2015年06月21日
トーノZEROアニメ論ネクスト論total 690 count

ポストオタクとしての(仮称)ネクスト論

Written By: トーノ・ゼロ連絡先

概要 §

 ここで述べるのは、オタク文化の終焉にともなって勃興の兆しが見えた【その次の文化】について述べることだ。

 本稿ではこのムーブメントを仮にネクストと呼称する。また、ネクストが示す行為や考え方全般をネクスト文化と呼称する。

 ネクストの特徴は、オタクに隣接して親和性を発揮するものの、オタク文化を全肯定せず、オタクのお約束を必ずしも受容しないことにある。

 この特徴は、お約束からの逸脱を不得手とするオタク層とは相容れない場合があり、摩擦が発生する可能性がある。事実として既に摩擦が発生する場合がある。

 このような状況下で、ネクストはオタクとははっきりと独立した別勢力を構成する可能性があるため、本稿ではあえてネクストとオタクとは別のものと規定して論じる。

前提 §

 オタクの発祥は、明確ではない。1983年に中森明夫が『漫画ブリッコ』のコラムで「おたく」という用語を規定したが、この時点ではまだひらがなの「おたく」である。また、内容も現在のオタクとはかなり異質なものを含む。

 現在のオタクは、以下のような特徴を持つ。

  • 自らをオタクと自認する
  • オタク向けコンテンツやグッズの消費者となる
  • 世界に通用する文化であると自己主張する
  • 他者にはオタク文化への理解を求めるが、自ら異文化を理解しようとする機運に乏しい
  • 永遠不変の価値を信奉し、何歳になっても同じようなことを続けようとする
  • それにも関わらず、主張がよく変わる
  • 従順であり、ゴミのようなグッズを買うために炎天下で行列も厭わない
  • それにも関わらず、しばしば反社会的な行為に出る場合がある
  • 2次元の美少女を愛好し、生身の人間を愛好する行為を否定する場合がある
  • 言動が子供じみている場合がある。幼児語も多用する。

 つまり、現在のオタクとは【通常の人が望む以上に深く対象に没入するディープなマニアック集団】を意味せず、どちらかといえば【オタク向けコンテンツの消費者】という以上の位置づけはない。それゆえに、本当の意味でマニアックに振る舞おうとする行為は、しばしばオタク集団から弾き出されるという状況を発生させる。

 このようなタイプのオタク像がいつ成立したのかはあまり明確ではないが、1980年代には既に明確な萌芽があり、1990年代には部分的に開花していたものと考えられる。たとえば、それほど重大な事件が発生しない美少女ハーレムものが、このタイプのオタクが愛好する典型的なコンテンツだと仮定すると、そのようなアニメは1990年代には一定の割合で既に存在し、1980年代でも【きまぐれオレンジロード】のように【複数の美少女に囲まれた超能力者が、特に重大な事件も経験せずに日常を生活し続ける】というアニメが存在する。

 しかし、当時はまだ上を目指す【成長志向のオタク】が支配的であり、【不変=成長しない】ことを支持する現在のオタク層は、人数としての割合ははっきりしないものの、言論としては少数派であったものと思われる。この頃は、まだ権威が存在し、たとえばアニメ誌で【XX演出がレベルが高い】などと識者達の高評価が出ていれば、そんなものかと受け入れる風潮もあった。

 この流れは、ポストモダンの時代に典型的に見られる権威の失墜によって変化し、かつて存在したはずの【成長志向のオタク】は、別のものに変質していき、残された【不変=成長しないことを支持する層】だけが残って、これが典型的なオタクになったのではないだろうか。

 それと同時に進行したのが、社会による【日本のアニメやゲームはレベルが高い。世界に通用する】という発見である。その結果として、00前代前後に空前のオタクブームが発生する。オタク的なものがちょっと好き……というレベルの人達はかなり多く、彼らはオタク文化のフォロワーとして分厚い周辺層を形成していった。

