2015年05月31日
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1隻撃沈説と2隻撃沈説が存在する矛盾・チャリオット特殊潜航艇は1944年10月28~29日のシャム・プーケット港で何をしたのかの謎

Written By: 川俣 晶連絡先

「チャリオット特殊潜航艇ってなに?」

「これだ」

「何が問題なの?」

「日本語WikiPediaのチャリオット (特殊潜航艇)の項目を見たらこう書いてあった」

「イギリスのチャリオットが唯一完全に成功した作戦[2]」は、1944年10月28日から29日に生じた。HMSトレンチャントからMk IIチャリオットが発進した。このチャリオットには2名が搭乗し、トニー・エルドリッジRNVR中尉が指揮をとっていた。彼らは日本軍の支配下にあるシャム・プーケット港内の2隻の艦艇を沈めた。

「それで?」

「この2隻の名前を知りたいと思って調べ始めたら泥沼だった」

「どう泥沼なんだい?」

「チャリオットを発進させたトレンチャントのページを見るとスマトラ丸を撃沈したとしか書いていない。英語版でも同じ」

「は?」

「実は【プーケット港内の2隻の艦艇を沈めた】という記述は2重に間違いを含んでいる可能性が出てきた」

「というと?」

「まず第1に、ここで沈んだのは【スマトラ丸】で、ただの貨物船。艦艇にはあたらないかもしれない。厳密な定義に照らしてどうなるのかまでは分からないけどね」

http://hush.gooside.com/Text/2S/23Su/S305aSuma_.html より

C.van der Giessen & Zonen, Krimpen aan den IJssel造船所で1930.3第602番船として竣工42.3/2スラバヤで自沈したオランダ、NV Koninklijke Paketvaart Mij(KPM)貨物船Tomoriを44日本が浮揚しスマトラ丸と改名

10/28.0940マレー半島西岸プーケット在泊中、イギリス潜水艦(P331)トレンチャントを発進した人間魚雷チャリオットの攻撃を受けて沈没.

「それでTomariとして調べ直すと以下のような情報も出てきた」

Allied, Neutral and Vichy Merchant Ship Losses in the Pacific and Southeast Asiaより

Tomori (983 tons) - (Nth) Cargo Ship; Scuttled off Soerabaja, salved by IJN renamed Sumatra Maru, sunk by torpedo from HMS submarine Trenchant on October 28th, 1944 off Phuket Harbour.

「日本語、英語の両方で同じような話が出てくれば、それなりに正確な情報だと思って良さそうだね」

「そう思う」

「でも沈んだのは2隻だろう? もう1隻は?」

「いくら調べても出てこない」

「は?」

「同程度の信頼性の信頼性のある情報どころか、あやふやな情報すら出てこない。2隻という言葉だけがあって、具体的な船名が一切出てこない。実はこの2隻という記述が凄く怪しい」

「典拠は?」

「Julian Thompsonという人の書いた"The Imperial War Museum Book of the War at Sea . The Royal Navy in the Second World War"という本のPage 245-246だという」

「それが怪しいの?」

「突入した本人の書いたものが根拠で、客観的な検証を経ているか分からない」

「突入した本人は2隻だと思っているのかな?」

「それらしいものがあった」

Tony 'Lofty' Eldridge, 'human torpedo' - obituaryより

At 06.32 the following morning Hezlet summoned Eldridge to the periscope with a cry of “There she goes!” and through the eyepiece Eldridge saw debris fly into the air to twice the height of the mast. He watched as the second of two ships quickly sank.

「わあ。はっきりと、2隻の船が素早く沈むの見ていたことになっているね」

「ペリスコープ(潜望鏡)でな」

「それって意味があるの?」

「そもそも視界が制限された潜望鏡で、港外から港内の爆発を見たとしてどこまで正確に戦果を把握できたのだろうか?」

「それってどういう意味?」

「結局、"2隻沈んだ"の根拠を求めていくと本人の証言だけに行き着く。母艦だったトレンチャントの英語版WikiPediaの記述ですら、2隻説を承認しておらず、スマトラ丸だけを沈めたことになっている」

「つまり、なに?」

「戦場では錯誤がよくある。本人がいくら【確かに見た】と主張しようとも事実ではないという事例などいくらでもあるよ。そういうものの一種だと思った方が良いと思う」

「その根拠は?」

「実は、ここで沈んだスマトラ丸とは、本来Tomariというオランダ船であり、どちらの所属でもあったわけで、日本側とヨーロッパ側から調査が入っているはずだ」

「一緒に沈んだ船があれば、そのことを一言ぐらい誰かが書くはずだってことだね」

「しかし、このことに関してはこれをもって完全な結論とは言えない。全てはネットを使った机上の調査だからね。実は海底を調べると2隻の残骸が……ということもあるかもしれない」

