2016年05月08日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記total 473 count

右も左も嘘だらけの戦争語りと混乱の昭和20年代

Written By: 川俣 晶連絡先

「君はこれを読んでどう思う?」

「この人が分かっていないのは、歴史的な全ての記述は疑って掛かるべきであるが、特に全ての戦争に関する語りは慎重に疑うべきだという認識だよ」

「なぜ歴史的な全ての記述は疑って掛かるべきなのかい?」

「人が違えば同じ出来事に違った光景が見えるからさ。見てきたという主張をそのまま事実と承認はできない。まして時間をおけば記憶は風化して変形していく。事実だという主張はそのまま受け入れてはならない。傍証や物証と付き合わせて妥当性を見定めねばならない」

「じゃあ、特に全ての戦争に関する語りは慎重に疑うべきというのは?」

「戦争は起こすことができるあらゆる行為が起こりうる無法の場だ。そのような場において、認識や情報の伝達が常に適切に行われるとは限らないし、極限状況での記憶や認識が正しいという保証はない。しかも、絶対にやってはならいことをやってしまって、その記憶を墓場まで持って行く場合もある。要するに嘘は当たり前。関係者が死んでやっと喋れる真実も実際にある。しかし、その真実が本当なのかはそれも分からない。記憶は風化するからだ」

「つまりなんだい?」

「戦争という極限状況下ではストーリーの捏造が常に行われていて、その1つの代表が【大本営発表】だが、反戦側も戦後どんどんストーリーを捏造しているわけだ。【良い嘘はついても良い】という考え方だね」

「嘘は有益なこともあるのでは?」

「その通りだ。しかし、少し調べると整合性が破綻する嘘は、かえってその話そのものの信憑性を損なう」

「なぜ、そんな嘘をつくの?」

「少したりとも調べないアホな大衆を騙して扇動できればそれで十分だからだ」

「じゃあ、この文章は結局何を言っているのだい?」

「要するに戦後平和教育を叩きたいだけだろう」

「じゃあ、どこに注目すべきなの?」

「フィクションであるということ」

「説明してくれ」

「伊藤 剛さんが、面白いことをつぶやいていた。冒険ダン吉の作者の話だ」

「冒険ダン吉というと、あの絵に文字が付いた絵物語だね。のらくろ的なコマ漫画よりももっと古いスタイル」

「その作者が1948年に描いた漫画が、完全にコマ漫画なんだよ」

https://twitter.com/GoITO/status/729124066179719169

「1948年って、昭和23年だろ? 戦争が終わった直後じゃないか」

「そうだ。天才手塚が何もかも作り出したという手塚史観を覆す凄く先進的で新しい表現だ」

「それってどういうこと?」

「手塚史観は正しくない。フィクションだ。しかし、昭和20年代にあってはフィクションは珍しくない」

「どうして?」

「フィクションの多い戦争中の価値観はそのまま昭和20年代にまで続いていたからだろう」

「でも、今はそこまでフィクションに寛容ではないよ」

「まあ、今でもインチキだらけで世界はフィクションに寛容とは言えるが、確かにあまり極端なフィクションは好まれない」

「どこで変化したの?」

「おそらく、昭和30年代。もはや戦後ではない、と言ってオリンピックを誘致するためには、フィクションは困るのだ」

「オリンピックを見に来た外国人がその目で見れば嘘は簡単にばれるわけだね」

「そうだ。従って、昭和10年代は【軍部が悪い。戦争が悪い】というフィクションで封印される。これは既にかなり遠い過去だし、空襲でかなり焼けたのでフィクションが露呈する確率は低い」

「じゃあ、昭和20年代は?」

「責任を押しつけるスケープゴートが存在しないので、ただ単に封印される。政府も国民も共犯してみんなで封印する。みんな知られたくない過去があるからだ」

「たとえば?」

「無免許の子供が運転する自動車などだね」

「だから、みんな揃って昭和20年代を抹殺するわけだね?」

「そうだ。しかし、混乱も大きいからそもそも歴史を保存できなかったという側面もあるかも知れない」

「進駐軍は?」

「進駐軍も、善人の顔と悪魔の顔の二面性を持つ存在だからな。やはりある種の情報は抹殺する方向に動いたと思う」

「じゃあ、君はどこで昭和20年代という問題に気づいたの?」

「そこははっきりしないが、最近明確に意識した契機なら説明できる」

「どこだい?」

「昭和20年代の映画だよ。まだ簡単に見られる映画が何本もある。いや、戦争中の国威発揚映画ですら、十分に【おや?】と立ち止まらせるのに十分だった」

「それはどういうことだい?」

「実は戦争中であっても、戦争批判は普通にあったし、戦争の悲惨さを描く行為もあった。国威発揚のために、マスコミを統制したり、作家や画家に戦争賛美を書かせたところで、それとは別に戦争批判はあった」