 つまり00年代のオタク界は、主に以下の3つの層から構成されていたと考えられる。

  1. オタク相手にビジネスを行うビジネス層
  2. オタクのお約束を体現し、無理なく実践できるコアオタク層
  3. オタクへの憧れを抱く、フォロワーオタク層

 このうち、コアオタク層はかなり排他的で、趣味の領域が狭い。しかも、変化に乏しい。

 ビジネス層は、主にコアオタク層を相手にビジネスを考えることになる。確実に金を落とす優良顧客だからだ。だが、彼らは興味領域が狭く変化に乏しいので、必然的に商品は同じようなものが延々と繰り返すマンネリ気味にならざるを得ない。アニメのタイトルは3ヶ月程度で変化していくので、名前と絵を差し替えて新しい商品を開発することはできるのだが、タイトルを認識しない人から見ると似たような美少女キャラのグッズがいつも売っていると見えるかもしれない。だが、それこそがコアオタク層の望みであり、その意味ではニーズと商品が合致している。

 しかしながら、コアオタク層に昇格できなかったフォロワーオタク層から見える光景は違っている。彼らから見ると【成長しない連中】【マンネリ】という印象を与えてしまう。

 もう1つ悪いニュースがある。変化しないことはコアオタク層の望みだったはずなのだが、実際には彼らも変化するし飽きるのだ。理想的には永遠不変の世界を望むが、実際には彼らは生身の人間であり、変化を起こす。彼らの世界にもやはり【マンネリ】は存在するのだ。そのため、ビジネスは縮小再生産を余儀なくされる。つまり、欲しいと望む真理と実際の消費行動の間に解離があるのだ。

 ここにネクスト出現の前提が整った。

ネクスト/ネクスト文化とは何か §

 ネクストとは、以下の要素が複合して発生したムーブメントだと考えられる。

  • 行き詰まったビジネスの打開策
  • 狭く硬直化したコアオタク層からこぼれ落ちたコンテンツの存在
  • フォロワーオタク層からの願望

 つまり、コアオタク層は成熟によってどんどん間口を狭めて、正しいコンテンツと正しくないコンテンツを分類した結果として、かつては存在したはずの多様なコンテンツのかなりの部分が脱落している。しかし、脱落したコンテンツの中には出来が良い優秀な作品も存在する。そのようなものの中には、コアオタク層が正しいと承認したコンテンツよりも良くできているものもある。

 そのようなコンテンツを再発見し商品化することは、現状に【マンネリ】を感じて他の何かを待っているフォロワーオタク層からは歓迎される。それらは、出来が悪いわけではない。あくまで、コアオタク層が提示する条件に合わないだけなのだ。だが、その条件そのものに、【マンネリ】を感じ取った層からすれば、むしろ好ましい特徴に変化してしまうのだ。

 つまり、かつてはオタク界の辺境に位置づけられて、上手くオタク文化に適応できなかった者という烙印を押された者達がコンテンツの供給者になり、売れる商品をも模索する企業がそれを売り、マンネリから脱却して新しい刺激を求める多数者のフォロワー層がそれを受容するわけである。

 この流れの中にコアオタク層は取り残されている。コアオタク層はおそらくこの先も変化することはない少数者集団として生き続けるだろう。コアオタク層とネクストの一部は分類不明確なまま共存していくかも知れないが、摩擦は起きるものと予想される。

典型的なネクスト的行為とは何か §

 ネクストの存在を予感させた事例はとても多いのだが、特に分かりやすい例を1つ出しておこう。

 これは【実写化して良かった作品を僕達はまだしらない】という文言を【大半の人が言いたいこと】としたツイートに反論が多数寄せられたという内容だ。

 より分かりやすいように解説しよう。

 1985年に作られて軽井沢シンドロームというアニメがある。独特なキャラクターを描くたがみよしひさによる漫画の映像化だが、アニメのストーリーに実写の女性のイメージ映像が挿入されるという構成で、これはあまり出来が良くなかった。なぜかといえば、これを見る者達はたがみよしひさの独特なキャラクターを見たかったにも関わらず、当たり前だが実写の女優はただの女性でしかない。どこにも、たがみよしひさテイストはない。かなりの肩すかし感があった。

