謎のアニメ感想家(笑)、翼の騎士トーノZEROのアニメ感想行ってみよう!
今日のGGG FINALの感想。
サブタイトル §
最終回 「神話(マイソロジー)!!!」
あらすじ §
ガイは注入されたケミカルナノマシンを書き換えて敵に送り返します。
そして、激闘の末、勝利します。
しかし、ソール11遊星主はパスQマシンの力を使い、仲間達を数限りなく復活させます。
勝ち誇るソール11遊星主。
ですが、それこそGGGが待っていた瞬間。
復活能力を使った後はしばらくパスQマシンのエネルギーがなくなり、復活もできないことを見抜いていました。
GGGの艦隊は最終兵器ゴルディオンクラッシャーに変形し、乗組員達は退艦します。
そして、ジェネシックガオガイガーはゴルディオンクラッシャーを使い、パスQマシンを破壊します。
GGGはソール11遊星主に完全勝利します。
レプリ地球は消滅し、パピヨンも消滅します。
更に彼らのいる次元は消滅しつつありました。
木星に二人だけ送り返せることが分かったとき、彼らはマモルと戒道を送り返すことを決めます。
二人は廃墟と化しながらも生き延びた地球に戻り、父母や華ちゃんと再会します。
感想 §
最も泣けるのは、やはり「勝利の鍵」でした。
TVシリーズから何回も繰り返されたナレーション「これが勝利の鍵だ」。
最後の最後に、まさに「勝利の鍵」が登場します。
あまりに意外すぎる変形によって鍵が出てきます。これはゴルフクラブ以上の意外性ですね。
しかも、鍵を入れると何重にもなったリングが回転しますが、その結果、黒いシミのように見えた模様が「勝」「利」の2文字となります。まさに「勝利の鍵」。
これはとてつもなく泣けます。
このシーンの演出的な盛り上がりは、トップをねらえの第5話で、表示板の表記が全て「合体」に切り替わる瞬間を超えます。
しかも!
「勝利の鍵」は2つあります。
大河幸太郎とスワンが同時に差し込むことで発動します。
これまでのどの装備も鍵は1つでした。
それにも関わらず、2つの鍵を同時に使う必要があるというのは、並はずれて凄い装備であることを意味します。現実世界でも核兵器の発射スイッチなどは、2つ同時に押さねばならないと言われていますが、そのような状況を踏まえた上で、想像を絶するスケールの装備が発動されたことを演出しています。
しかも、大河幸太郎が圧倒的に熱く格好良いのは当然として、スワンがそれに負けない存在感を持って格好良く緊張感を持って描かれているのが良いですね。
実に見事で、泣けます。
消えるパピヨン §
レプリ地球の消滅と共に消えていくレプリ地球のパピヨン。
このとき、猿頭寺から「妖精達のところに戻るのか」と言われて、パピヨンは猿頭寺の中に入るのだと言い残して消滅します。
これは最高の悲恋ドラマですね。
パピヨンは、本当に彼女を愛した男の心の中で永遠に生き続けることができるのです。
通常、「王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしました」という綺麗な結末は嘘くさいわけですが、片方が美しい思い出になってしまい、心の中で生き続けるとすれば、綺麗な結末に説得力が生じます。
バトンを渡される視聴者 §
最後の最後で、毎回描かれる「勝利の鍵」が、「君」になっていました。
「君が勝利の鍵だ」というのです。
つまり、まるで神話のごとき世界で絶対敗北とも思える状況で勝利をもぎ取ってきた彼らは、このあまりにも不毛で厳しすぎる、視聴者の生きる現実世界でも勇気によって勝利を勝ち取りうるのだと示したことになります。それゆえに、これを見ていた我々は、ガイとGGGが不在のこの現実世界であっても、勇気によって状況を打開していかねばなりません。
そして、もう一度スペース1999を語ろう §
やはり、この最終回にはスペース1999に似たモチーフが見られることに気づきました。
