「自分から見ると、ヤマト2202の古代進は人間に見えない。しかしかなりの人気がある。それはなぜか。ヤマト2202の古代進は理想人間である、という仮説を思い付いた」
「つまり、人間に見えないのは当たり前で、それは人間ではなく理想人間だからということだね?」
「そうだ」
「そもそも人間ってなんだい?」
「不完全でずっこけて失敗するが、努力して何かを成し遂げることもある存在」
「では理想人間とは何だ?」
「要求された期待を完全に遂行する存在。ミスは犯さない」
「作中の古代進が、発進時に一部の乗員を置き去りにしたのはミスではないのかい?」
「いいかい。ここでいう【要求された期待を完全に遂行する存在】とは、物語的に与えられた役割を遂行する主体という意味であって、シナリオが置き去りを求めるならそれは置き去りにしてこそ彼の役割が完全にこなされるのだ」
「ふむふむ。ではそもそも理想人間とはどこから来たんだい?」
「主に1970年代以降の教育と社会状況が合わさってかなり広範囲に成立した共通認識としての【かくあるべき人間の規範】だろう。人間は理想人間であるべきであり、失敗するのはまだ理想人間になれていないからだ」
「失敗する人間は不完全人間であり、まだ発展途上ということだね」
「そうだ。ここで【失敗する不完全さが人間である】という価値観とは完全に対立する。その対立の結果として、実は人間の不完全さを肯定的に強調する作品と、そういう要素を除去していく作品のどちらもが存在している」
「一例を出してくれ」
「僕のヒーローアカデミアは不完全さを肯定的に強調している。重い期待を背負わされながら満たせない苦悩を抱えた少年とか、いつまで経っても親子対立が終わらない少年などが存在する。それらは苦悩の方が物語よりも前に立っていて、不完全さが強調されている」
「除去した例は?」
「シン・ゴジラとか、そうなんじゃないか? 答えを要求されて言えない学者は欠陥品として捨てられる世界だ」
「分かりにくいからヤマトで喩えてくれ」
「SBヤマトまでは不完全さを肯定的に強調している。ヤマト2199以降は、不完全さを除去する方向になっていると思うよ」
「なるほど。だから君はヤマト2199以降は人間描写がダメになったと感じるが、逆にヤマト2199以降のキャラの描写は良くなった、素晴らしいと褒め称える人もいるのか」
「そうだな。感性が深い深い亀裂で泣き別れになってしまった」
「それはヤマト世界に出現した暗雲かい?」
「じつは、この亀裂はもっと根深い。映画の世界に行っても、やはりこの対立は存在する」
「日本社会が抱える負の遺産ということだね」
「日本以外でもそういう亀裂が見えてしまう場合があるよ」
オマケ §
「じゃあさ。もし、新たちのリメイクがあった時、理想人間となった徳川太助は水雷艇を転覆させると思う?」
「転覆させるだろう。それが徳川太助の役割だからな。理想人間になった徳川太助はミスすること無く転覆を実行すると思うよ」
オマケ2 §
「『分からないなら記録しておけ』と相原を叱ったら『記録ならしています』と返されて微妙な表情になるずっこけ古代のことを覚えているのはわしらだけになったようじゃ。さあ飲んでくれ沖田さん」
「いやですよお爺さん。沖田さんはもう死んでるでしょ?」