 これを契機に、急速にオタクの間に【実写忌避】の空気が出来上がり、【実写イコール失敗】という評価が定着していくことになる。

 実際には、1983年から87年まで、フジテレビのゴールデンタイムに、月曜ドラマランドという枠があり、そこで様々な漫画やアニメの実写ドラマ化が行われていたが、これほど長く続いたことから分かる通り、本来はそれほど酷く実写が忌避されていたわけではなかった。しかし、軽井沢シンドロームで流れは変化し始めた。

 ここで注意することは、実際に批判されるポイントは2つあることだ。つまり、【面白くない】と【原作と違う】という2点の批判点があり得る。だが、面白い、面白くないは個人の受け止め方の問題で一般化できるはずもない。誰かが面白いと思うからこそを制作されているので、誰1人面白いと思わないなら、作る前に企画が成立していない。そして、かなりのくせ者は【原作と違う】だ。絵で描いたキャラと生身の俳優が違うのはそもそも当たり前。同じにはできないのだ。しかも、原作と同じでは飽きられるので内容を変更するのは良くあることでしかない。【原作に忠実】とは工夫が無い手抜きと見なされる世界もあるのだ。だが、オタクは【原作に忠実では無いからダメだ】ということも多い。イメージを壊すというのだ。完全に価値観がすれ違っている。だが、イメージが壊れるかどうかも主観の問題で、その人次第だ。原作と違うけど面白いから好きという層もあるだろう。

 しかし、そのようなニュアンスは全て排斥されて、【実写イコール悪】であり、それには反論出来ないピリピリした空気があった。ある意味で当然だ【実写イコール悪】だとみんなで言い切った後で、【実写にもよくできた作品がある】と誰かが言って、それが肯定されてしまうと、【実写イコール悪】といった者達は全員間抜けだということになってしまうからだ。そういう意見は言いにくいように封じ込めるに限る。

 だが、コアオタク層が支持を失い、支配的な言説を展開できなくなってくると、別の価値観が噴出することになる。

 要するに映画を見て【良かった】【感動した】と思った層は、奇矯な少数派がせっかくの感動をぶちこわしに来たと見えてしまうのだ。こうなれば反発は必至だ。

 彼らの間で好きなものはそれほど大きく違うわけではない。

 だが、コアオタク層は彼らの信奉する正しさを狭く規定しすぎているがゆえに摩擦を生むのだ。

 そして、この摩擦をいとわないのが、典型的なネクストの行動パターンだ。

ネクストの原泉 §

 ネクストはどこから生まれたのだろうか。

 それは、オタク的正義への疑問の提示からだろう。

 おそらく90年代末から00年代全般に掛けて切っ掛けがいろいろと提示されているのだろうと思う。

 自分でも黒猫放談として書いたものがあるが、事例はいくらでもある。

 たとえば、2005年のテヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ(伊藤 剛)の冒頭では、いきなりガンガンやコロコロを除外して漫画を語るマニアのおかしさの指摘が行われる。当然、ガンガンやコロコロの掲載漫画が好きだった層からは反発を喰らうことになるはずだが、あまりそういう事例は聞かなかった。完全に層が違って棲み分けているからだろう。

 だが、そのような価値観を担う層の縮小弱体化が進行することで、【好きなものを好きといって何が悪い】というタイプの反発が噴出してくることになる。

 別に想定される原泉もある。たとえば、美少女ミリタリーというジャンルだ。このジャンルの商品は以前から存在したが、特に2012年のアニメ【ガールズ&パンツァー】や、2013年のゲーム【艦隊これくしょん -艦これ-】のブームで顕在化した。これらは美少女が並んでいるために、一見典型的なオタク向け作品に見えるのだが、実は戦車や軍艦には本当にディープな趣味世界があり、そこには普通美少女などは存在していない。そして、それらのディープな趣味世界は、子供っぽいオタク文化などよりも奥深いものだと気付いてしまえば、オタク文化はそこで相対化されてしまう。そうなれば、次に買うのはむさ苦しいおっさんのフィギュアが付属しているだけの戦車模型かもしれない。だが、19XX年のXX軍には前線で戦う女性兵士などいなかった……といわれれば、むしろ美少女の不在はよりディープな深みそのものなのだ。美少女抜きでは戦車も受容できないコアオタク層を追いかけていても行けない【もっと先の世界】なのだ。

