2017年07月21日
トーノZEROアニメ論ネクスト論total 110 count

時代は変化したのか? 変化のない暗黒の時代は終わったのか?

Written By: トーノ・ゼロ連絡先

「最近のアニメ事情だが、ほとんどのアニメは見ていないから知らない」

「じゃあ何を語るんだよ」

「個人的な感想文だよ。たまたま見たアニメ特撮の傾向に関する感想文」

「発端はなんだい?」

「僕のヒーローアカデミアとアトム・ザ・ビギニングの出来が良くてな。しかも、一時期の常識に逆行している」

「一時期の常識ってなんだい?」

「主人公が挫折してはならず、キャラは記号的に」

「僕のヒーローアカデミアとアトム・ザ・ビギニングはそこに逆行していたわけだね」

「主人公は挫折するし、キャラは人間的だ」

「それで?」

「だが、この2つだけが特異例なのだろうか、と思うと実はそうではないことが分かった。ドライブヘッドもまた似たような傾向があったから」

「なるほど」

「そこを起点に、他に例は無いのだろうかと思って考えると思い当たるふしがいろいろ出てきた」

「たとえば?」

「ボルトもナルトとは明確に物語とキャラクターの組みたて方が変化していて、やはり同類と言える。タイムボカン24も既にその領域の先駆者として機能したと言えるし、この世界の片隅にの流行も同じことだ」

「ふむふむ。じゃあ、同時期に守旧派のタイトルは無いわけ?」

「あるある。君の名は、シン・ゴジラ、眠り姫は守旧派だろう」

「なるほど。話はそれが結論?」

「いや、この変化が時代の流れであるとすると、実はもっと該当例があった」

「たとえば?」

「今年は戦隊の当たり年だと解釈していたキュウレンジャーも、実は戦隊として当たりというだけでなく、社会のトレンドの上に乗っていると言えるのかも知れない」

「戦隊も変わったのか」

「更に、実はアニポケもサンアンドムーン編になってから内容がガラッと変わった。ポケモンと言えば、3人から4人の仲間で旅をする内容が続いていたが、サンアンドムーン編ではサトシが学校に通うようになって、固定されたクラスメートの仲間と同じ舞台が続くようになった。しかも、サトシらが表情豊かにずっこけるようになって、ずっと人間らしさが増した」

「長期シリーズの戦隊やアニポケもトレンドの一部と言えるわけだね」

「そうだ」

「その影響はどのあたりに見られる?」

「内容的に1970年代ぐらいのアニメに近い持ち味に回帰しつつある」

「それはどういうことかい?」

「クライマックスにあるのは生々しい人間の叫び、というスタイルが復権しつつある」

「一時期はずっと忌避されていたものだね」

「そう。ありのままの人間を描くこと、等身大の人間を描くことに彼らは興味が無かった。理想化された人間による理想的な物語が好まれる時代もあった。だが、そんなものには感情移入ができない」

「なぜ感情移入できないんだい?」

「理想化された人間は人間じゃないからさ。そして自分は人間だ」

「ぎゃふん」

「理想化された人間に感情移入できるのは万能の精神を持った者だけだ」

「そんな人がいるの?」

「子供の精神は万能だ。そして、万能感の喪失が大人になるということだ」

「精神が子供のまま身体が大人になった人が大勢いたってことだね。でも、なぜ今それに逆行する動きが出てくると思う?」

「たぶんね。大人になることを回避できる社会は豊かな社会だから」

「は?」

「今の日本社会ははっきり言って貧しい。経済的にも文化的に貧しい。どこに行っても厳しい現実が付いて回る」

「自分は挫折するし、周囲の人間もけして記号的には振る舞ってくれないわけだね」

「そうだ。挫折をせずみんな記号的な理想の人間として振る舞う物語は説得力を失いつつあるのではないか」

「でも、旧世代の物語もまだまだあるし、人気も博している感じではないか」

「そうさ。厳しい現実を見ないで綺麗事を言う人もやはり大勢いる。それもまた時代の現実さ。アニメ特撮の分断は、日本社会の分断の縮図とも言える」

「では、分断の話を横に置いて、この現象を一言で要約すると何だと思う?」

「たぶん、オタク文化崩壊の序曲。ポストオタク文化について論じる必要があると思う。時代はそういう段階に入ったと思う」

オマケ §

 さて、最後の最後に、ポストオタク論をしている前例があるかと思ってネットを検索していきなりひっくり返った。

 書いたのは2015年の自分で、2017年の現状は大筋においては自分の未来予測が当たった感じがある。参った。降参です。

オマケ・なぜポストオタク論があまり目に付かないのか §

 オタク文化の特徴は完全性を自称するところにある。

 オタク文化は最も優れた完全なる文化であり、世の中の全ての人間がオタクになれば良い社会が到来すると考えられている。

 また、古今東西の【人並み外れて何かの集中した偉人】は全てオタクであると見なしており、【オタクは昔からいた】と主張しがちである。

 しかし、これらは全て子供の屁理屈と理解すべきものだ。実際に外部から見ていると変化を必要としない完全性どころか毎年変化していく流動性を見せているし、【オタクは昔からいた】と言ってもアニメやコミケなど存在しない時代に、現在のオタクと同じように振る舞う人間などいるわけがない。

 しかし、彼らの自己認識としてはオタク文化には始まりも終わりも無く未来永劫続くものである。それにも関わらず、オタク文化の発祥論はある。おたくあるいはオタクという名称の発祥のタイミングが割と明確に分かっているからだ。しかし、それ以前から【事実上のオタクがいた】という論も併存していて、結論は曖昧だ。逆に、オタク文化の終わりについて論じている話はあまり見た記憶が無い。オタク文化は永遠と認識されているからだろう。

