奇跡的に時間が取れないので、素早くささっと『機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛』を見てきました。
場所は渋谷のQ-AX シネマ。新宿ではもうやってなかったようなので。
しかし、ここは駅からかなり遠い裏道にあります。オンエアーEASTやWESTの近くです。そこに映画館を造るのか……というのも、ちょっとびっくり。
ガラガラ §
全席指定入れ替え制でしたが、劇場はガラガラでした。
「星を継ぐ者」で始まったZガンダム旋風は、完全に過去のものになった感があります。既に上映していない映画館があったりすることと合わせて、盛り上がっていないのが良く分かります。
実は優れている? §
途中で状況が追い切れない心理状態に陥りました。
ハマーン? えーと、どの陣営の偉い人だっけ……。
ジュピトリスて、何だっけ?
というような感じで、台詞の意味も追い切れず、置いて行かれました。
その上で、誰もが予想した陳腐な「誰も見たことがない結末」で終わってしまい、何かこう呆然と取り残された気分で劇場を後にしました。
こりゃ、あまり熱心に感想を書くまでもないか……、と帰りの電車の中で思いましたが……。
しかし、思い返してみると、実は非常に良くできた映画であることに気付きました。
まず、序盤の展開が優れています。ミネバとの謁見から暴走するクワトロ、そして閉じこめられるカミーユ達。そこからクワトロとカミーユのあうんの呼吸のお芝居で脱出すると、すぐにシロッコのMSの襲撃があって、理屈抜きの戦闘シーンに移行します。これで、とりあえず観客を引き込んでしまいます。
更に、ラストシーンの印象がTV版とは決定的に違うことに気付きました。
TV版は、カミーユがシロッコを倒して終わります。なぜそこで終わるのか、その必然性が全く分かりませんでした。なぜかといえば、ハマーンとネオジオンはまったく健在で、エウーゴを脅かしているにも関わらず、なぜシロッコ「だけ」を倒すと終わりになるのかピンと来なかったのです。唯一の解釈は、ネオジオンは続編ガンダムZZの敵役だから温存させねばならない……というものでした。
しかし、この映画では、間違いなくシロッコこそが悪です。多くの戦いの元凶であるだけでなく、サラとレコアの……、つまり女性の心を弄んだシロッコこそが悪であり、倒さなければならないのです。その場面において、ハマーンが悪にならない理由は明白です。ハマーンもまた、未だにシャアへの未練を捨てきれない哀れな女であり、男性を糾弾する女性達という構図の中にあっては、糾弾される側には立ちません。
だから、シロッコを倒せばドラマは終わりを迎えるのです。
男性性・女性性 §
最後に死んだ人間達がカミーユに力を貸しますが、これは諸刃の剣ですね。
宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ちで、死んだスターシャが延々と娘と旦那とヤマト乗組員に延々と語り続けるような痛いシーンの同類と見てしまえば、「富野、おまえも老いたな……」という感想にもなりかねません。
しかし、ここもよく分析すると非常に興味深いことが分かります。
ここでは、死んだ女性達がカミーユに力を貸します。その中には、カミーユと深い仲になった女もいれば、それほどでもない女もいます。ちなみに、サラは明らかにカツと深い仲になっていて、カミーユの恋人というわけではありませんが、それでも出てきます。
そして、カツです。なぜか男の子であるカツが、ここに出てくるのです。
この人選はどういうことでしょうか?
