今日は、国鉄下河原線廃線跡のうち、北府中からやや南の箇所から、東京競馬場前駅跡まで歩きました。
より正確には、京王線府中駅から上記のルートを通り、京王線府中競馬正門前駅まで歩いたことになります。
発端 §
府中在住のある方から、こういう場所があると教えられたのが発端です。
府中と言えば、大学時代の1年間毎日通った場所であるのに、これほど面白いものを見落としていたのが痛恨だったので、軽く行ってきました。
ただし、仕事も溜まっているので、京王線中河原駅近くまで伸びている貨物線を全て歩く時間も体力もないと判断し、途中で分岐している東京競馬場前駅跡までとしました。
開始点・北府中駅南部 §
写真の奥が武蔵野線の北府中駅です。武蔵野線はここから地下に潜って甲州街道(国道20号)と交差しますが、下河原線は地上を進んでいました。
この写真の奥から手前に下河原線の線路が延びていたと推定されます。
ここから、写真の手前側に向かって線路跡の道が延びています。
甲州街道を越える §
ケーズデンキ府中店裏手の道から、線路跡が地面に埋め込まれ、駅を模した休憩所のある公園に続きます。
駅はフェイクですが、線路は本物のようです。
フェイクの駅の写真はあちこちにあるので、掲載は略。「下河原線」で検索を掛けてみてください、
その先が甲州街道(国道20号)との交差ですが、横断歩道はないので迂回が必要です。
その先が遊歩道になります。
ここも、短い間だけ線路が見える部分があります。
鉄道を越えて §
遊歩道は京王線(高架)の下を通り、南武線の上を通って進みます。
南武線は近くの踏切の警報機が鳴っているのが聞こえたので、電車を待ちかまえて撮ってみました。
途中で直進する道と、左に曲がる道があります。直進すると府中郷土の森の方へ行き、中河原の方に至ります。左に曲がると、東京競馬場前駅に向かいます。
今日は左に曲がりました。
終点・東京競馬場前駅跡 §
幅が広くなり、いかにも駅っぽい場所が東京競馬場前駅跡です。
ちなみに、ここに設置されている有名な「電車ごっこ」の銅像もあちこちに写真があるので、ここでは掲載しません。
さて、この場所のすぐ近くに府中本町駅があり、目の前を線路が通っています。
これほど近くに2つの駅があったというのは驚きです。(別の名前を持つ別個の駅として扱われていた)
おそらく、それだけ「競馬」というものが重要だったということでしょうね。
ちなみに、京王線も、競馬場には府中から歩いても行けそうなのに、わざわざ競馬場線を敷いて近くに駅を作っていますが、それも同じような理由かもしれません。
歴史を振り返る雑感 §
平安時代の関東の中心は江戸ではなく府中(政治的中心)から国分寺(宗教的中心)を結ぶラインになるそうです。鎌倉時代になって、中心地は鎌倉に移っていきますが、しばらくの間府中は重要な地であったようです。
だからこそ、府中付近に複数の鉄道路線が集中し、宗教性のある行事であるギャンブルが府中で行われるのか……と思いきや。
そういう話は全くないようですね。下河原線が作られたのは多摩川の砂利採取(建築用に需要があった)のためであり、東京競馬場はもともと目黒にあったものが移転してきただけのようです。