【頭良い系】と【頭悪い系】 §
昔聞いた話として、マンガには【頭良い系】と【頭悪い系】があると。
【頭悪い系】はつまらないという意味ではない。
問題の解決が理屈ではないことを示す系統……だったような気がする。
【頭悪い系】の代表例は聖闘士星矢……らしい。
聖闘士星矢の特徴はこんなところですね。
- 「小宇宙(コスモ)を燃やせ」的な宇宙スケールの表現がある割に非科学的。
- 宗教的
- 仲間を大切にするチームもの
- 特訓する
ヤンキー文化にも近いのだろうと思います。
イナズマイレブンはどうか? §
そうすると、イナズマイレブンも同じカテゴリに属するように思います。
サッカー版の聖闘士星矢がイナズマイレブンという感じで受け止めても良いと思います。
世宇子(ゼウス)中にアテナもいますからね。
まさに両者の世界観は同じ領域で重なっていると思って良いでしょう。
始まった瞬間の雷門中サッカー部は最弱でまさに最弱のブロンズ聖闘士と同じと見て良いでしょう。
(しかし、そう考えると雷門夏未と城戸沙織はお嬢様キャラで持ち味が似ている気がする)
脅威の侵略者編とは、黄金聖闘士編(十二宮編)みたいなもので、次々と現れる障害を排除しつつ頂点を目指します。脅威の侵略者編だと行き着く先は富士山。
聖闘士星矢とイナズマイレブンはどこが違うのか §
神話世界を肯定してしまった聖闘士星矢と違って、イナズマイレブンは神話世界を肯定していません。つまり全ては現実の延長線上が舞台であり、戦いは常にサッカーという概念の枠内にあります。つまり必殺技を撃つために宇宙に行ったり、ゴールの前にブラックホールを作り出しても、最終的にサッカー場の普通の光景に回帰します。神話の世界に突入して無限に舞台が発散していった聖闘士星矢とはそこが違います。
その結果、イナズマイレブンは常に足が地に着いた内容になります。
それはより濃厚な人間ドラマを可能にしたと言えます。
しかしながら、それにも関わらず表現は異常な領域にあります。必殺技を撃つために宇宙に行き、異次元に行き、時間を止め、ボールが分裂し、巨大な手が出て来て、魔神も出てきて、ペンギンもサッカー場を飛びます。
その結果として、イナズマイレブンは聖闘士星矢でも到達できなかった境地、シュールなシリアスギャグの世界に行けたと思います。
この場合のシリアスギャグというのは、たとえば【トップをねらえ】第5話のようなもので、チラ見せするバスターホームランやホーミングレーザーなどのギャグ技の数々がありながら笑わせないで感動させてしまうようなタイプの作品を意味します。ただし、トップの場合は企画と演出と不整合で結果としてそうなってしまっただけだと感じますが、イナズマイレブンの場合はむしろ【表現の暴走】が招いた状況ではないかと思います。子供向けに派手で分かりやすい表現を追求した結果、ギャグに近い表現にまで昇華されたのでしょう。
だからイナズマイレブンは常にシリアスな題材に回帰します。豪炎寺の妹は病院で寝ているし、冬海先生はバスからブレーキオイルを抜くし、鬼道と音無は兄妹です。(そして、それにも関わらずサッカー場でペンギンは飛びます)
表現手段としての必殺技の優れている点 §
戦隊ものであれば、子供に分かりやすい表現として戦隊ロボが不可欠ですが、逆にいうとあれはそれ以外の場所になかなか行けない。
それに対して、イナズマイレブンの必殺技の表現ならどこにでも行けます。宇宙、異次元はもとより、ディープジャングルでジャンルにまで行けましたからね。
まとめ §
個人的には、イナズマイレブンのシュールな表現は、聖闘士星矢よりも、トップをねらえよりも成功していると思います。
それは現実と夢想の配合比率の問題だろうと思います。神話の世界で戦ってしまう聖闘士星矢や、結局宇宙戦艦に乗って宇宙に乗り出してしまうトップをねらえは少し夢想でありすぎると思います。我々が生きる世界と乖離しすぎるとそれは感情移入の阻害要因になります。
また、平均的な名作アニメのような夢想的な表現が乏しい世界とも違います。
むしろ、赤毛のアンの夢想的な要素をパワーアップしたのがイナズマイレブンという言い方はありなのかもしれません。