「そもそも、マスコミの言うことが嘘だらけというのは、ある程度の見識がある人なら分かっていたはずなのだね」

「そうだ。マスコミはあてにならない。最初からあてにならないのだ。最近のマスコミがダメになったわけではない。最初からダメなのだ」

「つまり、たまたま言論自警団に見つかった運の悪い人が連行されただけで、実際には戦争に批判的な人たちは普通にいたってこと?」

「おそらくな」

「昭和20年代には、あらゆる悪徳が横行して、それゆえに政府も国民もぐるになって歴史を隠蔽したってこと?」

「政府があからさまな嘘を付いているとは思わないが、できるだけ語らないようにして、どんどん昭和20年代の存在感を希薄にしているのかもしれない。もっとも、そもそも語る根拠になる資料もあまり残っていないような気もするが」

「たとえば、どんな悪徳があるの?」

「鉄道会社がやっていた。車体更新車という名目の新造車とか」

「嘘をついたわけだね」

「鉄道は昔から熱心なマニアが多いから、そのような記録は詳細に残るがね。そうではないジャンルで闇に葬られた歴史は多いと思うよ」

まとめ §

「昭和20年代。それは近くて遠いフロンティア。開拓すべき荒野だ。昭和39年生まれのおいらから見れば産まれるわずか10年前なのにさっぱり詳細が見えてこない」

「なぜ昭和20年代が重要なんだい?」

「まともな航空写真が残るのは昭和20年代から。昭和20年代の一般写真はあまり多くないのだが、映画の背景に映り込んでいるロケ地の光景は立派な史料たり得る。特に日本ロケしたアメリカの映画は邦画より先にカラー化していて貴重だぞ。そいった物証を前提にいろいろな考察を試みることができる。戦前になるとそれは難しくなっていく。まして末期を除く江戸期以前は正確な地図すら入手できない」

「なんで昭和20年代に日本ロケしたアメリカの映画があるの?」

「朝鮮戦争の題材にした映画があるからだ」

「なんで朝鮮戦争なのに日本ロケなの?」

「朝鮮戦争のアメリカ軍の補給基地は日本だったからだ」

「分かった。戦争協力した事実も、無かったことにしたい昭和20年代の日本人の汚点なのだね」

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「君はこれを読んでどう思う?」

「この人が分かっていないのは、歴史的な全ての記述は疑って掛かるべきであるが、特に全ての戦争に関する語りは慎重に疑うべきだという認識だよ」

「なぜ歴史的な全ての記述は疑って掛かるべきなのかい?」

「人が違えば同じ出来事に違った光景が見えるからさ。見てきたという主張をそのまま事実と承認はできない。まして時間をおけば記憶は風化して変形していく。事実だという主張はそのまま受け入れてはならない。傍証や物証と付き合わせて妥当性を見定めねばならない」

「じゃあ、特に全ての戦争に関する語りは慎重に疑うべきというのは?」

「戦争は起こすことができるあらゆる行為が起こりうる無法の場だ。そのような場において、認識や情報の伝達が常に適切に行われるとは限らないし、極限状況での記憶や認識が正しいという保証はない。しかも、絶対にやってはならいことをやってしまって、その記憶を墓場まで持って行く場合もある。要するに嘘は当たり前。関係者が死んでやっと喋れる真実も実際にある。しかし、その真実が本当なのかはそれも分からない。記憶は風化するからだ」

「つまりなんだい?」

「戦争という極限状況下ではストーリーの捏造が常に行われていて、その1つの代表が【大本営発表】だが、反戦側も戦後どんどんストーリーを捏造しているわけだ。【良い嘘はついても良い】という考え方だね」