 (だが歴史的な視点から見れば、永遠だと信じられた文化が永遠に続いたことはない)

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「最近のアニメ事情だが、ほとんどのアニメは見ていないから知らない」

「じゃあ何を語るんだよ」

「個人的な感想文だよ。たまたま見たアニメ特撮の傾向に関する感想文」

「発端はなんだい?」

「僕のヒーローアカデミアとアトム・ザ・ビギニングの出来が良くてな。しかも、一時期の常識に逆行している」

「一時期の常識ってなんだい?」

「主人公が挫折してはならず、キャラは記号的に」

「僕のヒーローアカデミアとアトム・ザ・ビギニングはそこに逆行していたわけだね」

「主人公は挫折するし、キャラは人間的だ」

「それで?」

「だが、この2つだけが特異例なのだろうか、と思うと実はそうではないことが分かった。ドライブヘッドもまた似たような傾向があったから」

「なるほど」

「そこを起点に、他に例は無いのだろうかと思って考えると思い当たるふしがいろいろ出てきた」

「たとえば?」

「ボルトもナルトとは明確に物語とキャラクターの組みたて方が変化していて、やはり同類と言える。タイムボカン24も既にその領域の先駆者として機能したと言えるし、この世界の片隅にの流行も同じことだ」

「ふむふむ。じゃあ、同時期に守旧派のタイトルは無いわけ?」

「あるある。君の名は、シン・ゴジラ、眠り姫は守旧派だろう」

「なるほど。話はそれが結論?」

「いや、この変化が時代の流れであるとすると、実はもっと該当例があった」

「たとえば?」

「今年は戦隊の当たり年だと解釈していたキュウレンジャーも、実は戦隊として当たりというだけでなく、社会のトレンドの上に乗っていると言えるのかも知れない」

「戦隊も変わったのか」

「更に、実はアニポケもサンアンドムーン編になってから内容がガラッと変わった。ポケモンと言えば、3人から4人の仲間で旅をする内容が続いていたが、サンアンドムーン編ではサトシが学校に通うようになって、固定されたクラスメートの仲間と同じ舞台が続くようになった。しかも、サトシらが表情豊かにずっこけるようになって、ずっと人間らしさが増した」

「長期シリーズの戦隊やアニポケもトレンドの一部と言えるわけだね」

「そうだ」

「その影響はどのあたりに見られる?」

「内容的に1970年代ぐらいのアニメに近い持ち味に回帰しつつある」

「それはどういうことかい?」

「クライマックスにあるのは生々しい人間の叫び、というスタイルが復権しつつある」

「一時期はずっと忌避されていたものだね」

「そう。ありのままの人間を描くこと、等身大の人間を描くことに彼らは興味が無かった。理想化された人間による理想的な物語が好まれる時代もあった。だが、そんなものには感情移入ができない」

「なぜ感情移入できないんだい?」

「理想化された人間は人間じゃないからさ。そして自分は人間だ」

「ぎゃふん」

「理想化された人間に感情移入できるのは万能の精神を持った者だけだ」

「そんな人がいるの?」

「子供の精神は万能だ。そして、万能感の喪失が大人になるということだ」

「精神が子供のまま身体が大人になった人が大勢いたってことだね。でも、なぜ今それに逆行する動きが出てくると思う?」

「たぶんね。大人になることを回避できる社会は豊かな社会だから」

「は?」

「今の日本社会ははっきり言って貧しい。経済的にも文化的に貧しい。どこに行っても厳しい現実が付いて回る」

「自分は挫折するし、周囲の人間もけして記号的には振る舞ってくれないわけだね」

「そうだ。挫折をせずみんな記号的な理想の人間として振る舞う物語は説得力を失いつつあるのではないか」

「でも、旧世代の物語もまだまだあるし、人気も博している感じではないか」

「そうさ。厳しい現実を見ないで綺麗事を言う人もやはり大勢いる。それもまた時代の現実さ。アニメ特撮の分断は、日本社会の分断の縮図とも言える」

「では、分断の話を横に置いて、この現象を一言で要約すると何だと思う?」

「たぶん、オタク文化崩壊の序曲。ポストオタク文化について論じる必要があると思う。時代はそういう段階に入ったと思う」

オマケ §

 さて、最後の最後に、ポストオタク論をしている前例があるかと思ってネットを検索していきなりひっくり返った。

 書いたのは2015年の自分で、2017年の現状は大筋においては自分の未来予測が当たった感じがある。参った。降参です。

オマケ・なぜポストオタク論があまり目に付かないのか §

 オタク文化の特徴は完全性を自称するところにある。

 オタク文化は最も優れた完全なる文化であり、世の中の全ての人間がオタクになれば良い社会が到来すると考えられている。

 また、古今東西の【人並み外れて何かの集中した偉人】は全てオタクであると見なしており、【オタクは昔からいた】と主張しがちである。

 しかし、これらは全て子供の屁理屈と理解すべきものだ。実際に外部から見ていると変化を必要としない完全性どころか毎年変化していく流動性を見せているし、【オタクは昔からいた】と言ってもアニメやコミケなど存在しない時代に、現在のオタクと同じように振る舞う人間などいるわけがない。

 しかし、彼らの自己認識としてはオタク文化には始まりも終わりも無く未来永劫続くものである。それにも関わらず、オタク文化の発祥論はある。おたくあるいはオタクという名称の発祥のタイミングが割と明確に分かっているからだ。しかし、それ以前から【事実上のオタクがいた】という論も併存していて、結論は曖昧だ。逆に、オタク文化の終わりについて論じている話はあまり見た記憶が無い。オタク文化は永遠と認識されているからだろう。

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