まあしょうがないので、勢いがまだ残るうちに書きましょう。
何について語るのか §
モデルグラフィクス(モデグラ)2005年9月号の特集「宇宙世紀のバトルシップ」が面白くなかった理由を自分なりに考察した結果を語ります。
この特集は、機動戦士ガンダム世界の宇宙艦の模型(ムサイ、サラミス、マゼラン等)を扱っています。精密に作り込まれ、従来の感覚で言えば格段に良くできている模型が並んでいる特集でした。
語る立場は何か §
宇宙艦ガレージキットのデザインおよび原型、作例製作の経験者です。
株式会社 ピーデー ホビー事業部の名前で、ワンダーフェスティバルにて数回販売。
売れないので撤退しましたが、一応、以下の製品ラインナップがあります。
- 【1/2400 ラト姫物語 ナサ級宇宙高速戦艦】
- 【1/2400 ラト姫物語 リノ級宇宙無人駆逐艦I型II型・1/700喫水線モデルII型付き】
- 【1/2400 ラト姫物語 ブザ級宇宙突撃艦】
(注:これらの模型の写真は公開していません。その理由についてはまた長い話がありますが、ここでは割愛します)
これらのデザインと原型と作例を作るにあたって注ぎ込んだ熱量と比較して、モデグラはぬるく感じられた、ということです。ちなみに、投入した労力はもしかしたら作例の方が多いかもしれません。が、そういう問題ではないのです。
大きさを実感させるとはどういうことか §
さて、本論に入ります。
見る者が慣れ親しんでいない架空のアイテムを縮小した模型の場合、それがどのようなサイズであるかをいかに意識させるかが重要な問題となります。
たとえば、身長100メートルのロボットと、等身大のロボットが、同じ大きさに見えてはいけないわけです。設定長が違うことを、いかにしてか見るものに分かるように伝えねばなりません。
これを行うテクニックはいくつかあります。
たとえば空気遠近法を意識した色遣いを行うであるとか、誰でも良く知っているものを提示することで、それとの比較からサイズをイメージさせる等です。
後者の方法で、最も有効な比較対象物は「人間」です。どのような架空世界の架空アイテムであろうとも、人間と関係ないアイテムが設定されることは多くなく、人間を登場させることがサイズの分かりやすさを実現します。
その実例として、昔テスト的に作ったCG画像を以下に示します。画像はさほど出来が良いものではありませんが、ロボットのサイズが直感的に分かりやすい事例としては十分でしょう。
しかし、このテクニックは、スケール比が大きくなると使えません。たとえば、1/700の艦船模型で人間を作って乗せることは、ほとんど非現実的です。まして、1/1200~の艦船模型なら尚更です。
では、人間を使って表現することができないのかというと、そうではありません。人間が使うための機械には、人間に都合の良い位置やサイズというものがあるからです。たとえば、ドアの大きさは人間の大きさを連想させることができます。窓の位置や大きさも上手く使うとそれを連想させます。また階層の段差も、人間が使う1階、2階という階層に対応させると、それが人間のサイズを連想させる手がかりになります。
もちろん、それがリアルなデザインポリシーかという問いかけはあり得ます。しかし、この場合、この問いかけは無意味であると断じましょう。それ単体で予備知識無しで見られる模型としては、見る者が大きさを容易にイメージできるか否かが重要なのであって、そのデザインにリアルな根拠があるか否かは2次的、3次的な問題に過ぎません。そして、おおむね最重要の問題に全エネルギーを使い果たし、2次的、3次的な問題に割ける余力は無いのが普通だと思います。
めぐりあい宇宙編の表現上の問題 §
話をガンダムの話題に進めましょう。
「機動戦士ガンダム III めぐりあい宇宙編」を見たときに、強く思ったことがあります。それは、人間とモビルスーツと宇宙戦艦が、同じぐらいの大きさに見えると言うことです。(映画開始直後のキャメル艦隊との戦闘シーンを除く)
その主要因は、画面に対して描かれる比率がどれも同程度であり、サイズの差を意識しにくいということだと当時は感じました。
しかし、問題はそれだけではなく、デザインやビジュアル表現の方法論に至るまで、多くの問題を抱えていた可能性があり得ます。
モビルスーツという問題 §
実はモビルスーツ=巨大ロボットとはやっかいな代物で、基本的に人と同じシルエットであるために、スケール感をミスリードしやすいのです。特に、搭乗者が外から見えないデザインの場合はそれが顕著です。
そのような観点から見ると、ガンダムの模型は、1/100や1/144と名乗ってはいるものの、実際に模型を作っている者達や模型を見る者達が、そのスケールの意味をどこまで正しく把握しているか疑問に感じられます。実は、1/100と1/144の差は、設定された架空現実に対する尺度ではなく、模型の大きさの違いに張られたラベル名の差に過ぎないのではないかと。
そのように考えると、宇宙艦に同縮尺のモビルスーツを搭載してみせることが、何らスケール感の表現になっていないことが分かります。つまり、モビルスーツを手がかりに、宇宙艦がどの程度の大きさであるかを直感することができません。
モビルスーツと比較して大きいということは分かりますが、どの程度の大きさであるかは分かりません。
細かく作り込んでもスケール感は出ない §
最近のガンダムの艦船モデルは非常に細かいところまで良くできているし、作例も細かいところまで頑張って作っていることが良く分かります。
しかし、単に細かい作り込みがあるだけです。「凄い」「大きそうだ」という感想を持つことはできますが、それが具体的にどの程度の大きさであるかがイメージできません。たとえば、窓のように見える箇所とモビルスーツの大きさを比較してみると、明らかにアンバランスです。
つまり、本質的に私が納得できる水準で突き詰められていなかったのです。
そのようになった理由は、おそらく作り手に宇宙艦模型に対する熱い情熱、激しい憧れ、何を差し置いてもそれだけを希求する心、そして他人に対して分からせることに対する真摯さが欠けているためだろうと思います。
これはガンダムというコンセプトの欠陥であるのか §
では、熱い情熱があったら、私が納得しうるような熱い模型ができるのかというと、それは難しい問題です。なぜかといえば、根本的なデザインレベルで、ファーストガンダムのデザインには問題がありそうだからです。つまり、まず絵で上手く表現されていると言い難いものが、まして模型にできるわけがない (模型の方が嘘をつきにくい) と考えられるからです。
とはいえ、希望が無いとも言えません。「めぐりあい宇宙編」でも、キャメル艦隊戦では、けっこうスケール感を感じることができましたし、今年の映画である 『機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』での宇宙艦や大型機の描写には、人間の大きさを意識させるスケール感がかなり盛り込まれていた感があります。
とはいえ、それらはガンダム世界においては異端的であり、かなり例外的な特例という印象があります。
そういう意味で、ガンダムの未来にはあまり期待はしていません。
デザインは既存作品に依存せず、ゼロからやり直す方が良いでしょう。
結論 §
オレにやらせろ。
以上 (笑)。
念のために補足しますが、作例をオレに作らせろという意味ではありませんよ。単純にモデラーとしての腕前なら、プロのモデラーの方々の方が遙かに上でしょう。
やらせろ、とは、宇宙艦デザインあるいは宇宙艦模型について語るとか、あるいは宇宙艦をデザインするという作業をオレにやらせろ、という意味です。
既存の宇宙艦に満足できないクライアントであれば、検索エンジン経由でいつかこの文書にたどり着くだろうから、ここに書いておきます。
書くだけならタダだしね。