「時々、これは良くないと思うことがあるので、一応説明しておこう」
「それはなんだい?」
「自分の真似をすることの悪影響さ」
「何が悪影響なんだい?」
「過剰に分析的に振る舞う行為の不毛さだよ」
「君は作品に対して分析的に振る舞っているじゃないか」
「それが不毛だと言っているのだよ」
「説明してくれ」
理屈の問題 §
「理屈は、物語の構築に必要なのであって、見るためには要らない。そもそも、見る人が物語の構築論など分かっていることは前提にできない。当たり前だ。だから、あまり難しいことは言わない。言っても相手に届かないからだ」
「つまりなんだい?」
「通常の作品を見るために理屈は要らない。単に見たらいい。それだけだ。それで歯が立たない内容が含まれる場合もあるが、それはあくまで特定の層に対するオマケ要素であって、別に無理をして見る必要もないし、見ても分からない。ただのオマケだからスルーしてメインディッシュを頂くべきだ」
「では、なぜ君は理屈を持ち出すのだね?」
「不発に終わった物語を再構成して、可能性を見出すためだよ」
「それは作品の底を踏み抜いて、向こう側の世界を見た上で戻ってくることを意味するのだね?」
「そうだ」
「そのことに何の問題があるの?」
「安易に真似をすると遭難する。事実遭難者はいくらでも見てきた」
「隘路に入り込んで戻れなくなった人達だね」
「そうだ。本来は道が存在するが、道を踏み外すと戻れない。もちろん、わざと道から外れる方法論はあるのだが、それもこれもまず道を認識することから始まる。ところが、道という概念が無い人が安易に足を踏み込むと、デタラメに歩いた上でたまたま認識可能な光景を見ると【何かを掴んだ】と錯覚して、そこで引き返そうとする。でも実際は全体像が見えたわけではなく、そこに解釈できるものが置いてあっただけのことで、解釈そのものが正しいかは別問題になる」
「全体を見てないってことだね」
「まあそうだ」
「それで?」
「だから作品が持つメッセージはそれほど複雑ではなく、あとは客の側に【見る意志】があるか否かだけが問題にされる」
「難しい理屈をひねる必用はないってことだね」
「そうだ。難しい理屈は、あえて死んだ子の年を数える場合にのみ必要とされる。それなりに平均点以上に上手くできている作品に対しては必要が無いことだ」
「分かった。つまり、過剰に分析的に振る舞うことは【その作品は失敗作だ】と言っているのに等しいわけだね?」
「そうだ。はっきり言って、それはけなしているのと同じことだ。作品は誰でもメッセージが読み取れるように平易に作るのが基本であって、たまにその筋をわざと外す作品はあるとしても、その作品の特殊事情に起因するものだ。普通なら、それはない」
「それは、ヤマト完結編やヤマトよ永遠には失敗作だと言っているように聞こえるぞ」
「まあ、大きな声では言わないがその通りだ。残念作だと思っているよ。しかし、可能性の萌芽は見えるから、なぜ残念作になったのか、その理由を知りたいと思った。それだけだ」
オマケ §
「なら、どうしてヤマト2199や方舟に関して、可能性を探らないんだい?」
「ヤマト2199はどうすれば救済できるか、救済できる限界はどこなのかについては、追憶の航海が既にやっているからな。別においらが何かをする必要は感じない。それ以前に、踏み込む意欲そのものがない。踏み込むべき作品だとも思わない」
「方舟は?」
「スタートレックは、うちでは扱ってない。スタートレックを解釈する言葉も無いし、別に知識もない。ただのStar Trek: The Motion Picture 好きで、NCC-1701A好きは、TNGの時代に既に振り落とされたロートルさ。ましてスタートレック全般なんぞ語れん。TNGやDS9はほとんど見てすらいないんだからな」
「ひ~」