ハカセくんは天才だった。
驚くべき頭の回転の速さ。
まだあどけない子供のうちから。
数十桁のかけ算を一瞬で行い。
百科事典を丸暗記。
天賦の才能。
驚くべき処理能力。
コンピュータですら裸足で逃げ出した。
いやもちろん、コンピュータは靴を履かないし、自分から逃げたりはしない。
これは比喩的表現だ。
人々がそう思ったというだけに過ぎない。
そう。
人々は、コンピュータに自意識があれば、ハカセ君から逃げ出したに違いないと。
そのように空想したのだった。
事実、ハカセくんの知力は。
次々と知の権威を打ち破ったのだ。
激しい勢いで新刊書から論文まで読破したハカセくんの知力に。
権威に安住する者達が勝てるはずもなかった。
やがてハカセくんは。
並ぶ立つ物がない地球の知の頂点に立っていた。
誰もハカセくんにはかなわない。
誰もがハカセくんをあがめたてまつり。
答を知りたがって押し寄せた。
誰も知力でハカセくんに戦いを挑もうとしない。
誰もがハカセくんに答を求めた。
そこで、ハカセくんは1つの事実に気付いた。
ハカセくんの知力は、全て他人に依存する。
本や論文を読んで手に入れた知識の上に成り立つもの。
誰も研究せず、本や論文を書かなくなったら。
ハカセくんは知力の源泉を失い。
無力となる……。
もちろんハカセくんは、それで終わるような小さな存在ではなかった。
ハカセくんは、考えた。
新しい価値を生み出そう!
ハカセくんは、未解決の難題を探し出しては、圧倒的な知力で解決していった。
世界はハカセくんの知力にあらためて驚嘆した。
ハカセくんは、次々と持ち込まれる難題を次々と解決した。
しかし、ある日気が付いた。
ハカセくんは気が付いた。
個別の問題を解決するのは無駄な手間だと。
あらゆる問題を解決できる包括的な理論体系。
これさえ打ち立てれば、この世界には未解決の難題は存在しなくなるのだ。
もちろん、それを夢見た者達は歴史上に数え切れない。
彼らはみな敗退した。
だが、ハカセくんの知力があれば話は別だ。
ハカセくんは、自らその理論を打ち立てる時が来たと宣言した。
そして、全世界の資源を集め、輝ける万能問題解決マシンの開発が始まった。
当初の計画で決められた3年の月日はあっという間に経過した。
しかし、万能問題解決マシンは、具体的な形すらまだ決まっていなかった。
ハカセくんは、研究の結果、当初の予測よりもそれが困難であることを率直に認めた。そして、1年の期間延長を求めた。
だが、1年経っても進展はなかった。
1年の延長期間は、いつの間にか10年になった。
その間、ハカセくんの絶大な知力は、上手く計画が進まない理由を説得力を持って語り続けていた。
延長期間は30年を超えた。
それでも計画は進展していなかった。
既に、個別の問題を解決する小さなマシンはいくつも完成していた。
しかし、どのような問題も解決する包括的な万能問題解決マシンは、影も形もなかった。
そして、延長期間は60年となった。
ハカセくんも既に白髪のお爺さんであったが、バリバリと精力的に研究を続けていた。
ある日、ハカセくんは「分かったぞ!」と叫び、一晩で設計図を書き上げた。
それは誰にも理解できない設計図であった。
理解できないまま、職人達はそこに書かれた通りの装置を作り上げた。
ハカセくんは、ついに約束のものができたとご満悦でスイッチを入れた。
だが、何も起こらなかった。
ハカセくんは職人達を罵倒し、作り直しを命じた。
だが、何回作り直しても、マシンは何も行動を起こしはしなかった。
世界は固唾を呑んで状況を見守った。
結局、マシンを108回作り直した時点で、ハカセくんは天寿をまっとうした。
もはや、頼ることができる唯一の人物は存在しない。
それでも万能問題解決マシンが欲しい世界の人達は、ハカセくんの残した資料を調べ、勉強し始めた。
ハカセくんに頼り切り、考えることをやめていた者達が、考えることを再開したのだ。
もとの水準に戻るまで、更に20年の歳月が過ぎた。
その結果、ハカセくんが描いた万能問題解決マシンの設計図は、全くのデタラメであることが証明された。
更に10年。
万能問題解決マシンは理論的にあり得ないことが証明された。
人々の興味は、なぜあれほどの天才がその事実に気付くことができなかったのだろうか、という方向に向いた。
その答は、更に30年後に霊媒召喚装置が開発されることで出た。
霊媒として召喚されたハカセくんは、人々の問いかけに答えた。
「だって、僕の知力をもってすれば、解決できない問題などないって、ママが言ったから。事実、最後のあれ以外はすべて解決できたし。あれだって、もうちょっと時間があれば……」
(遠野秋彦・作 ©2005 TOHNO, Akihiko)
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