 繰り返すが、これらは【ガールズ&パンツァー】【艦隊これくしょん -艦これ-】で始めて発生したものではない。ミリタリー美少女は00年代を通じて書籍等で一定数存在したスタイルなのだ。

NEXT? §

 最後にネクストのこれからについてまとめる。

 趣味嗜好の多様化に伴って、オタクっぽいものが好きであるにも関わらずコアオタク層から排斥された者達は、もともとオタク文化の裾野を形成していたフォロワーオタク層であるがゆえに層が厚い。彼らがオタク文化に似てそれにあらざるネクスト文化を形成していくのはある意味で必然だろう。

 しかしながら、そのネクスト文化は、あくまで現象をまとめてこちらで名前を付けたものでしかなく、誰かが現象をコントロールしているわけではない。モーゼのような男が先頭に立って海を割っているわけではないのだ。あくまで自発的な行動が1つの方向を向いているように見えるだけなのだ。

 それゆえに、ネクストが明確な層を形成していくのか、それとも雲のように拡散して消えていくのかは明確ではない。

 1つだけ確かなことは、コアオタク層の支持は失われつつあるが、コアオタク層はこれからもコアオタク層であり続けるだろう……ということだ。なぜなら、変化こそコアオタク層が最も不得手な行為だからだ。

 そのような意味で想定しうる言葉が1つある。

 「もうアニメを卒業しなさい」という言葉の復権だ。

 これは大人向きのアニメが存在しないという意見の表明ではないし、大人がアニメを見てはいけないという意見でもない。時と場合や立場をわきまえず、子供っぽいアニメばかり見ている行為への不快感の表明だろう。

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ポストオタクとしての(仮称)ネクスト論

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概要 §

 ここで述べるのは、オタク文化の終焉にともなって勃興の兆しが見えた【その次の文化】について述べることだ。

 本稿ではこのムーブメントを仮にネクストと呼称する。また、ネクストが示す行為や考え方全般をネクスト文化と呼称する。

 ネクストの特徴は、オタクに隣接して親和性を発揮するものの、オタク文化を全肯定せず、オタクのお約束を必ずしも受容しないことにある。

 この特徴は、お約束からの逸脱を不得手とするオタク層とは相容れない場合があり、摩擦が発生する可能性がある。事実として既に摩擦が発生する場合がある。

 このような状況下で、ネクストはオタクとははっきりと独立した別勢力を構成する可能性があるため、本稿ではあえてネクストとオタクとは別のものと規定して論じる。

前提 §

 オタクの発祥は、明確ではない。1983年に中森明夫が『漫画ブリッコ』のコラムで「おたく」という用語を規定したが、この時点ではまだひらがなの「おたく」である。また、内容も現在のオタクとはかなり異質なものを含む。

 現在のオタクは、以下のような特徴を持つ。

  • 自らをオタクと自認する
  • オタク向けコンテンツやグッズの消費者となる
  • 世界に通用する文化であると自己主張する
  • 他者にはオタク文化への理解を求めるが、自ら異文化を理解しようとする機運に乏しい
  • 永遠不変の価値を信奉し、何歳になっても同じようなことを続けようとする
  • それにも関わらず、主張がよく変わる
  • 従順であり、ゴミのようなグッズを買うために炎天下で行列も厭わない
  • それにも関わらず、しばしば反社会的な行為に出る場合がある
  • 2次元の美少女を愛好し、生身の人間を愛好する行為を否定する場合がある
  • 言動が子供じみている場合がある。幼児語も多用する。