絶対無敵であるはずの存在が「恐れていた」と指摘するガイの言葉は、たとえば第3話(日本放送時第11話) 「宇宙の悪魔・地獄のマシーン」(原題 THE INFERNAL MACHINE)を連想させます。このエピソードでは、絶対無敵とも思える意思を持った巨大宇宙船グエントが、実は彼が僕(しもべ)として扱っている老人、名はコンパニオンが死ぬことを極度に恐れていることが秘匿されています。しかし、それに気づいたコーニッグ指揮官は、絶対に勝てないほど強いはずのグエントに勇気と強い意志を持って立ち向かい、難局を打破します。ガイの態度とコーニッグの態度には、どこか共通するものがあるように感じられます。
もちろん、これは、ガオガイガーをとても褒め称える意図を持って書かれた文章であり、スペース1999と似ている部分があるというのは最大級の褒め言葉です。
もう1つ、地球に戻れるのは二人だけ、という部分もスペース1999を連想させます。第22話(日本放送時第2話) 「もう地球に帰れない!」(原題 EARTHBOUND)では、地球に戻れるあてもなく宇宙を漂流する月は、地球に向かう途中の異星人の宇宙船と出会います。宇宙船の乗員が一人死んでしまったため、地球人達の誰か一人だけ、その宇宙船に便乗して帰れることになります。地球人はたくさんいるのに、帰れるのはたった一人です一人と二人の違いはあれど、今回のエピソードを連想させます。
しかし、結末は違います。スペース1999では、帰りたいという心の弱さに負けた男が武器を突きつけてハイジャック同然に自分が乗り込んでしまいます。そして、正規の手順で人工冬眠に入らなかった彼はすぐに目覚め、助けを求めます。しかし、もう誰にも助けることはできません。つまり、スペース1999では、勇気ある者として指揮官のコーニッグが存在するその対極として、地球からたまたま月に来ていてこの惨事に巻き込まれたこの男(コミッショナー)のような勇気を欠く男もまた存在します。
しかし、勇気ある者達の集団であるGGGには、彼のような勇気を欠く男は存在しません。彼らは、明確な決意を持って、二人の子供を地球に帰します。子供に未来を託すことは、全く正当な大人としての態度ですが、問題はそれを自信と勇気を持って遂行できるか否かです。そして、GGGはそれを実行することができる組織であったということが、実はソール11遊星主に勝利したことよりも素晴らしいことかもしれません。
さて、もし崩壊する次元という困難を乗り切ってGGGが生き延びるとすれば、地球に戻るあてのない流浪の物語が待っているはずで、まさにスペース1999的です。そして、その旅に、地球人の他にソルダートジェイという異星人が同行するというのなら、それはスペース1999第2シーズンのマヤ的な位置づけと見ることができるかもしれません。
しかし、おそらくGGGはこのあと消え去ったと考えるのが自然であるような気がします。そのことは、まさに神話の完遂という意味で必要とされ、かつ、前向きに受け止めるべきことだと思います。絶対勝利をもぎとり、生死を確認するすべのない勇気ある者達は、まさしく生き残った者達から見れば神の領域にあるわけです。もし生身の生きている彼らが出てきては、神の領域とは言えません。逆に、確実な彼らの死を確認することができても、やはり神の領域とは言えません。このような終わり方でなければ、神の領域は生み出し得ないのです。実に見事に、まさに勇者王「神」話の集大成として結末を付けたと思います。
(そして、「神の領域」の描き方についてスペース1999との比較論があり得ますが、それは長くなるので割愛!)
今回の名台詞 §
ガイ「俺は超人エヴォリューダー、ウィルスの書き換えは完了したぜ。そっちに送り返す!」
凄いです。
ガンダムSEEDで、戦闘中にキラがモビルスーツのOSを書き換えた描写を上回るインパクトがあります。