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2003年10月16日
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平成の悪夢 (連載第3回)

Written By: 遠野秋彦連絡先

平成の悪夢 (連載第1回)

平成の悪夢 (連載第2回)

平成の悪夢 (連載第3回) §

 広大な太平洋への玄関口。

 それが東京(アズマノミヤコ)だ。

 太平洋に向かって開いた大きな湾は天然の良港。

 そして、その背後に広がる関東平野は、巨大な通商都市を、それを維持するための諸々の産業込みで抱え込むに充分な広さを持っていた。しかも、日本列島のヘソにあたる場所であり、列島内交通の要とも言える。

 高層ビルの窓からは、アズマノミヤコの街の風景が見下ろせる。

 美しく繁栄した街だ。

 「どう、この風景、気に入った?」と甘ったるい女性の声が無田の背中に絡み付いた。

 「いいね」と無田はうなずいた。「だが、この集合住宅、高いんだろう?」

 「平均的な賃金労働者の年収72年分だって」

 「なるほど。私がいくら頑張っても買えるはずがないな」

 「ひがまないで」と女性の手が背後から無田の身体を抱きしめた。

 無田は、背中に豊満な胸の膨らみが押しつけられるのを感じた。

 「男はいい家を手に入れる必要なんて無いの」と女性は囁いた。「どうせ、夜は女のところに通うんだから」

 「通い婚が常識だと思うなよ」と無田は言った。「日本史でも武家社会は嫁入り婚が常識だったんだ」

 「何よ、その嫁入り婚って」

 「結婚すると、女は男の家に引っ越して、同じ家に住むんだ。姓も変わるんだ。たとえば、君は六条初音だが、私と結婚すると、無田初音と名前が変わるんだ」

 「嘘だわ。からかっているんでしょう?」

 「嘘なものか。本当にそういう習慣があったんだ。遠い昔にはね」

 「でも、それも面白いわね。あなたの家に一緒に住むなんて。夜だけでなく、ずっと一緒なのね」

 「さてどうかな。嫁入りは、かなり悲惨な習慣だったらしい。嫁入りした後で、実家と戦争になって敵同士になる、と言うこともあったらしいからな」

 「それはイヤね。やっぱり、通い婚の方が合理的だわ」

 「それで、どこから出てきた金で買ったんだ? この部屋は」

 「映像放送の宣伝に出演が決まったの」と女性、六条初音は言った。

 「宣伝? おいおい、これでも君は公爵家の姫君なんだぞ。家の人にばれたら大変だろう」

 「お父様を通じての依頼ですもの。断れないわ」

 「なに? 六条公爵の?」

 「政府公報なのよ」と初音は言った。「正しく安全な交合を広めるキャンペーンのね」

 「いや、政府のキャンペーンだろうと、公爵家の姫君が、そんな通俗な媒体に出演するなど……」

 「無田さん、貴族に夢を持ちすぎよ」と初音は笑った。「貴族なんて義務ばかり多くて、実利の少ない名誉職よ。最近の貴族株の相場知ってる? 賃金労働者でも背伸びすれば買えるぐらいの安物だってあるのよ。でも、買い手が付かないで廃止されるものも多いわ」