 つまり、現在のオタクとは【通常の人が望む以上に深く対象に没入するディープなマニアック集団】を意味せず、どちらかといえば【オタク向けコンテンツの消費者】という以上の位置づけはない。それゆえに、本当の意味でマニアックに振る舞おうとする行為は、しばしばオタク集団から弾き出されるという状況を発生させる。

 このようなタイプのオタク像がいつ成立したのかはあまり明確ではないが、1980年代には既に明確な萌芽があり、1990年代には部分的に開花していたものと考えられる。たとえば、それほど重大な事件が発生しない美少女ハーレムものが、このタイプのオタクが愛好する典型的なコンテンツだと仮定すると、そのようなアニメは1990年代には一定の割合で既に存在し、1980年代でも【きまぐれオレンジロード】のように【複数の美少女に囲まれた超能力者が、特に重大な事件も経験せずに日常を生活し続ける】というアニメが存在する。

 しかし、当時はまだ上を目指す【成長志向のオタク】が支配的であり、【不変=成長しない】ことを支持する現在のオタク層は、人数としての割合ははっきりしないものの、言論としては少数派であったものと思われる。この頃は、まだ権威が存在し、たとえばアニメ誌で【XX演出がレベルが高い】などと識者達の高評価が出ていれば、そんなものかと受け入れる風潮もあった。

 この流れは、ポストモダンの時代に典型的に見られる権威の失墜によって変化し、かつて存在したはずの【成長志向のオタク】は、別のものに変質していき、残された【不変=成長しないことを支持する層】だけが残って、これが典型的なオタクになったのではないだろうか。

 それと同時に進行したのが、社会による【日本のアニメやゲームはレベルが高い。世界に通用する】という発見である。その結果として、00前代前後に空前のオタクブームが発生する。オタク的なものがちょっと好き……というレベルの人達はかなり多く、彼らはオタク文化のフォロワーとして分厚い周辺層を形成していった。

 つまり00年代のオタク界は、主に以下の3つの層から構成されていたと考えられる。

  1. オタク相手にビジネスを行うビジネス層
  2. オタクのお約束を体現し、無理なく実践できるコアオタク層
  3. オタクへの憧れを抱く、フォロワーオタク層

 このうち、コアオタク層はかなり排他的で、趣味の領域が狭い。しかも、変化に乏しい。

 ビジネス層は、主にコアオタク層を相手にビジネスを考えることになる。確実に金を落とす優良顧客だからだ。だが、彼らは興味領域が狭く変化に乏しいので、必然的に商品は同じようなものが延々と繰り返すマンネリ気味にならざるを得ない。アニメのタイトルは3ヶ月程度で変化していくので、名前と絵を差し替えて新しい商品を開発することはできるのだが、タイトルを認識しない人から見ると似たような美少女キャラのグッズがいつも売っていると見えるかもしれない。だが、それこそがコアオタク層の望みであり、その意味ではニーズと商品が合致している。

 しかしながら、コアオタク層に昇格できなかったフォロワーオタク層から見える光景は違っている。彼らから見ると【成長しない連中】【マンネリ】という印象を与えてしまう。

 もう1つ悪いニュースがある。変化しないことはコアオタク層の望みだったはずなのだが、実際には彼らも変化するし飽きるのだ。理想的には永遠不変の世界を望むが、実際には彼らは生身の人間であり、変化を起こす。彼らの世界にもやはり【マンネリ】は存在するのだ。そのため、ビジネスは縮小再生産を余儀なくされる。つまり、欲しいと望む真理と実際の消費行動の間に解離があるのだ。

 ここにネクスト出現の前提が整った。

ネクスト/ネクスト文化とは何か §

 ネクストとは、以下の要素が複合して発生したムーブメントだと考えられる。

  • 行き詰まったビジネスの打開策
  • 狭く硬直化したコアオタク層からこぼれ落ちたコンテンツの存在
  • フォロワーオタク層からの願望

 つまり、コアオタク層は成熟によってどんどん間口を狭めて、正しいコンテンツと正しくないコンテンツを分類した結果として、かつては存在したはずの多様なコンテンツのかなりの部分が脱落している。しかし、脱落したコンテンツの中には出来が良い優秀な作品も存在する。そのようなものの中には、コアオタク層が正しいと承認したコンテンツよりも良くできているものもある。