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Written By: 川俣 晶連絡先

「チャリオット特殊潜航艇ってなに?」

「これだ」

「何が問題なの?」

「日本語WikiPediaのチャリオット (特殊潜航艇)の項目を見たらこう書いてあった」

「イギリスのチャリオットが唯一完全に成功した作戦[2]」は、1944年10月28日から29日に生じた。HMSトレンチャントからMk IIチャリオットが発進した。このチャリオットには2名が搭乗し、トニー・エルドリッジRNVR中尉が指揮をとっていた。彼らは日本軍の支配下にあるシャム・プーケット港内の2隻の艦艇を沈めた。

「それで?」

「この2隻の名前を知りたいと思って調べ始めたら泥沼だった」

「どう泥沼なんだい?」

「チャリオットを発進させたトレンチャントのページを見るとスマトラ丸を撃沈したとしか書いていない。英語版でも同じ」

「は?」

「実は【プーケット港内の2隻の艦艇を沈めた】という記述は2重に間違いを含んでいる可能性が出てきた」

「というと?」

「まず第1に、ここで沈んだのは【スマトラ丸】で、ただの貨物船。艦艇にはあたらないかもしれない。厳密な定義に照らしてどうなるのかまでは分からないけどね」

http://hush.gooside.com/Text/2S/23Su/S305aSuma_.html より

C.van der Giessen & Zonen, Krimpen aan den IJssel造船所で1930.3第602番船として竣工42.3/2スラバヤで自沈したオランダ、NV Koninklijke Paketvaart Mij(KPM)貨物船Tomoriを44日本が浮揚しスマトラ丸と改名

10/28.0940マレー半島西岸プーケット在泊中、イギリス潜水艦(P331)トレンチャントを発進した人間魚雷チャリオットの攻撃を受けて沈没.

「それでTomariとして調べ直すと以下のような情報も出てきた」

Allied, Neutral and Vichy Merchant Ship Losses in the Pacific and Southeast Asiaより

Tomori (983 tons) - (Nth) Cargo Ship; Scuttled off Soerabaja, salved by IJN renamed Sumatra Maru, sunk by torpedo from HMS submarine Trenchant on October 28th, 1944 off Phuket Harbour.

「日本語、英語の両方で同じような話が出てくれば、それなりに正確な情報だと思って良さそうだね」

「そう思う」

「でも沈んだのは2隻だろう? もう1隻は?」

「いくら調べても出てこない」

「は?」

「同程度の信頼性の信頼性のある情報どころか、あやふやな情報すら出てこない。2隻という言葉だけがあって、具体的な船名が一切出てこない。実はこの2隻という記述が凄く怪しい」

「典拠は?」

「Julian Thompsonという人の書いた"The Imperial War Museum Book of the War at Sea . The Royal Navy in the Second World War"という本のPage 245-246だという」

「それが怪しいの?」

「突入した本人の書いたものが根拠で、客観的な検証を経ているか分からない」

「突入した本人は2隻だと思っているのかな?」

「それらしいものがあった」

Tony 'Lofty' Eldridge, 'human torpedo' - obituaryより

At 06.32 the following morning Hezlet summoned Eldridge to the periscope with a cry of “There she goes!” and through the eyepiece Eldridge saw debris fly into the air to twice the height of the mast. He watched as the second of two ships quickly sank.

「わあ。はっきりと、2隻の船が素早く沈むの見ていたことになっているね」

「ペリスコープ(潜望鏡)でな」

「それって意味があるの?」

「そもそも視界が制限された潜望鏡で、港外から港内の爆発を見たとしてどこまで正確に戦果を把握できたのだろうか?」

「それってどういう意味?」

「結局、"2隻沈んだ"の根拠を求めていくと本人の証言だけに行き着く。母艦だったトレンチャントの英語版WikiPediaの記述ですら、2隻説を承認しておらず、スマトラ丸だけを沈めたことになっている」

「つまり、なに?」

「戦場では錯誤がよくある。本人がいくら【確かに見た】と主張しようとも事実ではないという事例などいくらでもあるよ。そういうものの一種だと思った方が良いと思う」

「その根拠は?」

「実は、ここで沈んだスマトラ丸とは、本来Tomariというオランダ船であり、どちらの所属でもあったわけで、日本側とヨーロッパ側から調査が入っているはずだ」

「一緒に沈んだ船があれば、そのことを一言ぐらい誰かが書くはずだってことだね」

「しかし、このことに関してはこれをもって完全な結論とは言えない。全てはネットを使った机上の調査だからね。実は海底を調べると2隻の残骸が……ということもあるかもしれない」

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