もちろん、死んだ人が全て出てきているわけではありません。
その点で、さらば宇宙戦艦ヤマトで古代と雪が特攻する際にずらりと死んだ乗組員達が祝福しているというシーンとは決定的に違います。
必ずしも主要登場人物の死者が並んでいる……というわけではないのです。出てくる者は選択的に選ばれています。
更に、最後にファがカミーユを抱きしめるシーンも、実は不自然です。ファが上からカミーユを抱きしめているのです。身長が低いファが上から抱いているので、これは非常に不自然な抱擁に見えます。
これらは、カミーユが女性性を代表するキャラクターであると考えれば筋が通ります。
カミーユは女性の立場を持つがゆえに、ファを抱くのではなく、抱かれる構図が自然になります。
そして、カミーユが女性を弄ぶシロッコに異議申し立てをする(つまり倒す)というのも、女性たるカミーユが、死んだ女性達を代表していると考えれば非常にすっきりします。その際、カミーユと深い仲であったか否かは意味を持ちません。シロッコが侵犯したのは女性性であり、それに対する異議申し立ては女性性を持つ全ての者が等しく行うべき作業なのです。
更に、カミーユとカツの関係も、カミーユが女性性を持つと考えれば見えてきます。カツから見たカミーユは、口うるさいお姉ちゃん、そのものです。男性性を丸ごと背負ったようなカツは、実は口うるさいお姉ちゃんと、お姉ちゃんを乗り越えたい弟という良好か関係を擬似的に作り上げていたかもしれません。そうだとすれば、カミーユが強い女性性を発揮する場に、カツが入り込むことができるのは当然の成り行きといえます。この場合、強い女性性が生み出す「お姉ちゃん」のオーラこそが、「弟」たるカツの居場所を作るのです。
キャスト §
上記のように考えれば、フォウが強い男性性を持つことによってカミーユの恋人役になれたのは明かです。ゆえに、フォウの声は、太く力強い声でなければなりません。間違いなく、前作と今作のフォウの声はその条件を満たします。島津冴子でこの声が出るだろうか……というあまり根拠のない懸念を明示した上で、ゆかなというキャスティングを肯定します。
(ちなみに、私は声優ファンはアニメファンとは決定的に利害が敵対する存在、つまりは敵だと思っています。時間がたてば、キャラも変わるし、声優も変わるのです。キャラの声は、そのキャラに対して最善の声優が当てれば良いのであって、XXの声はXXさんじゃないとダメだ……的な固定的な配役の決めつけは、キャラクターの持つキャラクター性を逆に殺しかねません。それは作品そのものを殺す行為に繋がります)
一方、サラのキャストは上手く定まっていない感じがあります。TV版の水谷優子、前作の池脇千鶴、今作の島村香織とめまぐるしく変わっています。個人的には、前作の声が最も良かったと思います。
見限られたCG §
プログラムブックは、ほとんどが3勢力の紹介にあてられていて苦労がしのばれます。これを読んで予習しないと理解できない映画ということかもしれません。
ちなみに、最も面白かったのは3DCG技術の紹介ページです。
「このときには陰影付けなどの計算はせずに、3Dカメラワークによる視差の表現のみを用いる」と書いてありますが、当然陰を付けるというのは3Dのあまりに基本的な処理です。それを行わないというのは、おそらくはサンライズの3D部門が描く宇宙戦艦があまりにもへっぽこ過ぎるために、見限られたということでしょう。
前作でも、あまりにもへっぽこな(とても、まともなプロが作ったとは思えない)宇宙戦艦のCG映像があって白けましたが、このような処置によって、同じ問題を繰り返すことは回避されていると思います。もっとも、ダイナミックな動きは諦めざるを得ず、見応えは落ちたと思いますが。
それにしても、いつまでサンライズのへっぽこ3Dは続くのでしょうか。
どう見るべき映画なのか? §
なにせ3勢力(いや4勢力でしょう? シロッコはティターンズとは別カウントして)が入り乱れる複雑な話です。1回見てもさっぱり分からない……という可能性は非常に高いと思います。
おそらく、これはDVD向けのチューニングではないかと思います。DVDとして買って、何回も繰り返して見る……という視聴方法を取るのが最善なのでしょう、たぶん。
少数の劇場でしか公開されず、大多数の客はDVDで見ると割り切るなら、これは誠実な選択と言えるかもしれません。
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