 そのようなコンテンツを再発見し商品化することは、現状に【マンネリ】を感じて他の何かを待っているフォロワーオタク層からは歓迎される。それらは、出来が悪いわけではない。あくまで、コアオタク層が提示する条件に合わないだけなのだ。だが、その条件そのものに、【マンネリ】を感じ取った層からすれば、むしろ好ましい特徴に変化してしまうのだ。

 つまり、かつてはオタク界の辺境に位置づけられて、上手くオタク文化に適応できなかった者という烙印を押された者達がコンテンツの供給者になり、売れる商品をも模索する企業がそれを売り、マンネリから脱却して新しい刺激を求める多数者のフォロワー層がそれを受容するわけである。

 この流れの中にコアオタク層は取り残されている。コアオタク層はおそらくこの先も変化することはない少数者集団として生き続けるだろう。コアオタク層とネクストの一部は分類不明確なまま共存していくかも知れないが、摩擦は起きるものと予想される。

典型的なネクスト的行為とは何か §

 ネクストの存在を予感させた事例はとても多いのだが、特に分かりやすい例を1つ出しておこう。

 これは【実写化して良かった作品を僕達はまだしらない】という文言を【大半の人が言いたいこと】としたツイートに反論が多数寄せられたという内容だ。

 より分かりやすいように解説しよう。

 1985年に作られて軽井沢シンドロームというアニメがある。独特なキャラクターを描くたがみよしひさによる漫画の映像化だが、アニメのストーリーに実写の女性のイメージ映像が挿入されるという構成で、これはあまり出来が良くなかった。なぜかといえば、これを見る者達はたがみよしひさの独特なキャラクターを見たかったにも関わらず、当たり前だが実写の女優はただの女性でしかない。どこにも、たがみよしひさテイストはない。かなりの肩すかし感があった。

 これを契機に、急速にオタクの間に【実写忌避】の空気が出来上がり、【実写イコール失敗】という評価が定着していくことになる。

 実際には、1983年から87年まで、フジテレビのゴールデンタイムに、月曜ドラマランドという枠があり、そこで様々な漫画やアニメの実写ドラマ化が行われていたが、これほど長く続いたことから分かる通り、本来はそれほど酷く実写が忌避されていたわけではなかった。しかし、軽井沢シンドロームで流れは変化し始めた。

 ここで注意することは、実際に批判されるポイントは2つあることだ。つまり、【面白くない】と【原作と違う】という2点の批判点があり得る。だが、面白い、面白くないは個人の受け止め方の問題で一般化できるはずもない。誰かが面白いと思うからこそを制作されているので、誰1人面白いと思わないなら、作る前に企画が成立していない。そして、かなりのくせ者は【原作と違う】だ。絵で描いたキャラと生身の俳優が違うのはそもそも当たり前。同じにはできないのだ。しかも、原作と同じでは飽きられるので内容を変更するのは良くあることでしかない。【原作に忠実】とは工夫が無い手抜きと見なされる世界もあるのだ。だが、オタクは【原作に忠実では無いからダメだ】ということも多い。イメージを壊すというのだ。完全に価値観がすれ違っている。だが、イメージが壊れるかどうかも主観の問題で、その人次第だ。原作と違うけど面白いから好きという層もあるだろう。

 しかし、そのようなニュアンスは全て排斥されて、【実写イコール悪】であり、それには反論出来ないピリピリした空気があった。ある意味で当然だ【実写イコール悪】だとみんなで言い切った後で、【実写にもよくできた作品がある】と誰かが言って、それが肯定されてしまうと、【実写イコール悪】といった者達は全員間抜けだということになってしまうからだ。そういう意見は言いにくいように封じ込めるに限る。

