2014年09月05日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記total 679 count

城レボリューション・杉並の城研究の事始め

Written By: 川俣 晶連絡先

「よろしい。面白くなって来た。杉並の城の研究を始めよう」

「なぜ城なのだ? なぜ杉並なのだ?」

「世田谷の城に関しては既に研究が進んでいる。そもそも世田谷城は遺構が公園として残っているほどだ。単に本を読めば良い段階だね」

「杉並は違うのだね?」

「そうそう。杉並は違う。宗成城(矢倉台城)以外はほとんど手つかずだ」

「しかし、城なんてあったの?」

「まず、城の定義からだ」

城の定義レボリューション §

「まず、我々が扱うものを明確化しよう」

「うん」

「江戸時代よりも前。主に戦国期かそれ以前に築かれたものだ」

「それにどんな意味があるんだい?」

「いい質問だ。我々が通常イメージする城は江戸時代以後の城だ。大名が住み天守閣があって堀が掘られ壁がある。しかし、そのイメージを捨てよう」

「捨てちゃうのかよ」

「江戸時代以前にもそういう城は作られているけどね。それはこの際どうでも良い」

「なんで?」

「そういう城は杉並には存在しないと思われるからだ。あればもっと伝承が残る」

「つまり何が言いたいんだい?」

「江戸時代よりも前の城を調べると、イメージが違うからだ」

「どんな風に?」

「WikiPediaから引用してみるよ」

中世

平安時代後期・鎌倉期の城

中世の日本では、武士の平時の居住地への防護と、戦時に険阻な山に拠る際の防護と、2つの必要から城が発達した。平安時代後期、治承・寿永の乱においては『吾妻鏡』や『平家物』、『山槐記』などの記録史料・日記に城郭の存在が記され、この頃の「城郭」は堀・掻盾。逆茂木など敵の進路を遮断するために設置したバリケードであると考えられている。

戦国時代の城

戦国時代初期まで「城」と呼ばれるものは圧倒的に後者の山城が多かった。領主の居城では、外敵に攻められた際、領主は要塞堅固の山城へこもり防御拠点とした。この場合の山城は麓の根小屋に対して、詰めの城と呼ばれた。

前者の領主が平時に起居する館は、麓に建てられた。地域によって「根小屋」「館(やかた/たち/たて)」「屋形(やかた)」などと呼ばれ、周囲に堀を巡らし、門に櫓を配置するなど、実質的に城としての機能を備えていた。周囲には、家来の屋敷や農町民の町並み(原始的な城下町)ができた。

戦国時代中期から城の数は飛躍的に増大し、平地に臨む丘陵に築いた平山城(ひらやまじろ)や平地そのものに築いた平城(ひらじろ)が主流となり、防御には優れるが政治的支配の拠点としては不向きであった山城は数が減っていく。

また、この時期の特徴としては「村の城」とも呼ばれる施設が全国的に造られたことも挙げることができる。これは戦乱が日常化したため、地域の住民が戦乱発生時の避難施設として設けたもので、時には領主への抵抗運動や近隣集落との抗争時に立て籠もる軍事施設としても機能した。これらの施設は山頂に平場を作事するなど純粋な軍事施設の「城」に比べると簡素な造りで狭小であることが多い。

「天守閣や堀は必須ではないわけだね」

「そうだ。あくまで戦闘を意識した施設があれば広義の【城】なのだ」

「それで?」

「しかし、堀があればなお良い。堀のある屋敷は既に広義の【城】なのだ。それゆえに、中野の城山も広義の【城】と考えられるのだ」

「いわゆる城は無いけどお屋敷はあったわけだね」

「そう考えると、実は下高井戸の向陽中のあたりも、昔はお屋敷があった。南北に神田川とその支流が通り、天然の堀を形成している。お屋敷山と呼ばれていた場所だ。今はもう山は残っていないのだけどね。あれも、広義の【城】ではないか」

「下高井戸も杉並だね」

「他に、堀ノ内を城に関連すると指摘する意見がある。堀のある屋敷があればそれは広義の【城】だ」

「他に何か?」

「あるらしいぞ」

区内の古城址についてより

その他にも、善福寺池のほとりに善福寺城があったという説や、荻窪八幡南側の西荻北二丁目あたりに城山という地名が、さらに下流には堀之内という町名も残っていて、善福寺川沿いにいくつかの城があったのではないかと思われますが、いずれも推測の域を出ず、成宗の砦だけが文献により存在が確実視されている、杉並区内で唯一の中世城址です。

「善福寺川沿いか」

「石神井城があるなら、善福寺池にも何かあっても良さそうな気がしたが、説はあるようだ」

「西荻北二丁目は?」

「正確な位置は分からないが、このへんならあってもおかしくない。ってか検索したら桃三小に高射砲陣地があったという説が出てきて更に大変」

「えー」

若干の考察 §

「善福寺川沿いにいくつかの城があったという意見だが、実際には神田川沿いにもあったという仮説は立てうる。杉並区としては、あまり南部の研究は進んでいない場合が多いのだ」

「善福寺川は区役所の近くだからね」

「もう1つのハンデは、水源の井の頭の池は区外なのだ」

「杉並じゃないんだね」

「石神井池に石神井城が、善福寺池に善福寺城があるとしたら、井の頭池にも城を想定できるのだが、井の頭御殿山は近世のものなので当てはまらない。調べるとすれば杉並の範囲を出てしまう」

