彼は商人だった。
と言っても独立した商人ではない。
彼の上司の名前は「死」と言った。上司は既に死んでいたからだ。上司の名前が「死」なので、彼は通称「死の商人」と呼ばれていた。
上司は死んでいるのに、動いて喋った。
彼はいつか上司のようになりたいと思っていた。理由は簡単、死んでいればそれ以上死ぬことはないからだ。つまり寿命は無限だった。
ある日彼は死に呼び出された。
「間抜けな住人が住んでいる島がある。そこで一儲けしてこい」
「へい」
彼はさっそく、指示された島に向かった。
島に到着する頃、彼がやとった海賊が島を襲った。
彼は、勇戦する振りをして海賊を追い払った。
島民からは感謝されたが、もちろん全てお芝居だ。
「海賊はきっとまた来ます」と彼は言った。「しかし、私は旅の商人。永遠にこの島にいるわけではありません」
「どうすれば良いのですか!」
「防備を固めるのです。防壁を作り、武器を並べるのです」
「しかし、この島には武器などありません」
「私の船に積み込まれています。これも何かの縁です。格安でお分けしましょう」
彼はそのまま相場の倍額で武器を売り払った。ボロ儲けだった。しかも、相場を知らない島民からは感謝された。
彼はそのまま対岸の大陸に渡って、その国の大臣と面談すると訴えた。
「大変です」
「何事かね」
「海の向こうの島では、武器を揃えて島を要塞化しています。きっと大陸を攻めるつもりです」
「むむ。こしゃくな蛮族め。軍事大国の我が国の力を見せてやろう」
「しかし、今は北方の蛮族相手に戦力を割かれているはず。島を攻めるには武器が足りないはずです」
「うむむ。じゃあ、島の討伐はその後で」
「島の要塞化は進行中です。それでは手遅れになりかねません」
「どうすればいいのだ」
「良ければ追加の武器を売りましょう」
「背に腹は代えられない。よろしく頼む」
彼はまた商売を成功させた。
相場を知っている大臣には高く売ることは出来なかった。むしろ割引した程だ。しかし、関係なかった。大国は、島とは比較にならないぐらい大量の武器を買ってくれたからだ。
「とりあえず、中間の小島に商品は置いてありますので、軍にそこまで進出頂くと話が早いかと」
「あそこは、古来我が国の漁師が利用してきた無人島だ。そこに兵を出すだけでは相手も、軍事的脅威とは受け止めないはずだ。よし。すぐに予備兵を招集して向かわせよう」
彼は島にとって返すと、すぐに叫んだ。
「大変だ。大陸の軍隊がこの島への派兵を準備中だ。占領する気だぞ。既に途中の無人島は占拠されているぞ」
「なんだって? あそこは古来我々が漁の中継点として使っていた土地だぞ」
「反撃あるのみです」
「やはりそうだな。いくら相手が大国だからといってあれは横暴だ」
「この島の防備も固めましょう。迂回路で攻められる可能性もあります」
「しかし……」
「残された女子供が虐殺されてもいいのですか」
「よし。島の防備ももっと固めよう。港だけでなく、島全体を武装するのだ」
彼はほくそ笑んだ。
また武器が売れる。
現実問題として、中間の小島の帰属は曖昧だった。どちらの国の漁師もたまにこの島を利用しているだけで、滅多に顔を合わせなかった。顔を合わせても、なごやかに談笑して分かれるだけだった。漁師は国境を意識しなかったからだ。
しかし、現場を知らずにふんぞりかっている連中は違った。そこは我々の土地で間違いないと思っていたからだ。
血で血を洗う戦いが起きたが、戦いは互角だった。大陸の大国は全力で戦えないので戦力が常に不足した。島の方は全力で戦えた上に、海に慣れた男が多かったので、戦力は少なくとも有利だった。
しかし、それでは決着が付かないとみるや、大国は圧倒的に巨大な軍艦を調達して差し向けた。他国で建造中だった軍艦を買い取って完成させたのだ。これで決戦を仕掛ければ、ボートに毛が生えた船しか持っていない島など圧倒できるというのだ。
