えは作品を破綻させてしまう。だから、テレサが突っ込んで話が唐突に終わりになってしまう。上手くまとまらないのだ。あの話は」
「ふーん」
「しかし、「帰りの物語」は基本的に続きを作れないから、続けようと思うと「行きの物語り」に組み替えざるを得ないのも事実だ」
「じゃあICEの続編は?」
「『さらばICE同性愛の戦士達』みたな作品はおそらく成立しないだろう。もし続編を作るとしても、全く別の主人公、世界観で作るしかあるまい」
オマケ §
「ネギま!とか、ガイストクラッシャーとか、ダイガンダーも「帰りの物語」に該当するな」
「それはどうして?」
「ネギま!はオヤジが頑張ったことで、既にオヤジの代で現実が見えちゃっている話だ。そもそも、ネギは結末が予測できているエヴァンジェリンから面白いという理由でいろいろ教わっている」
「ガイストクラッシャーは?」
「結末が先にある。破局は過去にあったわけだ。そもそもドスメーアファイルに全てのガイストの情報がある時点で、あれは既に結論が出ている話だ」
「ダイガンダーは?」
「あれも、冷酷な社会の現実が最初から織り込まれている話だからな」
「意外と「帰りの物語」って多いんだね」
「でも評価を掴みにくい」
「女の子一杯でネギま!なら人気あるじゃないか」
「でもね、UQ HOLDERで女の子ハーレム抜きで似たようなことをするともうファンはついてこない。本当は作品を支持していないってことだよ」
「ふーん」
「ICEも同じ事で、どうしてもAKB48というイメージで上書きされてしまう」
「ヤマトは?」
「さらばと完結編は「帰りの物語」に該当するわけだ。しかし、この2つは実際には物語を終わらせるためにヤマトが負ける話なのだ。そういう意味で、実は「ヤマトの行きの物語」を支持する層からの支持は得にくいし、実際に支持が薄い感じがある」
ヤマト2199の問題 §
「でだ。核心に入る」
「なんだい?」
「ヤマト2199は本質的に「帰りの物語」を指向したものと思う」
「なぜだい?」
「ヤマト1974の古い企画の要素を掘り起こして採用すると必然的に「帰りの物語」になるからだ」
「でも、あまり「帰りの物語」って感じはしないよ」
「そうだ。実は「ヤマトをリメイクする」と言った瞬間にスタッフの大多数は自分の身体に染み込んだヤマトを出してくるが、それは「行きの物語」としてのヤマトなのだ。無意識的に作品を「行きの物語」として構成しようとする。だから第三章あたりは完全に「帰りの物語」として構成されているのだが、他の部分は「行きの物語」の割合が大きい」
「ああ、分かったぞ。第三章が2199でも突出して良い、という君の評価はそこから出てくるわけか」
「そこから出てきたわけでもないが、第三章が良かったという理由の説明にはなるね」
「第三章だけ?」
「厳密には11話12話も含んで良い。14話も入れて良いな。ただ、13話はつまんない。駄作」
「その先は?」
「個別に良いところはあるが焦点がぼけてくる感じがある。でも25話26話で上手くやったので、後味は悪くない」
「では2199は間違えたの?」
「そうとも言えない。ファンが望んだヤマト2199は、やはり「行きの物語」だったのだろう……という気もするからだ」
「ファンの支持は内実とは別の場所にあるわけだね」