オマケ §

「城に興味を持つ根本的な理由が知りたい」

「どこも、水路関係で走った場所ばかりだから」

「そんな理由かい」

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「よろしい。面白くなって来た。杉並の城の研究を始めよう」

「なぜ城なのだ? なぜ杉並なのだ?」

「世田谷の城に関しては既に研究が進んでいる。そもそも世田谷城は遺構が公園として残っているほどだ。単に本を読めば良い段階だね」

「杉並は違うのだね?」

「そうそう。杉並は違う。宗成城(矢倉台城)以外はほとんど手つかずだ」

「しかし、城なんてあったの?」

「まず、城の定義からだ」

城の定義レボリューション §

「まず、我々が扱うものを明確化しよう」

「うん」

「江戸時代よりも前。主に戦国期かそれ以前に築かれたものだ」

「それにどんな意味があるんだい?」

「いい質問だ。我々が通常イメージする城は江戸時代以後の城だ。大名が住み天守閣があって堀が掘られ壁がある。しかし、そのイメージを捨てよう」

「捨てちゃうのかよ」

「江戸時代以前にもそういう城は作られているけどね。それはこの際どうでも良い」

「なんで?」

「そういう城は杉並には存在しないと思われるからだ。あればもっと伝承が残る」

「つまり何が言いたいんだい?」

「江戸時代よりも前の城を調べると、イメージが違うからだ」

「どんな風に?」

「WikiPediaから引用してみるよ」

中世

平安時代後期・鎌倉期の城

中世の日本では、武士の平時の居住地への防護と、戦時に険阻な山に拠る際の防護と、2つの必要から城が発達した。平安時代後期、治承・寿永の乱においては『吾妻鏡』や『平家物』、『山槐記』などの記録史料・日記に城郭の存在が記され、この頃の「城郭」は堀・掻盾。逆茂木など敵の進路を遮断するために設置したバリケードであると考えられている。

戦国時代の城

戦国時代初期まで「城」と呼ばれるものは圧倒的に後者の山城が多かった。領主の居城では、外敵に攻められた際、領主は要塞堅固の山城へこもり防御拠点とした。この場合の山城は麓の根小屋に対して、詰めの城と呼ばれた。

前者の領主が平時に起居する館は、麓に建てられた。地域によって「根小屋」「館(やかた/たち/たて)」「屋形(やかた)」などと呼ばれ、周囲に堀を巡らし、門に櫓を配置するなど、実質的に城としての機能を備えていた。周囲には、家来の屋敷や農町民の町並み(原始的な城下町)ができた。

戦国時代中期から城の数は飛躍的に増大し、平地に臨む丘陵に築いた平山城(ひらやまじろ)や平地そのものに築いた平城(ひらじろ)が主流となり、防御には優れるが政治的支配の拠点としては不向きであった山城は数が減っていく。

また、この時期の特徴としては「村の城」とも呼ばれる施設が全国的に造られたことも挙げることができる。これは戦乱が日常化したため、地域の住民が戦乱発生時の避難施設として設けたもので、時には領主への抵抗運動や近隣集落との抗争時に立て籠もる軍事施設としても機能した。これらの施設は山頂に平場を作事するなど純粋な軍事施設の「城」に比べると簡素な造りで狭小であることが多い。

「天守閣や堀は必須ではないわけだね」

「そうだ。あくまで戦闘を意識した施設があれば広義の【城】なのだ」

「それで?」

「しかし、堀があればなお良い。堀のある屋敷は既に広義の【城】なのだ。それゆえに、中野の城山も広義の【城】と考えられるのだ」

「いわゆる城は無いけどお屋敷はあったわけだね」

「そう考えると、実は下高井戸の向陽中のあたりも、昔はお屋敷があった。南北に神田川とその支流が通り、天然の堀を形成している。お屋敷山と呼ばれていた場所だ。今はもう山は残っていないのだけどね。あれも、広義の【城】ではないか」

「下高井戸も杉並だね」

「他に、堀ノ内を城に関連すると指摘する意見がある。堀のある屋敷があればそれは広義の【城】だ」

「他に何か?」

「あるらしいぞ」

区内の古城址についてより

その他にも、善福寺池のほとりに善福寺城があったという説や、荻窪八幡南側の西荻北二丁目あたりに城山という地名が、さらに下流には堀之内という町名も残っていて、善福寺川沿いにいくつかの城があったのではないかと思われますが、いずれも推測の域を出ず、成宗の砦だけが文献により存在が確実視されている、杉並区内で唯一の中世城址です。

「善福寺川沿いか」

「石神井城があるなら、善福寺池にも何かあっても良さそうな気がしたが、説はあるようだ」

「西荻北二丁目は?」

「正確な位置は分からないが、このへんならあってもおかしくない。ってか検索したら桃三小に高射砲陣地があったという説が出てきて更に大変」

「えー」

若干の考察 §

「善福寺川沿いにいくつかの城があったという意見だが、実際には神田川沿いにもあったという仮説は立てうる。杉並区としては、あまり南部の研究は進んでいない場合が多いのだ」

「善福寺川は区役所の近くだからね」

「もう1つのハンデは、水源の井の頭の池は区外なのだ」

「杉並じゃないんだね」

「石神井池に石神井城が、善福寺池に善福寺城があるとしたら、井の頭池にも城を想定できるのだが、井の頭御殿山は近世のものなので当てはまらない。調べるとすれば杉並の範囲を出てしまう」

オマケ §

「城に興味を持つ根本的な理由が知りたい」

「どこも、水路関係で走った場所ばかりだから」

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