 「じゃあ、六条家としてはどうなんだい? どうして公爵であり続けているんだい?」

 「人生には張り合いがあった方が楽しいでしょう?」

 「享楽的なんだな」

 「人生は楽しまなくちゃ」

 「だから、芸術性技なんてものに凝っているのか?」

 「美しい交合、芸術的な交合、みんなの模範になる交合というのは、地道な努力が必要なんだから」

 「でも、昼間から交合ができるんだろう?」

 「まあ、私が他の男と交合をするのを妬いているの?」

 「まさか。君の仕事は理解しているつもりだ」

 「妬いてくれた方が嬉しいわ。愛されているという実感が沸くもの」

 「じゃあ、他の男と寝るなと言ったらそうするかい?」

 「まさか。私の身体は、もう私だけのものではないわ。今年の天皇杯芸術性技大会で優勝してしまった以上、社会に対する責任があるのよ」

 「ああ、とんでもないことを思い出してしまったじゃないか」

 「え? 何のこと?」

 「最終審査で、天皇陛下御自ら、おまえと寝たのだぞ。いわば、陛下と私は穴兄弟ってことになってしまう」

 初音は吹き出して笑い出した。

 「別に陛下が特別に素晴らしい男性って訳じゃなかったわ。それに、私的な時間を一緒に過ごすのはあなただけよ、無田さん」

 無田は無言でうなずいた。

 「そうだ。お風呂沸かすわね。動作釦を入れるからちょっと待っててね」と初音は壁の操作盤で何かを操作した。

 風呂場の方で機械が動作する音がした。

 「お風呂が沸くまで暇ね」と初音が言った。「何かお話しして」

 「どんな話だ?」

 「そうね」と初音は窓の外を見ながら少し考えて、それから言った。「このアズマノミヤコって、いつからあるの?」

 何かを考えて言った、というよりも、たまたまアズマノミヤコの夜景が目に入り、無田が歴史の専門家であることを連想して口にしただけ、という感じだった。

 だが、無田は喜んでその話題に応じた。そんな話題を喜んで聞いてくれる相手は多くないからだ。初音は、数少ない例外なのだ。

 「最近の研究では、土器時代から交易のために市が立っていたという話だな。相当昔から、ここに都市的な性格の場があったのは事実だろうね」

 「でも、アズマノミヤコとは呼ばれていなかったんでしょう? いつから呼ばれるようになったの?」

 「商聖天皇の御代だな」

 「商売の神様ね」

 「ああ、今はそう思われている」と無田はうなずいた。「東南アジアから欧州勢を追い出して解放した直後ぐらいに即位した天皇だな。当時は、同じアジア人のくせに、イギリス人の手下としてアジア人搾取の実行部隊となっていた華僑に批判が集まっていてね。当然、次は華僑の根拠地、中国本土を攻めるとみんな思っていたらしい。だが、商聖天皇はその意見に首を縦に振らず、このアズマノミヤコに遷都を決行し、大商船隊で北米大陸西岸に進出を押し進めたわけだ。今と違って、日本どころか近畿地方の外に都を移すと言うことにも反対は根強かったし、まして、東国は田舎だと思われていたからね。その反対を押し切って遷都したのが、アズマノミヤコという名前の始まりだ」

 「実行と決断の人だったのね」

 「いや、実際の商聖天皇は、優柔不断で、お金の計算もろくにできない人だったらしい」

 「まあ。それじゃ、どうして?」

 「実際には、北米大陸の方が儲かりそうだという商人の一派に扇動された、と言うことらしいがね。史料が少なくて、まだ証明はされていないけど」

 「どういうこと?」

 「歴史も経済力もある大国の中国と事を構えることと、欧州勢が植民地を分け合う北米大陸。どっちを相手にする方が儲けが大きいと思う?」

 「なるほどね。中国相手じゃ血みどろの戦争になって儲からないって訳ね」

 「そうだ。東亜連邦が中国を併合したのは、太平洋全域を聖域化して、そこから莫大な富を得るようになってからさ。札束で中国を買ったようなものだ。そのおかげで、遙かに少ない損害で、中国を併合できた」

 「そうすると、商聖天皇のやったことは間違いではないわけね」

 「どこまで先を読んでいたかは分からないが、結果的には東亜連邦に有利な結果に終わったことは間違いない」

 「もし、商聖天皇が自信たっぷりの戦好きだったら、どうなっていたかしら?」

 「中国と戦争になって、負けていた可能性もあるね」と無田は言ってから付け加えた。「でも、歴史というのは必然の積み重ねなんだよ。儲かりそうな北米大陸が目の前にある状況で、それを無視したまま歴史が進行することなどあり得ない事態だね。結局、誰がやるかに関係なく、大きな流れは同じになってしまうんだ」

 「まあつまらないわ。結局、努力しても歴史は変わらないってこと?」

 「それは違うよ。個人の成果は個人の努力次第で歴史に残る。君が美女として歴史に名を残せるかどうかは君の努力次第だ」

 「それは無理よ。うちの家系で私は平均レベルですもの」

 「確かに君の家系には美女が多いようだが」

 「それには秘密があるのよ」

 「秘密? いったい何だい?」

 「絶対に口外禁止よ」

 「ああ、分かった」

 「うちの家系は計画的交配をやってるの」

 「なんだい、それは?」

 「二百年前からずっと美形の血を家系に取り込んでいるのよ。六条家の女は、みな、当代きっての美男子の子種をもらって子を産んでいるの」

 「まさか! 家畜じゃあるまいし」

 「もちろん、恋愛の自由はあるわよ。あなたの子供を産む権利もあるわ」

 「じゃあ、いったい……」

 「なんでこんなことを始めたのか、理由なんて分からないわ。でも、六条家ではずっとそうやってきたの。だから、私も、家の調査機関が選んだ男の子供を一人は産む義務があるの。その義務さえ果たせば、あとは好きな男性の子供をいくら産んでも構わないということ」

 「人権を侵されているとは思わないのかい?」

 「たぶん、そういうことを怒らないで面白いと思うのが、貴族というものだと思うわ」

 「やれやれ」

 「怒った?」

 「ああ、怒ったね」と無田は言った。

 「謝るわ。だから、嫌いにならないで」

 「嫌いになんかなるものか。好きだから怒ったんだ」

 と無田いきなり初音を抱きしめると、唇を初音の唇に押しつけた。

 長い抱擁とキス。

 無田は初音のキスの味に酔いしれた。

 初音は最高の女だ。

 そして、最高の女である背景に、人権を無視したかのような貴族家系の慣習があるとしても、初音の価値が変わるわけではない。

 それに、多くの男から受け取っているはずの求愛の詩の中から、無田の書いた詩を選び取ったと言うことは、無田の魂と何か響き合うものがあるはずなのだ。

 事実、初音は毎晩のように無田と会いたがり、無田も思いは同じだった。

 残念ながら、お互いに仕事が忙しいため、実際に会えるのは週に1回ぐらいでしかない。だが、困難は、より大きく恋愛を燃え上がらせる。

 素晴らしい。

 この世界は何もかも素晴らしい。

 まるで現実ではないようだ。

 この世界が現実ではないなら、他に現実があるのだろうか。

 平成の時代?

 無田はそのキーワードを頭から追い払った。この世界が非現実的に思えたからと言って、悪夢のことを考える必要など何もないのだ。

 無田は、目の前の甘美な官能に全てを忘れて浸り込むことに決めた。

 美しい悲鳴が無田の耳を打った。

 無田は、ハッと目覚めた。

平成の悪夢 連載最終回に続く。

(遠野秋彦・作 ©2001,2003 TOHNO, Akihiko)

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