「嘘は有益なこともあるのでは?」

「その通りだ。しかし、少し調べると整合性が破綻する嘘は、かえってその話そのものの信憑性を損なう」

「なぜ、そんな嘘をつくの?」

「少したりとも調べないアホな大衆を騙して扇動できればそれで十分だからだ」

「じゃあ、この文章は結局何を言っているのだい?」

「要するに戦後平和教育を叩きたいだけだろう」

「じゃあ、どこに注目すべきなの?」

「フィクションであるということ」

「説明してくれ」

「伊藤 剛さんが、面白いことをつぶやいていた。冒険ダン吉の作者の話だ」

「冒険ダン吉というと、あの絵に文字が付いた絵物語だね。のらくろ的なコマ漫画よりももっと古いスタイル」

「その作者が1948年に描いた漫画が、完全にコマ漫画なんだよ」

https://twitter.com/GoITO/status/729124066179719169

「1948年って、昭和23年だろ? 戦争が終わった直後じゃないか」

「そうだ。天才手塚が何もかも作り出したという手塚史観を覆す凄く先進的で新しい表現だ」

「それってどういうこと?」

「手塚史観は正しくない。フィクションだ。しかし、昭和20年代にあってはフィクションは珍しくない」

「どうして?」

「フィクションの多い戦争中の価値観はそのまま昭和20年代にまで続いていたからだろう」

「でも、今はそこまでフィクションに寛容ではないよ」

「まあ、今でもインチキだらけで世界はフィクションに寛容とは言えるが、確かにあまり極端なフィクションは好まれない」

「どこで変化したの?」

「おそらく、昭和30年代。もはや戦後ではない、と言ってオリンピックを誘致するためには、フィクションは困るのだ」

「オリンピックを見に来た外国人がその目で見れば嘘は簡単にばれるわけだね」

「そうだ。従って、昭和10年代は【軍部が悪い。戦争が悪い】というフィクションで封印される。これは既にかなり遠い過去だし、空襲でかなり焼けたのでフィクションが露呈する確率は低い」

「じゃあ、昭和20年代は?」

「責任を押しつけるスケープゴートが存在しないので、ただ単に封印される。政府も国民も共犯してみんなで封印する。みんな知られたくない過去があるからだ」

「たとえば?」

「無免許の子供が運転する自動車などだね」

「だから、みんな揃って昭和20年代を抹殺するわけだね?」

「そうだ。しかし、混乱も大きいからそもそも歴史を保存できなかったという側面もあるかも知れない」

「進駐軍は?」

「進駐軍も、善人の顔と悪魔の顔の二面性を持つ存在だからな。やはりある種の情報は抹殺する方向に動いたと思う」

「じゃあ、君はどこで昭和20年代という問題に気づいたの?」

「そこははっきりしないが、最近明確に意識した契機なら説明できる」

「どこだい?」

「昭和20年代の映画だよ。まだ簡単に見られる映画が何本もある。いや、戦争中の国威発揚映画ですら、十分に【おや?】と立ち止まらせるのに十分だった」

「それはどういうことだい?」

「実は戦争中であっても、戦争批判は普通にあったし、戦争の悲惨さを描く行為もあった。国威発揚のために、マスコミを統制したり、作家や画家に戦争賛美を書かせたところで、それとは別に戦争批判はあった」

「そもそも、マスコミの言うことが嘘だらけというのは、ある程度の見識がある人なら分かっていたはずなのだね」

「そうだ。マスコミはあてにならない。最初からあてにならないのだ。最近のマスコミがダメになったわけではない。最初からダメなのだ」

「つまり、たまたま言論自警団に見つかった運の悪い人が連行されただけで、実際には戦争に批判的な人たちは普通にいたってこと?」

「おそらくな」

「昭和20年代には、あらゆる悪徳が横行して、それゆえに政府も国民もぐるになって歴史を隠蔽したってこと?」

「政府があからさまな嘘を付いているとは思わないが、できるだけ語らないようにして、どんどん昭和20年代の存在感を希薄にしているのかもしれない。もっとも、そもそも語る根拠になる資料もあまり残っていないような気もするが」

「たとえば、どんな悪徳があるの?」

「鉄道会社がやっていた。車体更新車という名目の新造車とか」

「嘘をついたわけだね」

「鉄道は昔から熱心なマニアが多いから、そのような記録は詳細に残るがね。そうではないジャンルで闇に葬られた歴史は多いと思うよ」

まとめ §

「昭和20年代。それは近くて遠いフロンティア。開拓すべき荒野だ。昭和39年生まれのおいらから見れば産まれるわずか10年前なのにさっぱり詳細が見えてこない」

「なぜ昭和20年代が重要なんだい?」

「まともな航空写真が残るのは昭和20年代から。昭和20年代の一般写真はあまり多くないのだが、映画の背景に映り込んでいるロケ地の光景は立派な史料たり得る。特に日本ロケしたアメリカの映画は邦画より先にカラー化していて貴重だぞ。そいった物証を前提にいろいろな考察を試みることができる。戦前になるとそれは難しくなっていく。まして末期を除く江戸期以前は正確な地図すら入手できない」

「なんで昭和20年代に日本ロケしたアメリカの映画があるの?」

「朝鮮戦争の題材にした映画があるからだ」

「なんで朝鮮戦争なのに日本ロケなの?」

「朝鮮戦争のアメリカ軍の補給基地は日本だったからだ」

「分かった。戦争協力した事実も、無かったことにしたい昭和20年代の日本人の汚点なのだね」

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