 だが、コアオタク層が支持を失い、支配的な言説を展開できなくなってくると、別の価値観が噴出することになる。

 要するに映画を見て【良かった】【感動した】と思った層は、奇矯な少数派がせっかくの感動をぶちこわしに来たと見えてしまうのだ。こうなれば反発は必至だ。

 彼らの間で好きなものはそれほど大きく違うわけではない。

 だが、コアオタク層は彼らの信奉する正しさを狭く規定しすぎているがゆえに摩擦を生むのだ。

 そして、この摩擦をいとわないのが、典型的なネクストの行動パターンだ。

ネクストの原泉 §

 ネクストはどこから生まれたのだろうか。

 それは、オタク的正義への疑問の提示からだろう。

 おそらく90年代末から00年代全般に掛けて切っ掛けがいろいろと提示されているのだろうと思う。

 自分でも黒猫放談として書いたものがあるが、事例はいくらでもある。

 たとえば、2005年のテヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ(伊藤 剛)の冒頭では、いきなりガンガンやコロコロを除外して漫画を語るマニアのおかしさの指摘が行われる。当然、ガンガンやコロコロの掲載漫画が好きだった層からは反発を喰らうことになるはずだが、あまりそういう事例は聞かなかった。完全に層が違って棲み分けているからだろう。

 だが、そのような価値観を担う層の縮小弱体化が進行することで、【好きなものを好きといって何が悪い】というタイプの反発が噴出してくることになる。

 別に想定される原泉もある。たとえば、美少女ミリタリーというジャンルだ。このジャンルの商品は以前から存在したが、特に2012年のアニメ【ガールズ&パンツァー】や、2013年のゲーム【艦隊これくしょん -艦これ-】のブームで顕在化した。これらは美少女が並んでいるために、一見典型的なオタク向け作品に見えるのだが、実は戦車や軍艦には本当にディープな趣味世界があり、そこには普通美少女などは存在していない。そして、それらのディープな趣味世界は、子供っぽいオタク文化などよりも奥深いものだと気付いてしまえば、オタク文化はそこで相対化されてしまう。そうなれば、次に買うのはむさ苦しいおっさんのフィギュアが付属しているだけの戦車模型かもしれない。だが、19XX年のXX軍には前線で戦う女性兵士などいなかった……といわれれば、むしろ美少女の不在はよりディープな深みそのものなのだ。美少女抜きでは戦車も受容できないコアオタク層を追いかけていても行けない【もっと先の世界】なのだ。

 繰り返すが、これらは【ガールズ&パンツァー】【艦隊これくしょん -艦これ-】で始めて発生したものではない。ミリタリー美少女は00年代を通じて書籍等で一定数存在したスタイルなのだ。

NEXT? §

 最後にネクストのこれからについてまとめる。

 趣味嗜好の多様化に伴って、オタクっぽいものが好きであるにも関わらずコアオタク層から排斥された者達は、もともとオタク文化の裾野を形成していたフォロワーオタク層であるがゆえに層が厚い。彼らがオタク文化に似てそれにあらざるネクスト文化を形成していくのはある意味で必然だろう。

 しかしながら、そのネクスト文化は、あくまで現象をまとめてこちらで名前を付けたものでしかなく、誰かが現象をコントロールしているわけではない。モーゼのような男が先頭に立って海を割っているわけではないのだ。あくまで自発的な行動が1つの方向を向いているように見えるだけなのだ。

 それゆえに、ネクストが明確な層を形成していくのか、それとも雲のように拡散して消えていくのかは明確ではない。

 1つだけ確かなことは、コアオタク層の支持は失われつつあるが、コアオタク層はこれからもコアオタク層であり続けるだろう……ということだ。なぜなら、変化こそコアオタク層が最も不得手な行為だからだ。

 そのような意味で想定しうる言葉が1つある。

 「もうアニメを卒業しなさい」という言葉の復権だ。

 これは大人向きのアニメが存在しないという意見の表明ではないし、大人がアニメを見てはいけないという意見でもない。時と場合や立場をわきまえず、子供っぽいアニメばかり見ている行為への不快感の表明だろう。

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