しかし、島の方は小回りの利く、新式快速船で大型軍艦を翻弄した。これも、他国から買い入れた商品だった。島の経済力では大型軍艦など買えないが、それと互角に戦う手段ならあったのだ。
もちろん、どちらの軍艦も彼の斡旋で売ったものだ。話をまとめて、商談を成立させた。
大陸の大国も島も、既に経済的にはボロボロだった。
戦争の成り行きに変化が見えたのは、大陸の大国による北の蛮族討伐が終了した頃だ。これで大国は全力で島を攻められる。
こうなると、経済力で劣る島側に勝ち目はなかった。
島は、総人口の半数以上を失い、ほぼ全ての建物は焼かれ、港の堤防も破壊されていた。畑ももう無かった。
「やったぞ。ついに勝った」
そこで彼は大陸の大臣にひと言言った。「いえ、まだです」
「なに?」
「生活できずにヤケになった島民が海賊になって襲って来かねません」
「どうしろというのだ」
「復興を支援するのです。日常生活を取り戻せば、簡単に海賊にはならないでしょう」
「だがどうやって」
「復興資材を提供しますので、是非ともお買い上げを」
「我が国には既に金は無いのだ」
「しかし、海賊に襲撃されるよりはマシでしょう?」
「うむむ」
またしても、彼は復興資材を売って大もうけした。
島は大国の一部に併合され、徐々に平和で美しい島は復活していった。
島民の子孫のうち、優秀な者は大陸に渡って勉強するようになった。
すると彼らはある疑問を感じるようになった。
「あの戦争は何かがおかしい。まるで誰かにはめられたようだ」
本当なら戦う理由など無かった2つの国が、この男のせいで戦って、多くの犠牲を出してしまったのだ。
結局、彼の悪行は暴かれて、死の商人は公開処刑されてしまった。
二度と、彼のような商人の口車には乗らないようにしよう。
大陸と島の住民はみなそう思った。
彼は墓の中に眠らされた。
しかし、上司がやって来て彼を起こした。
「こら。いつまで寝ているのだ。仕事は山ほどあるぞ」
「しかし私は死んだはずは?」
「死の商人は、死してなお死を商う者。私のようにね」
「分かりました。一度死んだ私はもう死なないわけですね」
「そうだ。それが君の希望だったな」
「はい」
「では行け」
あれから既に百年近くが経過していた。
あの大陸と島の戦争を経験したものはほとんど残っていなかった。
彼は、島に上陸すると叫んだ。
「海賊が襲ってくるぞ! 島の防備を固めろ!」
「その手に乗るか。ご先祖はその手で酷い目に遭ったんだ」島民はみな笑った。
「馬鹿野郎!」と彼は叫んだ。「俺の船を見ろ。船の後尾が半壊しているだろ。積み荷を全部売っても赤字だ。しかも積み荷は食料だ。武器じゃない」
島民は顔を見合わせた。
「死にたい奴は好きにしろ!」
その時、島民達の後から出てくる男があった。
「武器ならあるぜ」
その男はニヤリと笑った。
「おまえは! 大陸からの分離独立派の過激分子!」
「おっと。今は島の一大事だ。もう派閥争いなんかしている場合じゃないぜ」
「そうだそうだ」
「そこの商人」
と男は彼を指さした。
「はい、なんでしょう?」
「あの船を売れ」
「は?」
「後が壊れたあの船。壊れた部分を武装可能に改造して修復するんだ。それを軍艦にして海賊を撃退する。どうだ。いいアイデアだろう?」
「分かりました。修理しても金が掛かる船です。お譲りしましょう」
彼はニヤリを笑った。ちなみに過激派が持っている武器も彼が間接的に売ったものだった。武器も壊れた船も売れてほくほくだ。
島民達が武装して自信を持ち、大陸に対して独立戦争を仕掛けるまであと僅かだった。そして、血で血を洗う戦争が起これば、儲けるのは彼だった。
ちょろいちょろい。
どんなに凄惨な記憶を残す出来事があっても、世代が代わればまた同じ手口で騙せる。
世界は永遠に死の商人のものだ。
彼は上司に感謝した。死は最強であり、あらゆる人間は死という結末からは逃れられないのですね!
(遠野秋彦・作 ©2015 TOHNO, Akihiko)